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求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

日本のリストラ

2020-03-16 04:34:13 | Weblog

 おはようございます。

 20年ほど前の個人的な印象です。関係のあった大企業もリストラをしました。国が音頭とり。人事部門主導の員数合わせの失敗が目につきました。

・ソニー

 都心の高価な不動産を切り売りし、保険、映画、ネット、ゲーム機に投資。立ち直りましたが、株価は大幅に下がりました。

 有力会社にどんがらを売るGE流のアメリカならではのリストラでなく、創始者が蓄えた財産を道楽息子の社長と人事部門が財産と人材を売りました。退職金を払い首にし、ライブドアーにも投資し、辛うじて復活しました。

・富士通

 中村師匠に再会した頃、富士通は存続の危機。リストラの最中でした。人事部門が各部門長に肩たたきさせ、余剰人材をタコ部屋に閉じ込め、再就職活動させました。悲惨でした。させた側は年金でボロ儲けでした。

 独立し成功した友人もいましたが、退職金を株と不動産に変え、スッカラカンになった人もいました。支店、支社は切り離され、苦労した同期もいました。人材や子会社を粗末にして危機を切り抜けました。

・東芝

 GEの事業を導入する超優良企業でした。新卒の時、原子力や計算機の部門長は社長の土光さんを自慢し、入社を勧めました。私は臍曲がり。MIT留学の勧誘も断り、東芝住宅配属をお願いする気もありました。

 数年で住宅事業は破綻し、リストラ。銀座や品川や晴海の広い土地を切り売りし、色々な事業をリストラ。不採算部門を次々切り離し、他社と合併。日本的なリストラを何時まで続けるのか。

・NEC

 旧電電ファミリーの長兄は郵政省の研究所の新技術を真っ先に使え、開発と維持を請け負いました。私が富士通にいたころがNECの絶頂期。

 クロスバー交換機が計算機に替わり、電電公社は民営化されNTTになっても、NEC取締役はNTTと郵政省のポスト。富士通と桁が違うと先輩が言っていました。NECの歴史こそ日本的、お役所的リストラでした。

 私が新規商品企画の時、ビルゲイツ氏は通産省の音頭取りで資金集めに来日。MZが大成功していたシャープは提案を断り、MSがNECと契約し、シャープを眼の敵にしました。NECに神風でした。でも悪い経験でした。

 NECは家電販売店をパソコンサービス店に替え、大成功。MS-DOSを日本の銀行、証券、教育界、通産省が後押し。MS関連株で大儲けしたでしょう。NEC沈没の遠因になりました。

 MSの牙城がベンチャー達に侵食されても、NECは殿様商売。シャープの新事業を女子栄養大学、関西大学、上智大学などが評価し、私も全学統合教育システム用の検索システムを研究できました。

 傾いた液晶、半導体、パソコンなどの事業をNECは次々他社と合弁会社にしました。国の音頭でしょう。ほとんど失敗し、今は官庁関係、警察、警備関係のシステムで生き残りました。日本的リストラの他山の石か。

 今日はここまでにします。

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