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月あかりの予感

藤子不二雄、ミュージカル、平原綾香・・・好きなこと、好きなものを気の向くままに綴ります

ミス・ドラキュラ

2006年09月11日 16時40分34秒 | 藤子不二雄

(上の写真はAmazonにリンクしています)

このブログではF作品のことばかり語っていますが、A作品だって同じように大好きです。もちろん、今年になってブッキングから復刊された「ミス・ドラキュラ」も愛読しています。

私のように長年ファンをやっていると、少なくとも手に入りやすい作品は、あらかた読んでしまっているので、未読の作品未収録作品に出逢える機会そのものが少ないんですよね。つまり、単行本化されていても手に入りづらいものもあって、それを古書店やオークション等で探したりもするのですが、やっぱり値段が高かったりしますし、未単行本化作品の掲載誌を読むために国立国会図書館に行こうにも、やはり地方在住者にとっては辛いのです。だから、いまだに「T・Pぼん」の未収録にはお目にかかれておりません・・・(涙)。そろそろ発売してくれれば良いのに・・・(T_T)

さて、この「ミス・ドラキュラ」は、私にとっては、かつて「NEO UTOPIA」で再録された作品を数本読んだ以外には、ほとんど読んだことのない藤子作品で、しかも未収録分まで含めての完全収録で復刊というのは本当に嬉しいことでした。

さすらいくん」とか、こういう軽妙なタッチで描かれた短いページ数の大人向けA作品は、結構好きなのです。昼間は仕事に厳しいオールド・ミス「虎木さん」(あだ名は「ミス・ドラキュラ」)、夜はカッコイイ謎の女性「ミス・ドラキュラ」という、まあ「オヤジ坊太郎」の女性版&大人版ですね。こういう「一見サエないけど実は・・・」というジャンル(?)は、A先生の得意とするところで、サラリーマン&OLならではのユーモア&ペーソスが短いページ数にたっぷり詰まっていて、本当に面白いです。

佐木(ざき)やヨーコ、フーコたちは、何度も「ミス・ドラキュラ」に会いながら、会うたびに初対面のような顔をしていたり(笑)、設定が固まってなかったのか、最初は普通の女性として登場するキャラクター「フーコ」が、どんどん太っていき、どんどんブサイクになっていくところが、妙に笑えます(^^);

個人的には 3巻の佐木の奥さんが実家に帰ってしまって・・・というエピソードに、なんだか泣かされました(^^); いつも帰りを待っていてくれるどころか、ギャンブルで借金を作っても(最低!)、ヘソクリで助けてくれるような、まるで「内助の功」を絵に描いたような良い奥さんなのに、佐木はどうにもチャランポランなんですよ(^^); 散々泣いて、仕事が手に付かなくなるほど悩んだ結果、せっかく奥さんが帰ってきてくれても、やっぱり佐木は夜遊びするんですよね(笑)。男のどうしようもない部分が、この「佐木」というキャラクターに出ているんだと思います。A先生の描くこの手の男って、なんだか変なリアリティがあって良いです(^^);

ミス・ドラキュラは、怪子ちゃんが大人になった感じ+A先生が若い頃に付き合っていたモデルさんのイメージなのだそうです。(NEO UTOPIA 第42号のA先生インタビューより)

この作品は「女性セブン」に連載された作品で、もともとは女性向けに描かれた作品なんですが、男性が読んでも身につまされるところがあったりして(笑)、なかなか楽しめると思いますので、お勧めです。

石ころぼうしの機能

2006年09月11日 03時42分34秒 | 藤子不二雄
最近めっきり「わさドラ」づいてますが(笑)、さっき、ごはん(真夜中なのに朝ごはん)を食べながら、何気なくDVD「夏のおはなし 2005」を観ていて気が付いたことを・・・

白ゆりのような女の子」は、昨年 8月に放送されたエピソードです。1年も経って今さらという感じもしますが、だってその頃は、まだブログ始めてなかったんですもの(^^);

気になった点・・・もしかしたら、既にあちこちで語られていたのかもしれませんが・・・ドラえもんが「石ころぼうし」を使ったところです。この道具は、決して「姿が消える」わけではなく、まわりに落ちている石ころと同じように「気にされなくなる」ものなんですが、ドラえもんはこれでしっかり姿を消し、しかものび太に声で気付かれていました。この帽子をかぶっている限り、周りでどれだけ騒ごうと、「うるさいな」と感じることはあっても、近くに人がいるふうには感じないはずなのです。

原作でのドラえもんは、しっぽを引っ張って姿を消します。この行為は、現在では「スイッチが切れる」と認識されていますので、そのまま使うわけにはいかないのですが、つまりここでは「透明マント」を使うべきだったのです。まあ、ドラえもんのひみつ道具は膨大な量におよぶので、機能がかぶっていたり、F先生自身混同しかけてるような場合も結構ありますけどね(笑)。

そういえば当時、「てんとう虫コミックス」等を読んでいると、こういう現在の設定から見ると違う点(しっぽを引っ張ったときの機能等)が、特に何の解説もなく描かれていたりするので、子ども心に「どっちやねん」と思ったものでした(^^);

この「石ころぼうし」は、来春の映画でも(原作通りであれば)重要な役割を与えられているアイテムですので、スタッフの皆様、ぜひ他の道具と機能を混同されませんようにお願いします(^^);

おしょうさん、はなれててくだちいな

2006年09月10日 10時47分44秒 | 藤子不二雄
あー・・・懐かしい・・・って、この前の「わさドラ」を今頃観ました(^^); ちゃんと放送時間に起きてれば観るんですが、そのときは寝てたので、他に観たいものも溜まっていて、遅くなってしまいました。

さて、「ドラえもんの歌」の原作が掲載されている藤子不二雄ランド版の第1巻って、私が生まれて初めて買った「ドラえもん」の単行本です。たしか小学校低学年で、その前には、藤子作品では確か「パーマン」とかを先に買ってた気がします。当時「ドラえもん」はアニメの方になじみがあったんですよね。この第1巻は、表紙もモゲて、見るも無惨な姿で(笑)、おそらく押し入れのどこかに入れてありますが、いまは見あたりませんでした(T_T)

この第1巻の後、「ドラえもん」の第2巻を買ってきてと母に頼んだら、買ってきてくれたのがてんコミ版で、本当はこっちの方が本家なのに「にせものだ~ギャワーン」って泣いたのを思い出します(笑)。子ども心にはセル画がついてて、巻末に「ウルトラB」も載ってる方が、お得だし「ほんもの」という気がしてたんでしょう(^^);

アニメの方ですが、ぶっ壊れたドラえもんの方の脚本は大野木寛さん、演出は「エスパー魔美」の塚田庄英さん、絵コンテは「チンプイ」の安藤敏彦さんで、お二人とも大山ドラ時代から長く関わっておられる方です。作画監督は、このブログではおなじみの(笑)、富永貞義さん。この方の作画は「藤子アニメの基本」って感じなので、本当に安心して観られます。

演出のお二人とも、本来的には全然嫌いじゃないどころか、むしろ好きだったんですが、大山ドラ末期の、特に安藤さんの方の演出にはかなり嫌悪感があって、めちゃくちゃ印象が悪かったことも事実です。でも「わさドラ」では、以前のように良い仕事をしてくれていると思います。大山ドラ末期は、よほど変な圧力があったのか、渡辺歩さんの変な部分に毒されていたのか、当時の状況はよくわかりませんが、今回の「ドラえもんの歌」も、わりと面白い仕上がりになっていました。

ドラえもんの壊れ具合も、この程度に留めておいてくれれば、じゅうぶん面白いんです。顔を必要以上にぐにゃぐにゃにしたり、変な動きで笑わせようとするのは、それは「ドラえもんの笑い」じゃないと思うんですよね。むしろ「渡辺歩の笑い」って感じで・・・まあ、ここらへんは、そのうちまた改めて書きたいと思います。

初期の「ドラえもん」って「分かいドライバー」とか、相当にぶっ壊れている話も多いので(笑)、そのまんまアニメ化して放送するとなると、アニメの世界観(原作では中期以降のイメージ)でとらえるなら、逆に違和感を感じかねないのですが、今回はそつなくまとまっていました。しっぽを引っ張るとスイッチが切れるという設定も、しっかり健在で、ちょっと安心したり(^^);

さて、もう1本の「ライター芝居」は、脚本が早川正さん、演出・絵コンテが腰繁男さん、作監は引き続き富永さんです。

これは何と言っても、のび太の馬鹿っぷりが遺憾なく発揮されているところが魅力です(笑)。自分の名前すら間違えるなんて想像を絶する馬鹿っぷりが、のび太の魅力であったり・・・なかったり(^^);

だけど、ジャイアンたちによる「のび犬」の連呼は、それだけでオチが読まれてしまうので(笑)、ちょっといかがなものかと(^^);

のび太が「雰囲気でわかってくれないものかな」と呟きますが、ドラえもんの道具って、わりと有機的なところがあって、ファジー回路(古っ)が満載なものが多いんですが、今回に限ってはわかってくれず、そこが作品の面白さに繋がってるわけです。自動読み上げソフトなんかでも、多少は再現出来そうな面白さですね(笑)。

えー、サブタイトル前のアオリと、作品と作品の間の漫才については、さらっと無視しておきます(笑)

ということで、今回は何となく現役作品である「わさドラ」の話題を書きましたが、実際には私の専門分野(笑)、つまり「チンプイ」や「魔美」だけで手一杯なので、わさドラレビュー等を今後定期的に書くことはないと思います(^^); こっちまで手を伸ばしてしまうと大変ですし・・・何か思うところがあった場合だけ書くようにします。

のび太の宇宙開拓史

2006年09月09日 16時04分13秒 | 藤子不二雄
ずーっと前に買ったビデオを、かなり久しぶりに観ました。

私はこの作品は大好きだと思っていましたが、どうやら映画の方はあまりきちんと観ていなかったようです。好きだというのは原作の印象が強かったんだと思います。あちこちで「あれ?」と思うシーンがありました。

たとえばギラーミンが、随分あっさりやられてしまったり・・・あのカッコイイ、のび太との対決の印象は、原作だけのものだったのか(^^);

あとビックリしたのが、エンディングで流れる曲が何故か「ポケットの中に」だということ・・・てっきり「心をゆらして」だと思いこんでいましたが、あれは挿入歌だったんですね・・・

「魔界大冒険」「宇宙小戦争」「鉄人兵団」「竜の騎士」「日本誕生」あたりは、何度も繰り返し観た記憶があるのですが、初期作品は意外に観た回数が少なかったんですね・・・いかんいかん(^^);

ちょっと前にやってた「ドラクエ5」の、息子と娘の名前は「ロップル」と「クレム」でした(笑)
(C) 2004 ARMOR PROJECT/BIRD STUDIO/ARTEPIAZZA/SQUARE ENIX
(C) KOICHI SUGIYAMA

問題はカニ缶・・・いや価値観

2006年09月09日 05時17分00秒 | 藤子不二雄
昨日はネットに接続出来ず、ろくに記事も書けなかったんですが、アクセスが300件を超えていまして、なんで?と思いましたら、例の視聴率200%男さんのブログのコメント欄から、知らない間にリンクが張られちゃってました(^^); こちらからのアクセスが多かったようです。

先日の記事では、私もつい感情的に書いてしまいまして、お恥ずかしい限りです。私はこの安達さんって人のことを知りません。つい彼を「『俺は視聴率なんて思いのままに操れるんだぁ』などと豪語して、変な方向から時代を演出しようとするようなタイプの人」なんて表現してしまいましたが、それは彼のブログをざっと読んで感じた印象であって、本当にそんな人かどうかは全然わかりません。

ただ、彼の(ドラえもん以外の)「功績」を聞いても、一体何がどうすごいのか、私にはさっぱりわかりません。それは私が視聴率というものに、たいして価値を感じていないからだと思います。それは当然です。だって一視聴者である私は「わさドラ」の視聴率が上がろうと下がろうと、直接的には何の影響も受けませんもの。でも、テレ朝の方々から見ればそれは死活問題でしょう。だから、一見畑違いと思われる安達さんに頼み込んでまで、あらゆる姑息な手段を使ってでも視聴率を上げようとしたのでしょう。

それが番組の質よりも視聴率さえ良ければ・・・という、視聴率至上主義につながり、それがさらに進むとモラルハザードを起こしてしまいます。実際に某局で視聴率不正操作問題なんてことがありましたね。

今はまだ、テレビ(地上波)がメディアの王様という地位を確立している状況に変化はないでしょうが、この先10年、20年と、テレビが同じ座に君臨出来るとは思えません。前述の視聴率不正操作問題では、視聴率なんてお金で「買おうと思えば買える」ということを、国民(スポンサーも含めて)は知ってしまったわけですから、この先はCMを出す企業だって、今までのようにテレビというメディアが大上段に構えて高い広告料(しかも、視聴率を唯一の拠り所として算出される金額)を提示する限りは、減ることはあっても増えることはないと思います。

結局、突き詰めて考えれば、視聴率を上げようとするのは、より高い広告料で、より多くのスポンサーについてもらうためですよね。その前提が崩れつつある現在、作品の質を歪めてまで視聴率を取ろうとすることを繰り返していると、いつかどこかで必ず破綻すると思います。

かつて、「良い作品を無料で観られるのが当たり前」という時代は、確かにありました。映画だってアニメだってドラマだって、地上波は無料で放送していました。その代わりCMが流れていました。それが当たり前でした。90年代、このCMが気に入らない、お金を払うからCMを流すな、もっとたくさん映画を放送しろ、映画をカットするな、という新たな「価値観」があらわれて、民間による有料放送が始まりました。日本でその先陣を切ったのがWOWOWでした。そしてチャンネルがさらに細分化、専門化したスカパー!など(CS)が出てきて、本格的に多チャンネル時代に入りました。今ではネット放送なんかも普及しつつあります。個人でも発信出来るポッドキャストもありますし、放送という枠組みから外れて考えれば、このブログだって立派なメディアです(「マスメディア」ではありませんが)。

広告収入による無料放送と、視聴料収入による有料放送。どっちが正しいのかわかりません。確かにタダで何でも観られるのは便利だしメリットは大きいでしょう。でも視聴率のために質が歪められることもあるのです。それを避ける人々は有料放送という選択肢もあるのが今の時代です。そりゃ、視聴率不正操作は極端な例としても、スポーツ新聞に煽らせるだの、Yahooも巻き込むだの、いたずらに話題性を集めまくって子どもをそっちのけにするなど、ありとあらゆる手段で視聴率を取らなきゃ、地上波テレビ局は潰れてしまうと必死になるんでしょう。

これは何も安達さんだけの責任ではありません。やらせたプロデューサーも同罪です。でも私や、私の考えに共感してくださる方々から見れば、彼らのやった一連のことは「」であっても、もし本当に視聴率が上がったら、テレビ局など制作サイドから見れば「」なんですから・・・全く難しいところです。

私が面白いなと思ったのは、私と安達さんの価値観が、まさに180度違う点です。
安達さんは、ブログの「九州青春銀行」っていう記事で、次のように書いておられます。(斜体部分は引用)

「いかに生きるかではなく、なぜ生きるか」

今の仕事をやっていて
どうやったらもっとギャラが稼げるか
どうやったらもっと成果が現れるか
‥‥「いかに生きるか」を考えるのではなく

なぜこの仕事をやっているのか
この仕事をやることでの使命はなんなのか
‥‥「なぜ生きるか」を考えること

う~ん忘れかけていた何かを思い出させてくれる言葉です

以前、私が書いてたことと全くの正反対なのが、なんだか笑えました(^^);
そもそも「どうやったらもっとギャラが稼げるか、どうやったらもっと成果が現れるか」といったことを「いかに生きるか」の例として挙げている点からも、私とは考え方が違う人なんだなぁと思います。

私が言いたいのは、決してどっちが正しいとかではないんですよ。私も間違ってるとは思いませんが、だからと言って彼が間違ってるとも思いません。だって考え方は人それぞれでしょう。

ただ、私個人は、上のリンク先の記事でも書いている、音楽座ミュージカル「アイ・ラブ・坊っちゃん」での漱石の台詞や、あーや(平原綾香さん)の言葉や宇宙観の方に近い考えを持っているので、安達さんとは感銘を受けるベクトルが全く逆なんだなぁということを、改めて感じたということです。たぶん、F先生も私の方と近い考え方だったんじゃないかなと、勝手に思ってしまったり(^^);

私が感じている「ドラえもん」に対する価値観と、安達さんが感じているそれとは、やっぱり同じように異なっているのでしょう。

安達さんの視聴率アップのためのさまざまな作戦に対して、私が感じる不快感っていうのも、もしかすると、こういう価値観の相違が端を発しているのかもしれませんね。

(9/9夕方追記)
もしかすると、今回のタイトルの元ネタをご存じない方がいるかもしれないので、念のため補足しておきます(^^); これは「エスパー魔美」の中のエピソードのサブタイトルから取っています。価値観という言葉を聞いた魔美が「カニ缶」と最後まで思いこんでいる(笑)お話です。私は小学生のとき、このお話で初めて「価値観」という言葉を知りました。まあ、藤子ファンには常識だと思いますが、ご存じない方は「カニ缶?なんのこっちゃ」と思われるかもしれませんので(^^);

なつかしいネタ

2006年09月07日 02時13分56秒 | 藤子不二雄
昨日、テレ朝チャンネルで放送された「パーマン」#341「なんでも6600倍」を観ました。パーマンがバードマンの悪戯(?)によって、パワーを調整できなくなってしまうというお話です。

左のシーン、一見ラブいんですが(ぶりっ子パーマンはともかく・・・)、この後、パーマンはスミレを意図せず突き飛ばして、なんと怪我させてしまいます。

その後現れるパー子も、しっかり足に包帯を巻いているという芸の細かさが良いです。しかし、よくパー子の正体バレないなぁ(笑)。
それでまあ、パーマンのトラブルはバードマンのせいだったとわかるんですが、それを追及されて逃げ帰るバードマンの姿に、パーヤンが一言。
「これは懺悔やな」
パーマン一同、声を揃えて、
ざんげー!!
バードマン、突然雨雲に襲われて、頭から水をかぶり
ヘコー
これが今回のオチ(笑)

なんとひょうきん懺悔室のパロディを「パーマン」で見られるとは思いませんでした(^^);
(C) 藤子プロ/シンエイ動画

当時の私は「ドリフ派」だったので、あんまり「ひょうきん族」は見てなかったんですが、パーマンたちは「ひょうきん族派」だったことが判明(笑)

というより、「パーマン」で、こんなパロディをやってたんですねぇ。時代を感じさせてなかなか良いです(^^);

器用なチンプイ

2006年09月07日 01時54分06秒 | 藤子不二雄
「チンプイ」作画研究 (1)の続きを書こうと思って初期の「チンプイ」を見始めたら、つい面白くて見入ってしまいました(笑)。そんな中、かわいいチンプイがいたので1枚パチリ。(#1b「おもちゃもラーメンを食べる」より)

チンプイは、マール星の「スパロニ」に似た食べ物ということで、ラーメンが大好物なんですが、こんなゴムマリみたいなドラえもん手で、器用に箸を使ってラーメンを食べる姿に、なんだか癒されました(笑)
(C) 藤子プロ/シンエイ動画

よく見てたら、ちょこちょことシッポを動かす仕草とか、芸が細かくて良いです。

思わずレビューが書きたい衝動が起こりましたが、いつか必ず来ると信じているDVD-BOX発売日まで、はやる気持ちをおさえて待ち続けます。
シンエイ動画さん、発売よろしく

わさドラ迷走の元凶?

2006年09月06日 02時48分55秒 | 藤子不二雄
ごったニメーションblogさんの記事で、近頃のわさドラにおける「サブタイトル前のわけのわからないアオリ」や「ドラミ復活プロジェクト」を仕掛けたと思われる「黒幕」の存在に言及されています。

この「黒幕」なる人物が語っていることが事実であれば、テレ朝は視聴率欲しさに、自称「視聴率200%男」さんとやらに、ドラえもんの魂を売ったことになりますね。

私が不思議でしょうがないのは、「ドラえもん」は確かに現在視聴率10%前後をウロウロしているものの、これは地上波で放送されているアニメ全体の趨勢であって、それから考えれば、相対的に「ドラえもん」の視聴率は決して悪くはないにもかかわらず、ここまで悪あがきをしてまで、視聴率アップだけに必死になっているテレ朝の姿勢なんです。

「ドラえもん」の視聴率は、アニメでは十分トップ10の上位に常に入っています。1位を独走している「サザエさん」ですら、15%前後しか取れないというのが、今のご時世なんですよ。(参考: ビデオリサーチ社・週間高世帯視聴率番組10

いったいテレ朝は「ドラえもん」で何を狙おうとしているのか・・・昔みたいに20%とか30%とか、夢のような数字を取れることでも目論んでるんでしょうか。そこまで現実が見えてないんでしょうか。今はネットもある、CSもBSも、ビデオもDVDも、シネコンも、とにかくありとあらゆる娯楽に溢れている時代なんですから、テレビだけがメディアじゃないんです。というよりも、従来型のマスメディアの考え方では、とらえきれない時代に突入しているんですよ。そんな中で10%も取れるアニメというのは、それだけで御の字に思えてならないんですが、そのあたりを一体どう考えておられるんでしょうか。(もっともこの辺は、テレ朝やアニメに限らないとは思いますが)

そもそも、スタッフの方々は「ドラえもん」の面白さを本当に理解しているんでしょうか。ここでのスタッフというのは、アニメの実制作を担当しているスタッフ(脚本、演出、作画等)という意味ではなく、番組を作る、お金を出す立場のスタッフ(プロデューサー等)という意味です。

小学館もテレ朝もADKも、今まで「ドラえもん」で、どれだけ儲けてきたんですか。作品の本質を歪めてまで、まだまだ儲けたいのでしょうか。若いプロデューサーの皆様、あなた方が子どもの頃に観て面白かった「ドラえもん」は、こんなのでしたか?

そろそろ「ドラえもん」の面白さだけを静かに放送してくれませんか。なんたらプロジェクトとかではなく、毎週30分、原作のエッセンスとアニメスタッフの力で勝負した作品だけを、じっくりと放送してくれませんか。「ドラえもん」という作品そのものは、子どもを惹きつける魅力を十二分に持っているんです。視聴率が取れないとすれば(10%でも十分だとは思いますが、それで満足されないのであれば)、生かし方が下手なだけだと思いますよ。面白い作品を作ってくれれば、きっと視聴率に結びついていくはずです。子どもは「面白ければ観る、面白くなければ観ない」と、いたって単純なんです。それだけにシビアでもあるんですけど。

それが出来ないのであれば、目先の視聴率しか考えないのであれば、そんな方々に「ドラえもんを世代を超えて受け継いでいきたい」などと、白々しいことを語って欲しくはありません。今後ますます不毛な方向へ進み、大山ドラ末期のような惨状(つまり作品の内容そのものまで歪んでしまい、藤子作品らしからぬ方向で笑いを取ろうとするような有様)を繰り返すくらいなら、今のうちにさっさと打ち切って欲しいくらいです

NHKとかCSとか、基本的には視聴率に左右されない放送局にでも、権利を譲り渡してくれた方が、まだ子どもを含めた視聴者にとって満足度の高い作品が出来る気さえしてしまいます。

・・・なんだか熱くなってしまいました(^^);

でも、こういう「俺は視聴率なんて思いのままに操れるんだぁ」などと豪語して、変な方向から時代を演出しようとするようなタイプの人が、個人的に大嫌いでして、そんな人に「ドラえもん」の視聴率アップを委ねてるとすれば、あまりにも由々しき事態だと思い、思い切って書くことにしました。

さっき「ドラえもん」カラー作品集の第6巻を読んでいましたけど・・・やっぱり本当に面白いんですよ「ドラえもん」は。カバー見返しのF先生の優しそうな表情の写真を見ていると、今のアニメ「ドラえもん」の視聴率、すなわち銭金のためのゴタゴタを思い、涙がにじんでしまいました・・・

今年の9/23で、藤子・F・不二雄先生が亡くなってから、ちょうど10年目になります・・・

わさドラあれこれ (2)

2006年09月02日 12時08分17秒 | 藤子不二雄
声優という仕事を考えてみたときに、前回、「縁の下の力持ちに徹しなくてはならない」と書きました。

かつて「NEO UTOPIA」の会誌で、名声優・堀絢子さんのインタビューが掲載されたことがあります。言わずとしれたハットリくんの声で有名ですが、藤子アニメでは他にチンプイ、「新オバケのQ太郎」(1971~72年版)のQ太郎役などを担当しています。

私は「新オバケのQ太郎」の放送当時は生まれてなくて、再放送も観た記憶がなく(観ていたかもしれませんが、だとしても幼稚園くらいでしょう。小学生のときには既にテレ朝でシンエイ版が始まっており、それ以降は再放送もなかったのではないかと思います。覚えてません)、オバQといえば天地総子さんの印象が強いのですが、何故(シンエイ版のQ太郎役が)堀さんにならなかったのかと聞かれ、「お偉い様がお決めになったこと」と、もう一点、次のように答えています。

TV出演が条件だったから。私は声やお芝居の仕事をしているけれど、タレントさんではないから [顔見せ] だけでTVに出るのは好きじゃないのよ。それにこんなおばさんが声をやってます!と出ていったら夢が壊れちゃうでしょ(笑)」(「NEO UTOPIA」第15号掲載記事より引用)

テレビ局というのは、どうしても話題性=視聴率さえ取れれば子どもの夢などどうでもいいと考える傾向があり、子どもの夢を第一に考え、テレビ出演を拒む堀さんの姿勢には、本当に頭が下がる思いです。私がかつて子どもだった頃は、テレビから聞こえてくる声は、あくまでハットリくんの声であり、堀さんの声ではありませんでした。そして、そのことこそが、堀さんを名声優たらしめている大きな要素なんだと確信しています。

もっとも、声優がそのファンの要望に応える形で、テレビに出たり、(出演しているアニメ作品とは関係のない)CDを出したり、コンサートを開いたりすること自体を、全否定するつもりはありません。声優としての経験豊富な方々が、バラエティやドラマに活動の場を広げることも、声優という職業をきちんと務めた上でのことであれば良いと思います。戸田恵子さん、山寺宏一さんなど、多方面で活躍されていますが、あくまで声優として出演するときには、必ず縁の下の力持ちに徹した活動を行っています。これはたいへん素晴らしい姿勢だと思います。

しかし、決して声優としての力量が高いともいえず、アイドル活動などの方を中心にされている「声優」の姿を見ると、やはり本末転倒というか、その人を「声優」と呼ぶことに抵抗を感じてしまいます。これは80年代にその片鱗があり、90年代には定着した感がありますが、私としてはあまり良い気分でその現象を見ていませんでした。

声優人気が過熱していた、90年代の「アニメージュ」などで、ファン投票の上位に必ず顔を出していた林原めぐみさんは、「アニメ声優は、自身が表舞台に立つことで、児童の持つアニメキャラクターのイメージを、絶対に損なってはいけない」※というポリシーがあり、テレビ出演などをあまり好まれないといいます。林原さんは、かつて「チンプイ」のエリ役で、前述の堀絢子さんと共演されていました。当時まだ若手声優だった頃ですが、大先輩でもある堀さんから受けた影響も大きかったのではないかなと、堀さんと同様の発言をされていることが頼もしく思えてきますし、「チンプイ」ファンとしても嬉しい限りです(^^)(※発言内容はウィキペディア掲載記事より引用。大元のソースは不明です)

その昔「声優」という職業がまだ確立していなかった頃、アニメや映画の声を吹き替える仕事というのは、舞台俳優のアルバイトでした。のび太役を長年務めてこられた名声優・小原乃梨子さんの著書「声に恋して」などに詳しいのですが、いま手元にないため引用は出来ません。その昔、劇団四季の俳優も、日下武史さんなどの重鎮が、洋画の吹き替えなどをテレビ草創期の頃に多数担当していたといいます。この頃はまだ「声優」という職業が確立していたとはいいがたい時代でした。時代が下り、テレビ放送が本格化し、洋画の放送やアニメの放送が活発に行われるようになると、声の出演のみを専門的に行う俳優の需要が高まります。それがいわゆる「声の俳優」すなわち「声優」でした。

かなり後になって劇団四季は、ディズニー映画「ノートルダムの鐘」の日本語版吹き替えを、ディズニー側の要請(舞台「美女と野獣」がロングランヒットしていた実績が買われたため)により、演出から出演までフルで担当することになりますが、主人公カジモド役を演じた石丸幹二さんをはじめ、初めて声優をやったということが、信じられないほどの名演を見せてくれました(全員という訳ではなく、ちょっと演技がヤバい人も少しだけいましたが)。前述の日下さんもフロローという、ディズニーキャラでも屈指の悪役を演じていますが、もはや日下さんがフロローそのものといって良いほどのハマリっぷりで、声優って、声が合う、合わない以前にやっぱり演技力が肝心なんだなということを、改めて気付かせてくれたものでした。

話が声優史にまで入ってしまうと長くなってしまうので、この辺にしておきますが、私が言いたいのは、元来声優とは「声の俳優」なんだという当たり前の事実です。

「ドラえもん」の声優交代騒動などを見ていると、この当たり前のことが歪められつつあることを危惧せずにはいられなかったのです。

「ドラえもん」が声優交代騒動の渦中にあったとき、当時、関係者のインタビュー(本当に関係者なのかどうか疑わしいものも多かったように思いますが)としてスポーツ紙などが報じたものの中に、次のような内容がありましたよね。
  • 次期ドラえもん役に泉ピン子さん or 細木数子さんか?
  • テレ朝アナウンサーなどからも公募
  • (ドラえもん役は)子どもでも構わない

つまりアニメにおける「声優」という役割を、「声を演じる」ではなく「声をアテる」程度にしかとらえていないのではないかということです。

大山さんに声が似てればそれで良いのか、同じ声の職業でも、ニュースを正確に読む能力が求められるアナウンサーと、声だけで演技をする力が絶対に必要な声優とは、まるで異質な職業だということに何で気が付かないのか、大人でさえ難しい「子どもに夢を与える」という仕事を子どもに担わせてどうするのか、また声変わりにどう対処する気か、本当に長寿番組にする気があるのかなど、当時の「関係者」に対する不安材料の山積に憂鬱になってしまったものでした。

結果的には、声優選考に携わったスタッフの中にも、良心を持った人がいたのかどうかわかりませんが、選ばれた新キャストはプロ声優が中心の顔ぶれでした。

これには安心しました。安易な芸能人の起用には走らず、新ドラえもん役に大山さんとは全く似ていない声質の水田わさびさん、多数の作品への出演実績がある新しずか役・かかずゆみさんと新スネ夫役・関智一さんという配役に決まったからです。ママなどの脇役にも、かつてのアニメ作品で、ヒーロー・ヒロイン役等で活躍されていた、ベテラン声優(三石琴乃さん、高山みなみさんなど)を配されたのも、たいへん心強いことでした。

とはいっても、声優(ほぼ)初挑戦という新のび太役・大原めぐみさん、当時14歳という年齢の新ジャイアン役・木村昴さんの2人には、かなりの不安を抱かずにはいられませんでした。しかし放送開始から1年半たって、当時の2人に対する不安は、かなり払拭されつつあるのを感じています。

特に大原さんの成長は素晴らしいものがあります。もともと声の雰囲気としては、前任の小原さんに少し似ているのですが、あの往年の名声優・小原さんと新人声優が比較されてしまうのは、仕方ないとはいえ、いくらなんでも可哀相すぎると思っていました。それだけ実力の差は歴然としていました。しかし、大原さんも1年半という長期間レギュラー出演を務め、さらに劇場版も担当したという経験を通じて、今では十分のび太になっていると感じています。もちろん聞く側の「慣れ」もありますが、演技力も着実に身につけてきています。もはや後には退けない、やるしかないという、背水の陣ともいえる環境に身を置かざるを得なかったことで、相当に鍛えられたのではないでしょうか。大原さんの声を「のび太の声」として聞いて、今では納得もできますし、違和感も感じなくなってきました。

声優ほぼ未経験の人を、長寿番組の主役クラスにという、あまりにも無謀というか、見切り発車の感が否めなかった人選も、今となっては結果的には正しかったんじゃないかと思っています。ただ、あくまで「結果として」ですけどね。

木村さんには最初からある種の貫禄がありました(笑)。ただ、演技という面になると、まだ発展途上な面も多々ありますが、彼の場合はこれで限界というわけではなく、まだまだ成長する余地が残されています。なんといってもまだ16歳なんですからね。彼が20歳、25歳になったとき、どんなジャイアンを演じているかで、彼の声優としての真価が問われるんじゃないかと思っています。大原さんにしても言えることですが、ぜひ「ドラえもん」以外の作品にも出演して、演技を磨いて頂きたいです。

「ドラえもん☆ミニアルバム2」に収録された「そこのけ!ジャイアンさまだ」という曲でジャイアンとしての歌声も披露しており、これがなかなか楽しい迷曲です(^^)。木村さん本人は歌が上手いらしいですけどね(笑)

さて肝心のドラえもん役・水田さんですが、最初に声を聞いたときは「ええー!?」って感じでした(笑)。もちろん、大山さんのイメージを引きずった人選は、私が一番避けて欲しかったことではあるのですが、そんなことを思いつつも、26年間も聞いてきた声の印象というのは強いもので、意外な高い声に驚いたのを覚えています。

ドラえもんというより、オバQに合いそうな声だなとも思いました。ちょっと伊倉一恵さんに似た雰囲気も感じていました。最初に聞いたのは「愛・地球博」で流れるというCG映像に当てられた声で、ますますアニメのドラえもんの声というイメージとしては、つかみづらくもなっていました。

それで放送が開始されたわけですが、やっぱり大山ドラの印象があったため、最初は戸惑いもありました。その当時の声は、今も流れるココスのCM(大山時代のアニメをそのままに声だけ変えられたもの)で聴くことが出来ます。

でも、聞いているうちに、だんだん彼女の声をドラえもんとして捉えることが出来るようになってきました。大山のぶ代さんは、ドラえもんを友達というよりも「子守ロボット」である点に着目し、丁寧な言葉遣いに気を配った芝居作りに心がけてきたといいます。

今になって、このことを批判する向きもありますが、私はこのこと自体は悪くなかったと思います。「ぼく、ドラえもんです。ウフフフフー」という特徴的な話し方や笑い声は、これはこれで、アニメ版ドラえもんの重要な要素であり、面白さの1つでもあったのです。そのことを理解していたからこそ、藤子先生は長年、大山さん演じるドラえもんに全幅の信頼を寄せていたんじゃないかと思うのです。

しかし、リニューアル後の作品が「原作回帰路線」であるなら、事情は変わってきます。

ご存じのように、原作のドラえもんは、のび太に対して、わりとぞんざいな接し方もしていますし、のび太のあまりにバカな発言に「アホか」と言い放つシーンまであります(笑)。たしかに子守ロボットではありますが、それ以上にのび太の友達、あるいは兄弟の要素の方が強い描き方をしていると思うのです。原作では「のび太」と呼び捨てです。

もっとも、原作回帰路線といっても「何でもかんでも原作と同じにすれば良い」という性質のものだとは思いません。アニメとして26年間定着していた要素まで変える必要はなく、「のび太くん」というアニメ独自の呼び名も、残して良かったと思っています。

しかし、ドラえもんの性格を原作に近づけるとなると、それまでのアニメ路線の踏襲ではやっぱり何かが違ってきます。そこに水田さんの友達感覚な話し方がマッチしていて、良い効果をもたらしたのではないでしょうか。

新声優の皆様には、前任者が26年やってきたという重いプレッシャーに耐えて、本当によく頑張ってくれていると、一ファンとしてたいへん感謝しています。良い意味で「縁の下の力持ち」として、これからも番組を支えていって欲しいと願っています。

しかし・・・困ったのは番組制作サイドの態度です。

ドラミ役の新声優に千秋さんが決まりました。彼女の声自体は、今のところ無難にこなしていて、今後の作品を観ないことには何とも言えませんが、そんなに合わない声でもありませんし、これから出演を重ねていくうち、しっくりしてくるんじゃないか、役になじんでくるんじゃないかと期待しています。

しかし、番組としての盛り上げ方が、あまりにも駄目すぎます。はっきり言ってしまえば、お寒い演出が過ぎるのです。

冒頭の堀さんの発言などを合わせて考えてみても、「ドラミ復活プロジェクト」などは、子どもの目に触れるところでは、むしろやってはいけないことだったと思います。

何かバラエティ番組などの中でやる分には、そこまで目くじらを立てる必要もなかったと思います。だって子どもがそれを「見ない」という選択だってできるわけですし、親だって見せる必要がないと思えば見せなければ良いだけなのです。

しかし「ドラえもん」の枠内でやってしまうと、子どもは見たくなくても見てしまうんです。ドラミちゃんの声をやってる人が、千秋さんというタレントだと子どもに見せつけることに何か意味があったのでしょうか。子どもにとっては「ドラミちゃんが出ている」ことだけが重要なのであって、それを誰が演じてるかなんて、知る必要のないことではないでしょうか。

そういうこと(声優など)に興味をもつ年齢になれば、子どもだって自分で調べるようになります。それなのに、そこまで至っていない小さな子どもに、サンタクロースの正体を見せつけるようなマネだけは、絶対にやめてもらいたいのです。

こんなこと、藤子先生がご存命であれば、はたして許可したでしょうか。「子どもを見下ろす形になってはいけない」と、ぬいぐるみの制作にまで注文をつけるほど、子どもとドラえもんの距離を大切にしてきた先生が、ですよ。

「子どもがアニメを観なくなった」と嘆く前に、「子どもに観てもらえるアニメを作る」ことが重要なのではないでしょうか。

視聴率は、あくまでその結果なんじゃないでしょうか。「ドラミ復活プロジェクト」やら、サブタイトルの前に変なコメントを入れることをやって、少しでも視聴率が上がったんですか?

本気で子どもたちに何世代にわたって愛される作品にしたいと願っておられるのなら、本当に、お願いだから番組制作者、藤子プロの皆様、もう一度よく考えて頂きたいです。あくまで「ドラえもん」は子どもたちのものです。

・・・気が付けば、ほとんどタグ使わず7000文字以上も熱弁してしまいました(汗)

わさドラあれこれ (1)

2006年09月01日 22時15分27秒 | 藤子不二雄


今日の「ドラえもん」で、ドラミちゃんが初登場しました。

声はタレントの千秋さんですが、細かいことを言えば色々とあるものの、意外とそつなくこなしていたという印象でした。少なくとも私は「千秋さんの顔が浮かぶ」という最悪な想定は、杞憂に終わったと思いホッとしました。

やっぱり声優って、あくまで縁の下(画面に映らない)の力持ちに徹しなくてはならず、またその役柄になりきることが最低限必要なので、その人(声優)の顔が浮かぶことにだけは、絶対になっては駄目だと思っているんです。

私が今まで観た作品の中で、声優を務めたいわゆる「芸能人」で、一番最悪だと思ったのは、顔が浮かびまくり、強烈な嫌悪感が走った、ディズニー映画「ヘラクレス」におけるキムタクの奥さんです(^^);

さて、「わさドラ」こと、今の「ドラえもん」が始まって早1年半となりました。

最初、キャスト、スタッフを一新して全面リニューアルと聞いたときは、もちろんビックリはしましたが、一方では仕方ないかなとも思いました。

だって、末期の大山ドラって、本当に面白くなかったんです(^^); それは声優さんのせいでは決してありません。もちろん、キャストのみなさんの高齢化もあってか、声に元気がなくなっていたことは確かですが、作品が面白い、面白くないということは、声優さんだけの責任であろうはずがありません。

正直に言いますと、最後の5年ほどは、あまり熱心に観てはいませんでした。たまに観たりすると、あまりの面白くなさにイライラしてしまうこともあったんです。これでは「藤子作品ではないな」というのが、率直な印象でした。

中でもオリジナル話のひどさには、本当に目に余るものがありました。

特に藤子色の強い「ドラえもん」のような作品は、仮にオリジナルを作ったとしても、それは「藤子先生が描きそうな話」でなければならないはずです。

キテレツ大百科」は原作も少ないせいか、その意味では完全にオリジナル路線に徹していて、かなり原作からかけ離れていた(藤子先生が描きそうにない話も多かった)ものの、それが逆に作品の魅力を高めたという、たいへん希有で幸運な例なんだと思います。「キテレツ」は藤子先生もお気に入りだったといいます(脚本家・雪室俊一さんのインタビュー、ご著書などによる)。

しかし、原作者が膨大な量の原作を描き、ライフワークとなり、最後まで新作を描き続けた「ドラえもん」となると、やはり「キテレツ」とは話が違ってくるのです。

最低限「少し不思議」かつ「科学的知識の裏付け」があり、なおかつ子どもが観て楽しめる面白い作品という、ものすごく高いハードルが立ちはだかります。それは本当に難しいことだと思います。つまり、それだけ、そういう物語を大量に描いてきた藤子先生が、いかに偉大だったということの証左でもあるのです。

具体的にはどの話か忘れましたが、間違っても藤子先生が描くわけがない、あまりにも適当な科学的知識に基づいて作られたシナリオの作品があったりして、テレビの前で私は思わず「アイタタタ・・・」って顔をしてしまいました。

さすがにスタッフも気が付いたのか、最後の年あたりは、原作をリメイクした作品も増えたのですが、余計なオリジナル要素をつっこんだ挙げ句、原作の魅力を完膚無きまでに叩きのめした作品が連発されてしまいました。

大山ドラ最終回となった「ドラえもんに休日を?!」は、まさにその最たるもので、誰からの圧力だか知りませんが、「オールキャスト総出演」なんて演出を付け加えられた挙げ句、もうメッタメタのギッタギタな演出で、長く続いた大山ドラのフィナーレをドロで飾ってしまう結果となりました・・・本当にあれはひどかった・・・

だから、スタッフ交代はぜひすべきだと思っていたのですが・・・絶対に先頭に立って欲しくなかった、つまり監督になって欲しくない人物が、ひとりいました。渡辺歩さんでした。

これはあくまでも個人的な感想になりますが、あの当時の、渡辺さんの演出や作画が、どうしても好きにはなれませんでした。感動シリーズとか言われている併映作も、どうも私には肌に合いませんでした。映画に使われたどの話も、原作はものすごく好きな作品ばかりです。逆に原作が好きすぎるから、アニメ化されたときの演出にくどさを感じたりしていたのかなと思っていました。

そんな思いは、渡辺さんが監督した映画「パーマン」2本を観たとき、ついに怒りとなって爆発してしまいました。

正直言って「この人、物語を組み立てる才能がない!」とさえ思いました。

映画「パーマン」の2作品では、渡辺さんが監督も脚本も担当しています。私は原作の「パーマン」が大好きです。でも、あの映画には、原作の「パーマン」で描かれている魅力が、ひとカケラもないとまで感じました。

でも NEO UTOPIA の会報誌などを読んでいると、おおむね渡辺さんの作品は、賛否両論とはいえ「賛」の方が多い感じで、自分の見方がおかしいのかなとさえ思ってしまいました。でも嫌いなものは嫌いで、しょうがありませんでした。

テレビ「ドラえもん」のリニューアルが報じられたときは、どうせ監督は渡辺さんがやるんだろうと思って、半ば諦めていましたが・・・結果はご存じの通り、名劇で著名な楠葉宏三総監督に、藤子アニメの演出経験も多い善聡一郎監督という当時は全く予想外の顔ぶれに決まったのです。

そして、キャラクターデザインという役職に、例の渡辺さんが就任したのです。これが意外に素晴らしく、「原作回帰路線」に沿って、原作を重視したデザインとなっていました。これは、私が初めて良いと思った渡辺さんの仕事でした。

結局、渡辺さんは「のび太の恐竜2006」の監督を務めるために、テレビシリーズでは、比較的(彼にしては)地味な役職に就いていたことが後に判明するのですが、渡辺さん自身のゆがんだオリジナリティには逃げず、原作と直球で勝負したようなデザインに持ってきたことは正解だったと今でも思っています。(「のび太の恐竜2006」は残念ながらまだ観ていません。今年末にDVDがリリースされるらしいので、その頃に観ることになると思います。だから感想は書けません)

この後、わさドラ本編の印象、そして重要な水田わさびさんをはじめとする声優陣について、そして「ひみつ道具コンテスト」なんて始めてしまったからには避けて通れなくなってしまったオリジナル話への期待と不安・・・などを書きたいのですが、長くなりそうなので、また後日(^^);

今回の写真について
上の写真は私が持っているわさドラDVDです。最初は録画していたのですが、昨年引越ししてから、テレ朝系の映りが非常に悪くなってしまい、一応は録画してますが、キレイに全話を残すという当初のプロジェクトは消えてしまいました(T_T) うちの地域では、地デジへの対応はもう少し先のようで・・・
それでDVDを購入してるんですが・・・これって全話収録ではないんですよね
毎月1本出してくれれば全話収録できると思うんですが、何故だかやってくれません。もっとも毎月1本、年12本なんてペースではペイできないのかもしれませんが(^^);

TV版 NEW ドラえもん
春のおはなし 2005

ポニーキャニオン
詳細

しっかりしろ正ちゃん

2006年09月01日 06時00分11秒 | 藤子不二雄
仕事が一段落したので、テレ朝チャンネルで先週録画して、まだ観ていなかったオバQ(シンエイ版)を観たわけですよ。#374「身代わりひざまくら」です。

そしたら、あまりにもヤバい正ちゃんがいたので、思わず撮影(^^);

(C) 藤子プロ/藤子スタジオ・シンエイ

念のため補足しておくと、このよっちゃんは、Oちゃん(O次郎)なんです。

よっちゃんがいないのをいいことに、Oちゃんをよっちゃんに化けさせてビキニを着せて眺めるという行動自体が異常ですが、特筆すべきは正ちゃんの顔・・・

気持ち悪すぎです
放送禁止~
(C) 藤子プロ/藤子スタジオ・シンエイ

なんだか今回は変ドラみたいなノリになってしまいました(笑)。いや、ミラー貝入さまには、とてもかないませんけれども(^^);

シンエイ版オバQって、ファンの人気は今ひとつのような気がしますけど、たまにぶっ壊れた話が混入していて、それが異様に面白かったりします(^^);

本郷みつるさんのブログ

2006年08月27日 15時59分03秒 | 藤子不二雄
パンポロリン!」さんで知ったのですが、「チンプイ」でCD(監督)を担当された
本郷みつるさんがブログ「本郷みつる通信」を始められたようです。

本郷さんは、このブログで次のように書いておられます。

 自分で検索してみるとネットでの本郷情報は適当なので比較的正確な作品歴を
 おいておこうと思いたち作業してみました。


・・・ごめんなさい。私も結構適当なことを書いてるかもしれません(^^);

実際のところ、私は「チンプイ」という作品を大好きになって、「演出」という仕事に
興味をもち、「チンプイ」や「エスパー魔美」での本郷さんの演出に注目してきたの
ですが、アニメ業界に身を置いていたわけでも、さほど詳しいわけでもありません。

それに本郷さんが関わられた多くの作品の中でも、私がどの話を本郷さんが演出
されたのかを完全に把握しているのは、「チンプイ」「エスパー魔美」「21エモン」
だけで、あとは「クレヨンしんちゃん」を少し知っている程度という・・・「キョロちゃん」
や「カスミン」は少し興味があったのですが、今に至るまで、断片的にしか観る機会
がありませんでした。(しかも本郷さんの演出回ではなかったし・・・)

近作で拝見したのは「DORAEMON THE MOVIE 25th ANNIVERSARY」くらいです(汗)

その程度で、本郷さんの演出が好きだなんて言ってたら、図々しいにも程があると
思うのですが、私はかなり偏ったアニメファンなので、本郷さんのことは、本当にごく
一部のことしか知らないというのが正直なところです。私は根本的に、「ロボット物」
「レース物」「戦闘物」「スポ根物」というジャンルの作品の面白さを、それほど理解
できていなくて、「IGPX」も・・・数本CSでざっと拝見した程度なんですが、どうしても
まず入り込めるジャンルではなくて・・・「ごめんなさい」という感じでした(^^);

私は「演出」という仕事を、絵コンテを描くとか物理的に目に見える作業ばかりでは
なく、「作品の空気を作る仕事」だと勝手に解釈しています。名監督の作品は、必ず
その監督特有の「空気感」があります。宮崎駿監督、高畑勲監督、J.ラセター監督、
原恵一監督、芝山努監督、そして・・・本郷みつる監督。

「チンプイ」や「エスパー魔美」での本郷さんの演出には、本郷さんならではの空気が
あって、それが当時ものすごく好きでした。いまDVDやCSで見直していても、やっぱり
好きだなぁと思ってしまいます。

実は「ドラえもん」がリニューアルしたとき、私は本郷さんに監督して欲しいと切望して
いました。ぜひ藤子アニメに帰ってきて欲しかったんです。今の楠葉総監督、善監督
の「ドラえもん」も決して嫌いではないし、周囲の歪んだ宣伝戦略さえなければ、作品
の出来そのものは非常に良いと思っていますが、やっぱり本郷さんの「ドラえもん」も
観たかったなぁという気持ちがあって、各話演出や劇場版であれば、今後いくらでも
機会はあると思いますので、そのときが来るのを楽しみに待っています。

さらに、原恵一さんは「オトナ帝国」などで大注目を浴びて、本やインタビューも多数
ありますが、本郷さんに関してはそういうものが多くはなく、謎のベールに包まれた
存在であったことも事実です。ご本人が、こうしてブログで情報を発信してくれるという
のは、作品を研究している立場としては、たいへん有り難いことだと思います。いずれ、
ぜひ「チンプイ」に関する思い出や裏話も語って頂けたらなぁ・・・と楽しみにしています。

ドラえもん 体感タケコプター

2006年08月27日 14時54分23秒 | 藤子不二雄
エポック社、「ドラえもん 体感タケコプター」を9月30日に発売 (MYCOMジャーナル)

なんだか楽しそうなものが発売されるようです(^^)

ドラえもんのひみつ道具って、実質的には実現している機能もあったりしますが
(もちろんプライバシーとか人の脳に作用するようなアブないものは、倫理的に
無理でしょうけど)、タケコプターなんかは、もしやろうとしたら、ものすごい巨大な
ミニヘリコプターみたいになったりして、あんなサイズのものは、到底不可能だと
思っていたら、こういうアプローチで来るとは!

今回のゲームそのものは、見た感じ、たいしたことなさそうですが(笑)、この仕組み
を応用すれば、どんどんドラえもん世界に近づくことも出来るような気がします。
タケコプターで、のび太たちのいる空き地に、ふわ~っと着地するとか、そんなこと
ができたら、ちょっと楽しそうな気がします。

エポック社のおもちゃは小さい頃からよく遊んでいましたが、くうき砲といい、こんな
遊びのセンスは好きですね。そっくりそのままの機能を再現することにこだわって、
いろんな制約に縛られるよりも、たいしたことは出来なくても、子どもが楽しめるもの
を今後も発売して欲しいです。ドラえもんのひみつ道具って、どこかおもちゃ的感覚
があって、それがまた魅力なんだと思いますからね。

以前出た「空とぶドラえもん」ってのも、面白そうには見えましたが、やっぱり現在の
技術で、タケコプターの形状のもので人や物が空を飛ぶ、という機能そのものに無理
があるような気がします。反重力場の開発が先ですね(笑)


ドラえもん
R/C 空とぶドラえもん

大陽工業
ドラえもん
ひみつ道具
くうき砲

エポック社
ドラえもん
体感タケコプター!
~空とぶ大冒険~

エポック社

「チンプイ」作画研究 (1)

2006年08月26日 05時42分17秒 | 藤子不二雄
私は中学時代に「チンプイ」を観て、初めて「作画監督」という仕事を意識するようになりました。

絵のタッチというのは、どれだけそっくりに描いても、描く人によって微妙に異なるものです。作画監督というのは、各アニメーターが描いた原画を修正し、絵柄の統一を図る仕事です。

テレビシリーズでは、特にキャラクターの顔の絵柄の統一を図るのが重要です。その回のアニメ本編中でタッチが異なってしまっては、見る人に違和感を与えてしまうためです。

しかし、テレビシリーズでは、ごく一部の例外を除き、1人で毎週の原画をチェックするというのは物理的に困難です。そのため作画監督は複数いることが普通です。

そこにマニア心をくすぐる、作画監督による個性の違いを見つけるという楽しみが生まれるのです(^^);

この連載(?)では、「チンプイ」の各作画監督にスポットを当て、作画の特徴などについて不定期に語っていきたいと思っています。実はこの企画って、「チンプイ」のファンサイトを作ったら絶対にやりたいと、前々から思ってました(^^);

まず第1回は「チンプイ」の作画監督で中心的な役割を務められたお三方の、ごく初期の絵柄をご紹介します。基本的にメインキャラクター3人(チンプイ、エリ、内木)の画像を中心にご紹介します。

(1) 富永貞義さん (初期)
#1a「エリさま、おめでとう」より (C) 藤子プロ/シンエイ動画

富永さんは「チンプイ」の総作画監督を務めています。オープニング、エンディングの作画監督も氏のご担当です。富永さんは、映画「ドラえもん」の作画監督を長年務めてこられたベテランアニメーターで、「パーマン」「エスパー魔美」などの作品でもキャラクターデザインや総作画監督などの要職を歴任されました。

「チンプイ」では、放送開始直後に 5本担当された後、ちょうど映画「ドラえもん」の作画監督作業に入られて、翌年 #26a 等を数本担当された後も、再び翌年の映画「ドラえもん」に入られてしまいました。そのため、合計わずか9本のご担当でした。

放送第1回のAパート「エリさま、おめでとう」は、富永さんのご担当です。本郷みつるさんの演出で、富永さんの作監というパターンは非常に珍しく、そういう意味でも貴重なのですが、さすが大ベテランの富永さん。非常に安定した作画です。

というよりも「チンプイ」の全ての作画作業は、この富永さんのデザインがベースとなっています。(もちろん、その中で若手作画監督の個性が、素晴らしく発揮されていくのですが、次項で取り上げるお二人の作画を見ても、初期はかなり富永さんの絵柄を意識している様子が窺えます)

一般的に、富永さんがテレビシリーズで作画監督を務められる場合は、ご自身が主宰されるトミプロダクションが原動画を担当するのですが、今回は初回のためか、シンエイ動画が原動画を担当しており、逆に、堤さんが作画監督を務めたBパートの原動画をトミプロが担当しているようです。

上の画像に内木くんがいないのは、この回には登場していないためです。


(2) 堤 規至さん (初期)
#1b「おもちゃもラーメンを食べる」より (C) 藤子プロ/シンエイ動画

堤さんはシンエイ動画に所属するアニメーターです。富永さんと共同で「チンプイ」の総作画監督を務めていますが、富永さんは映画「ドラえもん」の作画監督も兼任されているため多忙で、実質的に「チンプイ」の作画監督では中心的な役割を担うことになりました。氏は「エスパー魔美」でも富永さんと共同で総作画監督を務めておられ、映画「エスパー魔美 星空のダンシングドール」の作画監督も務めました。

「チンプイ」の後、「21エモン」の作画監督を経て、「クレヨンしんちゃん」等を担当。数年前からはCGIクリエイターに転向、シンエイ動画デジタル班で映画「ドラえもん」「クレヨンしんちゃん」などのデジタル合成やCGIを主に担当されています。

「チンプイ」は全56回+SP1回で、合計114本ありますが、そのうちなんと53本もの作画監督を担当されました。堤さんの作画は、目にする機会は多かったんですが、実際に本数を数えてみてこれほどまで多かったとは、ちょっとビックリしました(^^);

放送第1回のBパート「おもちゃもラーメンを食べる」は、堤さんのご担当なんですが、後期の、すごく生き生きした表情の作画に慣れていると、この頃はまだ少し固いというか、慣れてないというか、富永さんを意識しているというか、そういう雰囲気が少し残っているように感じました。氏はこの後、メキメキと頭角を現していきます。

次回、#15前後の堤さんの作画を取り上げる予定です。


(3) 高倉佳彦さん (初期)
#2a「エリさま、花のように」より (C) 藤子プロ/シンエイ動画

高倉さんは、当時じゃんぐるじむに所属するアニメーターでした。「チンプイ」が開始する年の3月に公開された映画「ドラミちゃん ミニドラSOS!!!」で、作画監督を担当されています。それ以前から「エスパー魔美」の作画監督で注目されていました。高倉さんは、たいへん生き生きとした作画が特徴です。

「チンプイ」CDの本郷みつるさんとは、「エスパー魔美」の時点では、あまり組んで仕事されることはなかったみたいですが、映画「チンプイ エリさま活動大写真」で、それぞれ監督と作画監督を担当されてからは意気投合したらしく、「チンプイ」と、後の「21エモン」では本郷演出、高倉作監というパターンが急激に増えていきます。

後に、亜細亜堂を退社した本郷さん、同じく亜細亜堂出身で、後期の「チンプイ」で数本の作画監督を担当する西村博之さん、じゃんぐるじむを退社した高倉さんの3人で、フリー集団「めがてんスタジオ」を結成し、それぞれご活躍されています。3人の出会いのきっかけが「チンプイ」だったとすれば、なんだか嬉しいです(^^) ぜひこのメンバーで、また何か藤子アニメを作って欲しいなと願っています。

放送第2回のAパート「エリさま、花のように」は、高倉さんのご担当なんですが、堤さんと同様に、まだあまり作画がこなれていません。でも上の画像のチンプイは、どこか違う顔なんだけど、なんだか可愛いですね(笑)

「チンプイ」放送開始(11月)の、翌年3月に公開された映画「チンプイ」で作画監督を務めています。本来なら総作画監督の堤さんが担当するところだと思われますが、富永さんが映画「ドラえもん」に入られて、堤さんはテレビシリーズの方の作業に専念する必要があったのだと思います。放送開始が11月で、翌年3月の映画ですから、放送開始の時点で既に映画化は決まっていたのでしょう。ものすごいタイトなスケジュールだと思いますが、おそらく前年の映画「ドラミちゃん」の実績も買われ、高倉さんが担当することになったのだと思います。映画「チンプイ」の時点では、この #2a の頃と随分絵柄が異なっていて、初期に4本担当された後、映画の作業に入られますが、この驚くべき短期間で独自タッチを確立されたんだと思います。テレビシリーズ5本目は映画が終わった後、5月の放送回 #21a でした。合計15本でテレビシリーズの作画監督を担当されています。


次回は、IGタツノコの川崎逸朗さん、亜細亜堂の生野裕子さんと、中期(#15前後)の堤さんの作画を取り上げたいと思います。月に3~4回、不定期に更新します。

つづく

久しぶりにチンプイを観ての雑感

2006年08月25日 08時13分45秒 | 藤子不二雄
火曜の深夜、テレ朝チャンネルで久しぶりに「チンプイ」が放送されたので、
録画しておいたものを視聴。先週は特別編成で放送がお休みだったんです。
久しぶりといっても、わずか2週間ぶりなんですが(笑)

ちなみに「チンプイ」は、一旦全話録画したのですが、LPモードで画質的に
今イチだったため、SPモードで録画し直し中。自己満足は限りなく(^^);

EPGによると、サブタイトルが「惑星シュミレーター」となっていて、おいおい
と思ったんですが、こちらもしっかり同じ間違いが(笑)。同じデータを使ってる
からと思いますが、テレ朝チャンネルってこの種の間違いが多くて困ります(^^);

今回の作画監督は生野裕子さん。「チンプイ」での初作監は #12で、今回放送の
#34まで、計10本(前後編も2本とカウント)担当されました。「ちびまる子ちゃん」
のほか「キテレツ大百科」なども担当されていたので、作画が少しキテレツ風
になるところが特徴です(笑)。全体的に可愛らしい画風で、私は結構好きでした。
チンプイの顔が、たまにまる子風になってたり(^^);

詳しい内容は、DVD-BOXが発売されたとき「チンプイ全話レビュー」を性懲り
もなく計画しているので(笑)、そのときまでは書かないようにしますが、今回の話
(アニメオリジナル話)を観ていて、ちょこっと気付いた点を・・・

F先生は、それぞれキャラが立っている「ドラえもん」の5人組、「オバケのQ太郎」
の正ちゃんを取り巻くメンバーなどの例外はあるものの、基本的にクラスメート
などのキャラクターは、わりとテキトーに描いてしまうフシがあります(^^);

「チンプイ」もそのクチで、チンプイたちマール星人は良いとしても、エリちゃんの
同級生は、内木大江山以外は、まともに描かれていません(^^); 大江山の取り
巻きの少年も、アニメの名前は小政ですが、原作では木常コン三郎という、実に
投げやりな名前だったりしますし(笑)。担任の先生も、アニメでは「日野先生」と
いう名前が与えられてるものの、これは原作第7話に登場した「名もなき先生」に、
おそらく原作第5話の社会科の「日根先生」を混ぜ合わせて付けられた名前と
考えられます。原作後期では担任の顔がまるで違ってますし・・・F先生、そんな
に設定をきちんとは作ってはいません(^^);

そもそも原作は、学校の描写そのものが(特に1~2巻)極端に少ない気がします。
下校中から始まったり、学校から帰ってから、または休日の話が多いです。

スネ美は・・・(^^); このキャラクターは、ちゃんと作られてはいるものの、もはや
ファンサービスっていうか、セルフパロディ的な要素が強いので・・・掲載誌が
藤子不二雄ランドですからね(^^);

ドラえもん」のしずかちゃん(原作はしずちゃん)は、あまり同級生などの女の子
に特定の親しい友達がいるような描写はなく、いつも男の子たちとばかり遊んでる
印象を受けがちですが(笑)、それは作品の上で描く必要がないから描かれて
いないだけ
で、彼女にはちゃんと同性の親友もいます。原作では、しずちゃんの
大親友が転校しちゃう
なんて話が突然描かれて、その親友って、過去1度も登場
したことのないキャラだったりしますから、親友って一体誰だよ、なんてツッコミが
入ったりしますが、それは作品の上で必要性がないから描かれていないだけだと、
私は解釈しています。しずかは主人公ではありませんからね

ところが「エスパー魔美」や「チンプイ」では、女の子が主人公ですから、いつも
高畑内木とばかり遊んでいては、やっぱり少し変です。「魔美」の方では、原作
幸子という魔美の親友が設定されていますが、アニメの方ではノンちゃんという
キャラが別にいて(原作でも少し登場はしてますが名前なし)、この3人組が仲良し
という設定になっています。

ところが「チンプイ」では・・・原作のエリちゃんには、そういう特定の親しい同性の
友達がいません(^^); 少なくとも名前があるキャラクターとしては出てきません。
たぶんF先生の設定のし忘れか、「チンプイ」開始当時は「ドラえもん」を中心に
猛烈な忙しさだった時期なので、「魔美」のような綿密な設定をクラスメートにまで
行う時間がなかったのか・・・そのあたりがアニメ版で補完されているのです。

アニメの方では、エリちゃんの同級生で親友として、ほたるさやかという2人の
少女が設定されています。さやかの方は、原作第5話に数コマ登場した「秦さん
を基本に作った設定でしょう。実際にアニメでは、この秦さんの役目を、さやかが
演じていますし、フルネームの設定では秦さやかのようです。ほたるの方は、
どうやらCDの本郷さんの理想だとか趣味だとか、いろいろと説を聞いたことが(^^);
アニメ「エスパー魔美」後期に出てきた「SF」ってキャラが原型のようです。

ちなみに後期の原作には、このほたる、さやかの2人の髪型を入れ替えたような
キャラクター
が、ほんの少しだけですが登場しています。アニメから逆輸入?

話が少しズレそうになりましたが、そういう感じなので、基本的にクラスメートたち
チンプイの科法で一緒に冒険なんて展開は、原作ではないんです。大江山
たちが科法でやられるとか、何か影響を受けるといった展開はありますが、結局の
ところ、チンプイたちが何者なのかとか、それほど把握してはいない様子です(笑)。

ところがアニメ版では、ほたる、さやか、大江山、小政、たまにスネ美が、チンプイ
たちと一緒に冒険してしまったり、何かに巻き込まれたりという展開が数話あったり
します。今回の #34「惑星シミュレーター」は、そういう最初の冒険で、ワンダユウを
見た小政が「宇宙人!?」と驚いていたりしますので、たぶん初対面だと思われます。

大江山は結構何度かワンダユウに会ってますが「エリの家の変なぬいぐるみ
程度の認識しかなかった様子です(笑)。

原作ではマール星からやって来る人々の描写が中心だったため、クラスメートは
たいして物語には絡まないという点を補完して、アニメ独自の面白さを作り上げて
くれ、なおかつ原作のテイストを損なわない作りにしてくれた、本郷さん、桶谷さん
たち当時のスタッフの皆様には、「チンプイ」のファンとして感謝したい気持ちです。

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