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新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

自己推薦書を早く書く

2019-12-23 04:24:02 | Weblog

 おはようございます。

 中学の国語の先生の一言に傷つき、国語が嫌いでしたが、先生が全員に橋のない川の薄い文庫本を読むように勧め、一日で読みました。面白かったと母に言ったら、大したことがない、藤村の破壊を読んでみてごらんと母が言いました。

 日本文学全集が書棚にあり、その中の藤村の破壊、夜明け前、詩などが入った1冊を読み、千曲川旅情の詩にかぶれました。父も藤村の詩が好き。私も藤村が好きだと言ったら、人格は分からないとだけ言いました。

 高校生になり、国語の試験勉強は相変わらずせず、点数だけは良くなりました。高2の夏休みの昭和文学全集が効いたのか、国語の試験も何とかなりそうと感じ始めました。知識は正帰還です。言葉を知るほど早く言葉を学べ、本を読めます。

 著者の経歴の解説を面白く読み、試験によく出る森鴎外もノーベル賞の川端康成も不謹慎な男。太宰治、石川啄木、島崎藤村は性格破綻者かと思いました。私は堅物が好きなのか当時も今も好きな文豪は夏目漱石、芥川龍之介。枕草子と源氏物語の現代語訳。当時売り出し中の三島由紀夫。

 成城学園高等学校に東大国文科卒の先生がいました。彼は口先男と父は思っていたようです。夏休みに赤とんぼや五木の子守歌の歌詞を使い、国語の講習会をしました。課題と説明が面白く、頭の良い女子が多数参加した講習会を楽しめました。

 私は字が下手です。作文が嫌いでした。計算機シミュレーションンの卒論と修論を選びました。会社に勤め、商品企画をして提案書をたくさん書きました。悪筆だから苦労して書類を作りました。手書きの提案書が苦手でした。

 先輩が書類を赤入れされ、私はあまり訂正されず、中村洋四郎師匠当時の課長から戻りました。小型機に移り、岩井麟三事業部長の代筆。3年程で岩井さんがアメリカに転勤しました。

 私は頭にきてシャープに転社。企画書や提案書をたくさん書きました。大学と高校の非常勤も兼務し、高校の夏休み講習会と書類の表紙のモデルで小論文や提案書の書き方を教えました。結果は上々でした。

 園児や小学生が童謡、唱歌、俳句、和歌を覚え、好きな本を読み、中高で本をたくさん読み、自己推薦試験を受けない人もフレッシュマンの時に自己推薦書を書いてみることが良いと信じられました。南無大師金剛遍照。

 今日はここまでにします。

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