ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

強いやん!

2008-06-16 05:10:00 | 大阪にて
プロ野球界に今年チョー快・怪現象が起こっていますネ。

阪神タイガースが優勝でもしようかと思うほど強いのです。

広島から来た3・4番がその原動力なのかも知れません。
お蔭でカープは散々です。

仕事も西宮の中心街に戻ってきているので、こんなタクシーもよく見かけるようになりました。

       

タイガースカラーのこの手のタクシーが少しあるのは知ってましたが、相手は走ってるので、見つけて、デジカメを探して、ケースから出しているとシャッターチャンスを逃すどころのタイミングではありません。

幸いこの日はちょっと先で停まりよった。
暑いけど、急いで行って撮りました。




尼崎商店街です。
以前はミツバチのイメージだったけど、今回は金魚ですね。

急に応援歌が流れ出したので、動画も撮ってみました。

アーケードを改修したのか、以前と比べると明るくなったような気がします。

       

タイガースのファンの皆さんはきっと思っていることでしょう。
「このまま行くわけが無い、きっとどっかで躓くでぇ。」
そういう声が聞こえてきそうです。

因みにこの写真を撮ったのが先週の木曜日、以来タイガースは勝っていませんね。

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蓮と睡蓮

2008-06-13 04:30:00 | 大阪にて
甲陽園目神山町での仕事が終わると、もう甲山の方へ行くこともないし、神呪寺にも行かないでしょう。

神呪寺に蓮池があったのを思い出し、睡蓮が咲いていることやし、蓮も咲いてないのかと思い、寄ってみました。

その前に、目神山町を下ってくると売物件が目に付きます。

       

あまり大きな家ではありませんが、こうも斜めな所に建ってると住む気にはなれないんじゃないでしょうか。

今は一旦平地にして立てている家が多いように思います。

       

これも売物件の看板がありますが、建物は見えませんから、相当広い物件だと思います。
売ってる割には毎日同じ車が停まっていました。

       

さて、話は元に戻って蓮池です。まぁ、蓮池などと言うとあの北朝鮮に拉致された人のほうが思い起こされます。

朝方雨でも降っていたのでしょうか、葉っぱの上に水粒が沢山並んでいます。
これを表面張力と言うのでしたネ。

       

残念ですが、蓮の花は全く咲いていません。

       

仁王門の下の池では未だ睡蓮が咲き誇っています。
睡蓮と言うのは本当の名前ではないそうで、和名は未草(ひつじぐさ)という名前だそうです。
未の刻に咲いて夜には花を閉ざすからとか、でも未の刻は午後2時です。
写真は昼前に撮ったんですよ。

       

こう見ると、葉っぱもかなり違うようです。蓮の葉には切れ込みがありません。
蓮の根はレンコンになりますが、こちらにはレンコンは出来ません。

何度も花を閉じたり開いたりするせいか、花弁の先が少し汚れているようです。 

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越木岩神社 Ⅳ

2008-06-12 04:20:00 | 大阪にて
疲れてない時にもう一度越木岩神社を訪れてみようと思っていました。目神山町から甲陽園の駅に来て地図を見ると、少し戻らなければならなくて、また山道を登ります。

       

夙川の上流辺りの橋を渡り、こっちやろと思う方向に歩いていくと、意外と近くに以前とは別の入口がありました。

       

前は甑岩の処から入りましたが、今回は土俵です。9月15日には泣き相撲が行われるようで、力士を募集中でした。
泣いた方が勝ちなのか?負けなのか?どっちなんでしょう。

       

土俵の横には能楽堂でしょうか。
きっと夏の夕方には薪能が開かれるのでしょうね。

       

池に鯛の像があったけど、やっぱり戎さんやったんですね。
北の戎て書いてあるから、南の西宮戎と比べてるんですね。

     

前回来た時には気付かなかったものが沢山ありました。
これは力石、かなり重そうですよ。

後ろの明治16年3月の鳥居を利用して、阪神大震災の模様を記しています。
この甑岩地区でも34名の人命が失われたとあります。

       

犬が社殿に小便することが不敬行為ですか?
何が残念なのか解りませんが、犬にまで神を敬えと考えること自体、たいへん残念なことです。

     
元来た道をまっすぐ南へ歩いていくと、左側に夙川学院が見えてきます。



阪急甲陽線を挟んで南に大社中学、北に夙川学院がありますが、その両方から北京オリンピックへの出場選手が生まれたんですね。

       

広瀬はともかく芽って・・・何と読むのでしょう?
調べてみたらめぐちゃんでした。

かっ飛ばせ!!

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聖徳太子展

2008-06-11 04:40:00 | 展覧会
大阪市立美術館です。またまた終わってしまっている展覧会のお話です。

大阪府の南部に河内三太子と呼ばれている三つのお寺があり、南河内郡太子町の叡福寺、羽曳野市の野中寺、八尾市の大聖勝軍寺なのですが、そこに伝わる太子信仰の名宝を集めて紹介してくれていました。

       

まずロビーにある案内板、2階からと矢印がありますが、右半分は太子立像の写真です。

            

誰が造ったのか判りませんが、エライ恐い顔をしています。
これは大阪の道明寺に伝わっていたもの。

            

展覧会はまず、叡福寺の聖徳太子絵伝の展示から始まっていました。
日本書紀に纏わる太子の伝記は、いろんな人が時代を超えて絵に表してきましたが、大体が同じ構図が多く最初に描かれたものを踏襲しているのが伺えます。

            

これは黒駒に乗った太子が飛鳥から1日で富士山頂に駆け上がったという話、有り得ない話ですが、描いた人は信じていたのかも知れません。

            

これも全く同じ構成ですが、左の方は保存が良くなかったのか色がくすんでいます。左は京都の二尊院、右は奈良の薬師寺に伝わるもので、両方とも室町時代の作です。

            

叡福寺の黒駒に乗って武装した厩戸皇子、仏教を篤く信じたと言われるのですから、武装と言うイメージは似合いません。


            

これは野中寺に伝わる弥勒菩薩像、太子とは直接関係ありませんが、名宝として出品されたのでしょう。この像は小さいのですが、なかなかのものでしたよ。因みに白鳳時代の作品です。

       

これも野中寺、愛染明王の坐像ですが、全体が写せませんでした。

            

こちらは大聖勝軍寺の毘沙門天立像、こちら向きとむこう向きの2体で一つの像です。

            

こちらも大聖勝軍寺の毘沙門天立像、足元には踏みつけられた犬か獅子が居るのですが、全体がうまく写せませんでした。

以前この寺行ったときは、こんなにお宝があるとは思いもよりませんでした。

この他沢山の仏像や絵画が展示されていましたよ。

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ツマガリ

2008-06-10 04:40:00 | 大阪にて
ここは甲陽園の駅前、新甲陽町の方から降りてくる道です。
『新甲陽通り』と名前が付いています。

この駅前に『ツマガリ』という有名な洋菓子屋さんがあるそうなので、探してみました。

       

アルファベットですが、ツマガリがありました。
窓にいるコックさんみたいなのは人形ではありません。働いている人でした。

しばらく歩くと・・・

       

又、ツマガリです。

       

これが洋菓子を販売している所ですね。
入ってみるとそんなに高価なお菓子ではありませんでした。

ゲゲッ!!

       

販売店の前にもツマガリがあります。

いったいいくつあるんやろ?と気になります。

       

ほら、もう一つあった。
この狭い一角に5箇所もありました。

漢字では『津曲』、社長さんの苗字だそうで、『妻狩り』でなくって良かった。

       

駅の前にはこんな店もあります。
ビゴのパン屋です。

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斜面にある街

2008-06-09 05:00:00 | 大阪にて
甲陽園目神山町です。

当初、「めがみやまちょう」と聞いていた時は、女神の山かと思っていたのですが、目の神の山でした。

            

眺望は良いのですが、一軒一軒廻るのは大変なところです。

この下の新甲陽町へはさくら夙川の駅から徒歩で往復していたのですが、この町には徒歩で来る気にはなれません。

阪神の西宮駅からバスに乗って神呪寺の下、甲山大師という停留所で降ります。そこがあの仁王門のあったところです。

仁王門から山を下るのですが、あの八十八箇所巡りのお地蔵さんがあった辺りの峠を越えなければなりません。

            

お話を伺っていると、大体が100坪前後の家だそうです。
40年ぐらい前に引っ越してきていて、今住んでるのは殆ど年金生活者だそうで、金持ちに見えるけど実はそうでもないと嘆いておられました。

子供達は(きっと私と同じ世代だと思います)、生活のことを考えてここには住まないんだそうです。

            


私も通勤に不便で、地震でも来たらどうしようと思うような山の中腹に、何故金持ちが好んで住んでいるのか・・・理解に苦しんでいました。

そういえば、この辺りに小学校・中学校はありません。

外出する時、帰宅には必ずタクシーを利用するそうです。
時々車が通りますが、よく見ると乗っているのは、殆どが若い女性でした。

            

この街には飲み物の自動販売機もありません。
そして食堂はおろか、お店が一軒も無いのです。

このような街で朝から訪れても、昼食を摂れるのが2時・3時を過ぎると言う事態を会社は知っているのでしょうか。知っていても知らなくても、はなはだ無責任でしょう。

       

帰りは下りなので徒歩です。
甲陽園山王町、甲陽園西山町と歩いていると、タケノコがフェンスを突き破っています。

       

生え出した頃に採らなかったんですね、勿体ない。
今後、この竹はどうなるのでしょう、そしてこのフェンスはどうなるのでしょう?

       

左隅の山が甲山、真ん中の屋根がエンジ色のマンション辺りに甲陽園の駅があります。

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晴れた日の神呪寺

2008-06-06 05:00:00 | 大阪にて
新甲陽町の仕事を終えて、今は一段高い甲陽園目神山町という所に出かけています。

神呪寺の近くまで登らねばならないので、晴れた日にどれ位見晴らしが良いのか比べてみようと確かめに行きました。

      

この仁王門の下に睡蓮の咲く池があります。

       

不思議に思っていた屋根ですが、やはり奥にお堂があるのではなくて、こういう造りにしているようです。

       

晴れていても案外ハッキリ・クッキリ見えないものですね。
春だからでしょうか、都会の宿命なのでしょうか。

            

こうして来た道を眺めていると考えることがあります。

6世紀半ばに渡来した仏教は、当初の都での信仰から、最澄・空海によって山岳信仰に変っていきます。

       

こういうお寺に来るのに難儀をしなければならないのは、そういった苦行・難行の一端なのでしょうが、最澄や空海はこのように多少の苦労を伴う信仰でも誰もが成仏できるとして、それまで金持ちや権力者や、仏になるために修行を積んだ者という一部の者しか成仏できないという考えを一変させたのでした。

それでも身体能力のために、お寺に行きたくても行けない人がいます。

比叡山で学んだ法然や親鸞が念仏さえ唱えれば、極楽往生を遂げられると布教したのは、仏教の大衆化に大変貢献した考えだったのですね。

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越木岩神社 Ⅲ

2008-06-05 05:00:00 | 大阪にて
疲れてたけど未だ一回りしたわけでもなかったので、戻って少しウロウロしました。

これは新たに出来た標柱、露天神社では(しめばしら)と読んでいました.
あの柱のように機銃掃射の洗礼など受けて欲しくないものです。

       

不動明王です。真ん中の明王がやけに新しい。


       

阪神大震災で壊れて作り直したのかと思いきや、その前に上半身だけ盗まれて、そうこうしている内に大震災に遭い、作り直したそうです。

       

御神水所と書かれており、何か神様を祀ってあるのではないようです。

     

この六訓がなかなかのものです。

1、水は尊し・・・
2、水は美し・・・
3、水は清し・・・
4、水は強し・・・
5、水は恐し・・・
6、水は深し・・・

・・・以下は割愛しますが、水についての感想ですね。

     

甑岩と離れた所にも大阪城築城の際の残石があり、違った刻印がありました。

       

因みにこれは鍋島信濃守の刻印だそうです。

       

天保2年、おかげ参りを描いた絵馬です。

       

伊勢神宮の遥拝所、甑岩の右側にあり、甑岩社が北向きならば東を向いていることになり、この先は伊勢の方向を向いていることになります。

全体的にこの神社は正直な感じを受けます。判らんことは判らんとしていて、無理な説明が少なく、気持ちがいいのです。

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越木岩神社 Ⅱ

2008-06-04 04:50:00 | 大阪にて
甑岩社を後に拝殿や本殿を探します。

       

なかなか立派な拝殿です。この奥に本殿があるようですが、遠くから見ても判りません。
結構疲れていて、見てやろうという意欲が湧きません。

     

正面から入ってないので、拝殿を越えてから案内図に遭遇しました。

       

甑岩へ行く道から見た拝殿です。

       

この道を歩いていくと正面の鳥居に辿り着けそうです。

       

途中にあった土社、大地主大神を祀ってあり、土や地や住居や生成を守護すると書かれています。
太古からある祠のような雰囲気です。

       

池には鯛が跳ねている像が・・・蛭子さんでも祀ってあるのかな?

       

左(正面の鳥居から入ってくると右)には土俵もありました。

       

かなり下って、ここにも狛犬が置かれています。
拝殿の前にも狛犬は置かれていましたから、余ったのかも知れません。

       

これが正面の鳥居です。

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越木岩神社

2008-06-03 04:40:00 | 大阪にて
さて鷲林寺の記事を綴って暫く経ちますが、もう随分歩いたので、西宮かさくら夙川の駅までバスに乗って帰ろうと思っていたのですが、なかなかバスが来そうにないので南の方向へ歩き出しました。

       

暫く歩くと又、市の貯水池があり、西宮市には小さな貯水池があちこちにあり、管理も大変だろうと思います。
地図で見ると夫婦池とありました。

       

西宮緑化植物園の一部にも足を踏み入れました。

鷲林寺からはなだらかな下りばかりなので楽だったのですが、もう10Km以上歩いてるのではないでしょうか。
実は途中に店も無く、神呪寺辺りで昼だったのに、未だ何も食べていないのです。

       

兎に角甲陽園の駅にでも着けば、何か食べれるのではと思い歩いていましたが、先に越木岩(こしきいわ)神社の標識が見えました。
この越木岩神社には後日行こうと考えていたのですが、ここまで来てるんなら見学していこうと考えてしまいました。

しかし近道をしてしまったので、正面から入ったのではありませんでした。
この祠には六甲山社と説明がありました。

     

かなり古代からここには霊が宿る岩があったのでしょう。いつからとは書かれてないところが真摯ではありませんか。

この甑岩があるし、ここは町名が甑岩町なので、ここは甑岩神社と書くと思っていたのですが、実は越木岩神社という当て字みたいな名称になっています。

            

実際に見るとホントに大きな岩ですよ。
酒を造るときの甑というのは実際には知りませんから、こんな形をしているのかどうか判断する由もありません。

       

豊臣秀吉が大阪城築城の際、ここの霊岩を切り出せと命じたのでしょうが、幾人もの借り出された人たちが犠牲になったとあり、秀吉の『人でなし』ぶりが伺えます。

       

しかし、写真に撮るのはおろか、触ってもいいとはなかなか太っ腹ですね。

       

こちらは甑岩の裏側、まぁどちらが裏なのか、勝手に先人が表側とした所に祠を建ててしまったのです。

       

甑岩の右奥にあったお稲荷さん、何故か2つありました。 

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