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随時随所楽しまざるなし

詩歌とことわざの起源

2011-01-27 20:17:15 | Weblog
こんばんは。

 ウサギさんと亀さんのかけっこの歌は剣玉遊びの歌でした。歌いながら、剣玉の大皿と煙突に交互に玉を乗せます。「もしもし、亀よ、亀さんよ。世界のうちでお前ほど、歩みの鈍い者は無い。どうしてそんなに鈍いのか。何とおっしゃるウサギさん。それなら向こうのお山まで。どちらが先に駈けつくか。・・・」歌詞が正しいか、自信がありません。歌詞の続きは思い出せませんので、歌詞をご存知の方がいれば、続きを教えて頂ければ幸甚です。しかし、この歌にあまり想いはありません。ウサギの歌の中では「ウサギ追いしあの山。小鮒釣りしかの川、・・・」が一番懐かしく感じています。歌詞は覚えていないなのに、CDのメロディーを聴いていると涙が出てきます。歳のせいかもしれませんが、本当に不思議です。

 ウサギが登場する歌、「待ちぼうけ」を皆さん良く覚えているでしょう。「まちぼうけ、まちぼうけ。ある日せっせこ野良稼ぎ。そこへウサギが飛んで出て。コロリ、転げた木の根っこ。」この唱歌は満州唱歌のため、北原白秋が作詞し、山田耕筰が作曲。辛い野良仕事をしていたお百姓さんの畑に切り株がありました。あわてんぼうのウサギさんが衝突死。「しめた」とお百姓さんはウサギを持ち帰り、ご馳走にありつけました。美味しい運に恵まれ、辛い畑仕事が馬鹿らしくなり、切り株を守り、ウサギを待ち続けました。美味しい偶然は二度と起こりません。畑は荒れ、彼は村中の笑いもの。勤勉を旨とする当時の国民性ゆえか、満蒙開拓への憧れもあったのか、この歌は大ヒットでした。

 この歌詞は中国の古い民話が大基ですが、春秋戦国時代末期、韓非子が説いたたとえ話で有名です。彼は極めて優秀な理論家、弁舌家でした。法に基づく政治を説いた法家の人です。法家の思想は儒教や孔子の甘さを指摘した考え方。韓非子については、後の歴史家、司馬遷が史記に「説難」と題し、詳しく記しています。説くことの災難を説いたのが韓非子でした。その韓非子自身が説いた「説得の災い」を免がれられなかったのが悲しい、と司馬遷が記しました。韓非子は嵌められて獄死しました。その韓非子が説得に用いたたとえ話が、株を守りてウサギを待つ話。韓非子が説いたかったのは勤勉の教えではありません。古い方法を続けてはいけない、新しいやり方に変えろ、と君主に勧めていたのです。なお、矛盾や逆鱗のたとえ話も韓非子の教えです。

 韓非子は、人を説得することの難しさは論法や言葉の間違いや欠陥ではないと、言っています。相手の心に自分の論旨を合致させることが難しいと言っています。名誉欲を好む人に実利を説けば、卑しい奴と軽蔑されます。実利が欲しい人に理想を説けば、浅はかと疎まれます。偶然、相手の秘策に合致した計画を言えば、命を狙われます。たくらみを見抜けば、危険です。計画を察知すれば、秘密が漏れると疑われます。説通りに成功しても、徳ともされません。説通りにしない人が失敗しても、責任を負わされます。偉い人の過ちを指摘すれば、命が危ないです。この後も、ありとあらゆる説得の危険性、即ち現状の誤りを指摘し改革を勧める危険性を彼は述べています。彼が言いたかったのは、革新的な人が思い知らされる世の理不尽さだったのではないでしょうか。

 この話を始めるときりがありません。今日はここまでにします。
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