goo blog サービス終了のお知らせ 

夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

瀬戸内国際芸術祭 IN 直島

2022年10月22日 16時55分17秒 | 美術鑑賞

曇り時々晴れの高知を
7時30分に出発したのはいいのですが
お仕事を辞めている年金暮らしでは
朝の通勤ラッシュとは関係ない生活をしているので
すっかり念頭から抜け落ちてしまっていて
不覚をとってしまいました。

高知道に乗ったのが8時過ぎで
これでは高松10時14分発の直島へのフェリーに
ギリギリだ~焦る、焦る。
通常の豊浜サービスエリアでの休憩は
おトイレ休憩のみとなって。
何とか直島へのフェリーに乗ることが出来ました。



高松港を離れる四国汽船のフェリー



そう!今日やっと香川県行きが叶った
大学生の孫娘と3人で、秋の開催の瀬戸内国際芸術祭2022
出かけました。
今までに2回、行く予定を立てていましたが
その2回とも台風に行く手を阻まれて
実現しませんでした。


瀬戸内海は秋の雲はありますが、良いお天気です。

約50分で、直島の宮浦港に着きました。

早速、港で出迎えしてくれたのは


草間彌生さん作の「赤かぼちゃ」


内部はこうなっています。



対岸の方には


藤本 壮介氏作  直島パヴィリオン 

浮島現象」をかたどった浮島感のあるパヴィリオン。


三角形のステンレス製メッシュ約250枚で構成され
内側に入ることができ、夜はナイトアップされます。



宮浦港を出て
安藤 忠雄氏設計の地中美術館を目指しました。
が、入場しようとしたら予約制でアウト。
東京の国立西洋美術館でさえフリーに
なっているのに・・・・残念です。

地中美術館の駐車場に車を置き徒歩で
李 ウファン美術館に向かいます。
そこは海と山に囲まれた谷間に、ひっそりと
佇んでいました。


この美術館も安藤氏の設計によるもので


無限門

遥か遠くに海を臨むところにあります。


コンクリートの打ちっ放しで造られた美術館。

中の作品は絵画と彫刻で、少数精鋭なのか少な目。
写真撮影は禁止でしたので、どのような作品か
見せられずに残念です。

リ・ウファン氏は大韓民国生まれ、
日本大学文学部哲学科を卒業、
1960年代後半から1970年代にかけて現れた
「もの派」と呼ばれる現代美術の動向に
主導的な役割を果たす。


柱の広場


無限門 ステンレスと自然石で造られています。

リ・ウファン美術館を出て
もう少し歩いた所にあるベネッセハウスミュージアムにも
行きたかったのですが、時間の都合で諦めて
戻る途中にあった


三島 喜美代氏作 「もうひとつの再生2005-N]

この巨大なゴミ箱にビックリ!


直島町役場の近くにある
ANDO MUSEUMに向かいます。

そこは見過ごしてしまう程(実際に通り過ぎてしまった)
小さな築100年の木造民家の中にありました。


でも中は、安藤さんらしい
コンクリートの打ちっ放し建築で、中には
安藤 忠雄氏が今まで設計した建物模型、スケッチ
写真等を展示しています。


設計した教会の模型。

ANDO MUSEUMを出て駐車場へと
向かっていると


普通の民家の塀もアートしていました。
題 貝殻に乗るネコたち (勝手に命名)


近くでモデルネコ?を発見!





宮浦港に戻ってきました。

近くで食事ができる所を探します。



小さな食堂 ゆうなぎ

メニューはヒラメの定食しかないお店。


私はこのヒラメの煮付け定食 1,500円+税


二人はヒラメの唐揚げ定食。お値段は一緒。

腹ごしらえも済んで、この後はお土産を少し買って
14時20分発のフェリーで高松港を目指します。


遥か向こうに微かに見える瀬戸大橋。


高松の街が大都市に見えますよ~


この後、三豊市の
瀬戸内の天空の鏡 父母ヶ浜 に行きました。


それはまた明日ね


今日も来てくださってありがとうございます。



ピカソとその時代 (国立西洋美術館)

2022年10月09日 21時12分39秒 | 美術鑑賞



楽天オープンテニスの5日目の
デイセッションは午後1時からだったので



渋谷のロフトに出かけたのですが
11時オープンだったので、すぐ前のイケヤで時間つぶしを・・・・
はじめてイケヤに入ったのですが
思っていたより、お値段が安いのにビックリ!

ロフトでは孫娘にバッグのお土産を
買いました。


行くたびに様変わりしていく渋谷。
田舎者には、益々どこにいるのかわかりましぇーん。



そして
2日間テニス観戦が終わった翌日は
東京最後の日。

羽田空港発17時5分の高知龍馬空港行きまでの
時間を、先ずは上野の国立西洋美術館
ベルリン国立ベルクグリューン美術館展
「ピカソとその時代」を鑑賞することに・・・・
それもジャスト10月8日、この日からの
開催でした。


この国立西洋美術館はかの有名な建築家
「ル・コルビュジェ」の建築で世界文化遺産に
登録されています。






それでは
稀代のコレクター、ハインツ・ベルクグリューンが
収集した、日本初公開の76作品を含めた精選された97点と
日本の国立美術館の所蔵・寄託作品11点を加えた
合計108点で構成された作品を一部ですが、
ご紹介いたしましょう。

今回はフラッシュ以外の写真撮影はOKでした。

先ずはこの作品

座るアルルカン】 バブロ・ピカソ

有名な絵なのにあまり人盛りはありませんでした。

【緑色のマニキュアをつけたドラ・マール】 パブロ・ピカソ

パンフレットの表紙となった絵です。

【黄色のセーター】 パブロ・ピカソ

ベルクグリューンは【黄色いセーター】のために
「アルカンサスの葉をダイナミックに彫りこんだ、
金塗りの17世紀前半のスペイン製の額」を
合わせることで「この力強い絵に表されている
ドラ・マールの濃密な表情が、鬱蒼と生え茂る
金の炎の額縁によってさらに強調された」と
語っています。

ベルクグリューンは
よい絵には、それを祝福し、歓待し、よく調和する額が必要である
と語っていて、近代絵画とクラシックな額縁の意外な
組み合わせも、このコレクションのユニークな特色です。

【大きな横たわる裸婦】 バブロ・ピカソ

ナチス・ドイツがパリを占領していた時代の
ピカソの異色作です。

【アルジェの女たち】 パブロ・ピカソ

マティスの死はピカソに大きな衝撃を与えた。
ふたりは長年お互いに刺激を与えあう
芸術上の朋友だった。



】 パブロ・ピカソ

着彩されたブロンズ




ここからはパウル・クレーの
作品になります。

【口数の少ない倹約家】パウル・クレー

クレーの自画像
ピカソと対照的な性格を持つクレーの内省的で
想像力に溢れた作品群。

 

【雄山羊】 パウル・クレー


【黄色い家の上に咲く天の花(選ばれた家)】 パウル・クレー

クレーらしい自由な想像力に溢れた水彩画です。
クレーが兵役に服した第一次世界大戦中の
厳しい現実世界から、天へと伸びる植物に
希望を託したかのような作品です。



次はアンリ・マティスの作品です。


室内、エトルタ】 アンリ・マティス

画面に重なるように配置されて
外の世界を見通させる窓は、内部と外部を
つなぐ重要なモチーフとして
マティスは初期からしばしば描いた。



ここからは常設展です。



【豊穣】 ペーテル・パウル・ルーベンス
 
丘を下る羊の群】 ジャン=オレノ・フラゴナール

柔らかな色彩の輝きと、筆の走りが
18世紀絵画らしい世界を形作っています。


【鳥罠のある冬風景】 ピーテル・ブリューゲル(子)

農民画家として名高いブリューゲル(父)の
原作を、同名の息子が模写したものですが
本作品はそうした模写の中でも、最も優れた
一枚に数えられます。
右側の木立に仕掛けられた鳥罠と
凍った川でスケートに興じる人々の
下の方に穴が開いており、彼らと罠の餌食になる
鳥たちとは同じ運命にある。


【春(ダフニスとクロエ)ジャン=フランソワ・ミレー

柔らかい色調と筆づかいで、無知な二人と牧歌的な
光景を描いています。
ミレーの作品の中でも、古典的な傾向が強い
作品です。

罠にかかった狐】 ギュスターヴ・クールベ

罠に捕らわれた狐の痛みを刻印するかのごとく、
その強張った身体が入念な筆数で描かれています。



【アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)】
ピエール=オーギュスト・ルノワール

ルノワール初期の代表作です。
ルノワール特有の豊かな色彩と、筆づかいが
すでに見られます。

立ち話】 カミーユ・ピサロ
 
教科書で見た絵ですね。

【黄色いアイリス】 クロード・モネ

陽を浴びるポプラ並木】 クロード・モネ


【睡蓮】 クロード・モネ

花や水面の影などに見られる、細部を大胆に
省略した表現は、後の表現主義や抽象絵画につながる
モネの革新性を示すものといえます。

【ジギタリス】 ポール・ランソン

ジギタリスという言葉に惹かれてパチリ。


【ばら】 フィンセント・ファン・ゴッホ

プロヴァンスのサン=レミの精神療養院の庭に咲く
バラを描いたものですが、最晩年の作品に
特徴的な、激しくうねるような筆づかいが
すでに認められます。
この1年後にゴッホは自ら命を絶ちました。



永らくのお付き合いありがとうございました。


今日も来てくださってありがとうございます。



行って来ました。北斎展

2022年08月19日 20時45分37秒 | 美術鑑賞



先日は高知県立美術館

世界が絶賛した浮世絵師
HOKUSAI 北斎 

に行ってきました。


幸いにも写真撮影可でしたので
一部の作品をご紹介したいと思います。

木曜日だったにもかかわらず
夏休み中なので、子供達も訪れて熱心に
鑑賞していました。
コロナを警戒してお盆明けの平日を狙って
行ったのですが・・・・・
見事に想定は外れてしまいました。



葛飾北斎(1760~1849)は、
喜多川歌麿、歌川広重、東洲斎写楽らと並び
江戸時代後期に活躍しました。



これは北斎自画像(肉筆画)
70年にも及ぶ活動期間で描いた作品の
分野は、役者絵や美人画、妖怪絵、風景画など
幅広く、錦絵をはじめとした刷り物にとどまらず
肉筆画や読本挿絵など数多くの作品を発表しました。















葛飾北斎の浮世絵で
代表的な2作品


富士





赤富士




船で生活しているのか
お米のとぎ汁を沼に流した
その音に驚き鷺が飛び立つ・・・



この様な庶民の生活をも微細に描いた。



富士見台なのか
人物はみな後ろ姿です。
右上の軒下には鳥が巣を作っています。
北斎の微細な表現力には驚きです。



北斎の影響を強く受けた
フランス人画家、アンリ・リヴィエールの


エッフェル塔三十六景
ノートルダム寺院より



展示会場を出てベンチで一休みして
北斎の余韻に浸っていて
気づいたのですが
あれ!この美術館って
ギリシャ神殿のよう・・・・今更。


今日も来てくださってありがとうございます。


大阪中之島美術館 & モディリアーニ

2022年06月18日 20時20分34秒 | 美術鑑賞



さあ今日は雨もまずまずで
京都から大阪に向けて出発です。

構想から40年、今年の2月ついにオープンした
大阪市中之島美術館



美術館にしては珍しい黒い外観

そこに現れる



ネコは「シップス・キャット」と呼ばれ



ヤノベケンジさんの作品です。

さあ中に入ってみましょう。



モディリアーニ
愛と創作に捧げた35年―


以下は東京美術の「もっと知りたいモディリアーニ」
から一部引用しました。

(1884年~1920年)

モディリアーニはイタリアのトスカーナ地方の港町、
リヴォルノで、父方は鉱山を経営する実業家
母方は銀行家の比較的に裕福な家庭に生まれました。

彫刻家を目指していたこともあり
中央アフリカのガボンの仮面から影響を受け

(1911,12年頃)

この様な頭部の彫刻を残しています。
この頃からあのモディリアーニ独特の、顔の長い
人物像を描くようになりました。


1918年頃 おさげ髪の少女

ドイツ軍からの砲撃を逃れ
パリから南仏のニースに移り住む。
そこでは農夫や子供を描きました。

1918年頃 若い農夫

珍しく風景画も残しています。

1916年末頃、ジャンヌ・エビュテルヌと出会い
1917年6月、一緒に暮らし始める。

1919年 ジャンヌ・エビュテルヌの肖像


1917年 大きな帽子をかぶったジャンヌ・エビュテルヌ


1917年 青い眼の女(ジャンヌ・エビュテルヌ)

この様にモディリアーニは、ジャンヌ・エビュテルヌを
数々描いています。
彼女を機縁として自らの創作の可能性をいかに
追求できるか、つまりジャンヌはモディリアーニの
芸術上の冒険を支える、あまりに繊細ながらも
ただひとりの確かな存在でした。



ニース滞在中に娘ジャンヌを出産。

1919年 自画像

明らかに自らの死期を悟って描いた自画像。
パレットや上着の念の入つた描写が目立つのに対し
顔は表情に乏しく、自画像でありながら自らを
内面まで掘り下げて描き表すことを
拒んでいるかのようである。


貧困と肺結核の末
モディリアーニは35歳の若さで
1920年1月24日、結核性髄膜炎で
妻ジャンヌのそばで亡くなる。

モディリアーニの死後、放心状態の彼女を家族が
自宅に連れて帰りましたが、モディリアーニの死の
2日後、彼女は妊娠9ヶ月だったにもかかわらず
5階の窓から身を投げてしまいます。

ジャンヌ・エビュテルヌは自らも画家であり
また藤田嗣治のモデルもしていました。


彼女はモディリアーニに描かれることで
愛を感じ、モディリアーニもジャンヌを描くことに
よって、彼の芸術を完結させたといえましょう。



モディリアーニに酔いしれた後は
お腹もすいてきたので・・・・
中之島美術館の直ぐそばにある


リーガロイヤルホテルの14階にある


皇家龍鳳でランチをいただきますよ~



写真を撮るのを忘れて半分かじった大根もち
舌を焼きそうなほど熱々の春巻き
どちらもおいひ~い!


クラゲ、鶏、えび
だったと思います。これも美味しかった。


鶏の皮と・・・・何だったっけ


右側はタイチリソース味
左側はマンゴーマヨネーズ味、濃厚~
これも美味い。


餡かけ焼きそば
これだけいまいちでした。


デザートのありふれた杏仁豆腐。
ところが
今まで食べた杏仁豆腐は何だったんだ~と
思うほど超美味しかったのよ。


お腹も美味しいものでいっぱいになったことだし
バスに乗って高知への帰路につきます。

それにしても
芸術を堪能し、美味しいお食事も堪能した
充実の2日間でした。

でもですよ
ただ一つ残念だったことがありました。
それはバスの発車時間に遅れてくる人が・・・・
それも同じ人が2回も。
ホテルからの出発時間が来ても
ルームキーを紛失して、返せなかったり・・・・
団体行動の鉄則は時間厳守
人に迷惑をかけないこと。

それにしても利用した2つのホテルの
従業員の方のサービスが良かったのよ。
これもコロナ渦で利用客が減っているせいでしょうか?


一人お留守番をしている
おっさん2のために
桂川サービスエリアで大好きな赤福
買いましたよ。
お陰で楽しい1泊旅行でした。


今日も来てくださってありがとうございます。





京都市京セラ美術館 & ポンペイ展

2022年06月16日 20時14分38秒 | 美術鑑賞


没後50年鏑木清方展
を鑑賞した後は、この京都国立近代美術館の
お向かいにある
京都市京セラ美術館
そこにいた。
ポンペイ展の鑑賞に向かいますが
高知では小降りだった雨が本降りになってきました。


この鉄筋コンクリートの近代建築に
和風の屋根をのせた和洋折衷の建築スタイルは
現存する公立美術館としては
最も古い貴重な建物です。

この美術館は昭和8年、昭和天皇即位の礼を記念した
大礼記念京都美術館」としてスタートしました。

戦後「京都市美術館」と名称を変更し
「ツタンカーメン展」や「ルーブル展」などを
紹介してきましたが、
老朽化問題もあり、開館80年周年を機に
平成29年「京セラ株式会社」がネーミング
ライツパートナー企業となり
京都市京セラ美術館」に名称が変わりました。

そして2年に及ぶ工事を経て
令和2年4月4日、リニューアルオープンを
迎えました。


掘り下がって行くスロープを進み
メインエントランスへと下って入ると、両側には
ミュージアムショップとミュージアムカフェがありますが
ホールの天井の高さは以前のままで、
圧迫感があります。


それでは入場して
ポンポンペイ展へようこそ


2000年前の古代ローマにタイムスリップ!

紀元後79年、ヴェスヴィオ山の噴火により、厚い火山灰の下に
埋もれたローマ帝国の都市ポンペイ。
約1万人が暮らした都市の賑わいをそのまま封じ込めた
タイムカプセルともいえる遺跡は、1748年の再発見以来
多くの人々を魅了しています。
本展はポンペイから出土した多くの優品を所蔵する
ナポリ国立考古学博物館の全面的な協力のもと、
日本初公開を含む約120点の名品を紹介。
ポンペイ遺跡でも著名な邸宅の一部を再現展示するほか
遺跡の臨場感あふれる高精細画像など、
2000年前にタイムスリップできる空間演出も
お楽しみいただけます。
高度な文明と豊かな暮らしを今に伝える貴重な出土品を
通して、ポンペイの繫栄とそこに生きた多様な人々の
実像に迫ります。



ここは写真撮影がOKです。


2年前にイタリアに行った時に
ポンペイ遺跡には行ったので、目新しいものは
ないだろうと、高をくくっていましたが


そんな先入観は、鑑賞が進むにつれて
無くなっていきました。

黒曜石の杯
アレクサンドリアの宮廷を彷彿とさせる。


装身具の数々

右端のネックレスは、エメラルドと真珠母貝で
作られて、遠方からの貴重な素材を
ふんだんにあしらっています。

海獣と女神のカメオ

出土された炭化したパン


これは何だと思われますか?
富豪の家にあったと思われる金庫です。

左は仔豚形の錘 右はアヒルのケーキ型
このようなブロンズ製の機能的な日用品も
多数発見されました。

ホールにある壁画?のレプリカ
えっ!これ踏んじゃっていいの?

美しく彩色された壁画も・・・・



私たちが観光したポンペイは
掘り起こされた都市を見ることは出来ましたが
この様な壁画や出土品は見ることができませんでした。
だから今回の展示されている優品を見て改めて驚きました。

ポンペイ遺跡を訪れたら
共にナポリ国立考古学博物館も訪れることを
お勧めします。
どちらか一方だと、ポンペイ遺跡の魅力は
半減したままでしょう。


鑑賞後
リニューアルされた館内を歩いてみました。



この重厚感は89年前のままです。

この先には・・・・



東山を借景した日本庭園が


この庭園は以前からあったにもかかわらず、
館の裏手に位置したために、あまり存在を
知られてこなかったそうです。



今日はここまで・・・
また明日ね。

今日も来てくださってありがとうございます。