夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

箱根の旅 其のⅣ 箱根ガラスの森美術館

2024年02月29日 10時15分45秒 | 美術鑑賞



この日は雪のために
予定していた大涌谷などの観光はできずに
富士屋ホテルでの優雅なランチだけで
終わってしまいましたが
それでも大満足でした。


今夜のお宿は
小田急箱根レイクホテル





箱根レイクホテルの前身は
国民宿舎だったようで、設備はそんなに立派ではありません。






雪はシンシン振り積もっています。
明日の観光は大丈夫でしょうか?



さあ夕食にしましょう!






お子様ランチ
ハンバーグはパクパク食べていましたが
その他は冷凍食品だったらしく
お口に合わなかったようで残していました。
お子様でも侮れない!


【ひとくち前菜 三種盛り合せ】
白子豆腐、北海道産 帆立旨煮、蒸し鶏の旨辛和え

【お刺身三種】
鮪、カンパチ、帆立

【サラダ】

【台物】
国産牛サーロインの溶岩焼き
タレは、南米アンデスの紅塩、柚子胡椒、わさび



【洋皿】
金目鯛のソテーカブのクリームソース

切り干し大根と鶏十目のご飯
(御殿場コシヒカリを使用、小田原いいち味噌の豚汁)

ご飯と豚汁とデザートはセルフサービスで好きなだけ

それでデザートの画像がありません。
撮り忘れました。
食べることに夢中になると忘れます。



食事が終わって益々元気いっぱい!


一夜明けて・・・


一面の銀世界・・・・ここはどこ?



朝食はビュッフェへ形式で
私は和食が好き


おっさん2はやや洋食気味。


これはむこ殿のチョイス。
朝カレーに鯵の干物、和洋ごちゃ混ぜの
若者の朝ご飯。


チェックアウトして



雪景色を楽しみながら・・・


レイクサイド(桃源台)まで降りて行って



芦ノ湖畔まで降りてきました。
ちなみに今日は、荷物はキャリーサービスに
お願いできたので、身軽です。

桃源台からバスで


雪の仙石原を見ながら着いたのは





通常の箱根ガラスの森美術館
どんなだかは知りませんが


雪を被った美術館は
それは幻想的で、おとぎの国に迷い込んだよう。





外の世界はこれだけにして
中に入ってみましょう。






ヴェネチアカーニバルの
仮面を付けたお嬢さん。


天井のシャンデリアもヴェネチア製。





どれもこれもウットリするほど
美しい!












館内もヴェネチア風?


いいですよね。造りが繊細!














これは黄金のイカ




入館券です。



入館券にも使用されている
1500年頃の点彩花文蓋付ゴブレット








ヴェネチアで最高賞を受賞した
日本人女性作家によるビーズフラワー



風にそよぐグラス
うわー折れそう!


展示作品がありすぎて
ここに乗せたのはほんの一部です。
本場ヴェネチアにも行きましたが
こんな素晴らしい硝子製品を一堂に
見られる所はありませんでした。



ショップです。



箱根ガラスの森美術館を
後にして・・・・

またバスに乗って桃源台に戻ります。


続きはまた

今日も来てくださってありがとうございます。

箱根の旅 其のⅢも 富士屋ホテルの歴史

2024年02月28日 11時09分43秒 | 旅行




富士屋ホテルでの
おいしい至福の時を過ごして
館内の見物をします。もう一生来れることは
ないと思いますから・・・・


クラシックなエレベーター表示。


ここで館内の案内をしながら
富士屋ホテルの歴史に触れたいと思います。

(タイル張りの装飾)

富士屋ホテルの敷地面積は7,600坪あります。

創業者は山口仙之助という方で
明治4年20歳で米国に渡り
将来は牧畜事業が有益であろうと、7頭の種牛を
購入し帰国し、慶応義塾大学に入学。


そこで福沢諭吉と出会い、国際観光の重要性を説かれ
牛を売却し、ホテル業を決意する。

この突き当り右側に化粧室があります。)

(ここはクラシックなタイル敷の化粧室)

1878年(明治11年)日本初の
本格的リゾートホテルとして誕生。
バルコニーのある3階建てホテルを建築するも
1883年(明治16年)大火で消失する。


3年後に10室の洋館を竣工する。
1887年(明治20年)15室の日本館を竣工する。
1891年(明治24年)に現在の本館を竣工する。
火力発電により、館内を点灯し
唐破風(からはふ)の玄関を持つ木造洋風建築が完成する。

(市松模様の大理石の廊下の両側に
富士屋ホテルの歴史の展示品がある)

1907年(明治40年)に金谷ホテルの創業者
金谷善一郎の次男正造と、山口仙之助の長女孝子が
結婚し山口家の入り婿となる。

(チャペル)

1923年(大正12年)の関東大震災には
煙突や屋根瓦が大破するなどの被害を受けましたが
玄関部分はガラス戸一枚割れずに残り
大変強固な建物として残りました。


富士屋ホテルに立ち寄り、もしくは宿泊した
有名人には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫婦、
ヘレンケラーやチャールズ・チャップリン、
三島由紀夫、ダグラス・マッカーサーなど



2018年(平成30年)に
富士屋ホテルは140周年を迎えました。
これからもクラシックホテルのパイオニアとしての
誇りを持って新たな歴史を刻んでゆくことでしょう。


(日本庭園もあります)


ショップです。
手前の白黒のコートは安いだろうなと思いながら
値札を見ると、見事に外れて148,000円でした。
うわー!高そうと思いながら次の左側黄色の
スプリングコートのお値段を見ると8,000円くらい
でしたので、割とお手頃価格の物もあります。



以前軽井沢の万平ホテル
珈琲カップを買ったおっさん2、ここでも


買いました。
でも普通のサイズのカップがなくて
これはやや大きめでマグカップぐらいあり
少し不満ながら買いました。


入れる袋は有料なんて言いません。
サッとこの袋に入れてくれました。


このホテルの素晴らしいところは
ホテルマンの接客です。
人を待っていると、「何か御用ではないですか?
お聞きしていますでしょうか?」と
必ず声掛けをしてくれること。
また
「化粧室はどちらでしょうか?」と聞くと
必ず分かる所まで連れて行ってくれます」
すれ違う時は必ず
「こんにちわ」と挨拶があります。



凄く居心地が良いホテルです。

「145年の時を越えて未来へ」という
キャッチフレーズを、ホテルマン皆が共有し
「一生の宝物となるようなご滞在を。」
目指しています。


今日も来てくださってありがとうございます




箱根の旅 其のⅡ 富士屋ホテルでのランチ

2024年02月27日 13時12分04秒 | 旅行



東京大井町のホテルに
落ち着いて、私たちはグッタリだけど・・
孫娘と娘は駅のアトレでショッピング。
若さには勝てませんわ。

翌朝は新宿駅まで移動して
いよいよ小田急のロマンスカーで箱根へ



箱根での全ての乗り物に対応している
箱根フリーパスは便利ですね。



9時20分発の「はこね55号」に乗ります。


行きは展望席ではないけれど
帰りは娘が展望席をゲット!


箱根湯本までは、5人だけれど
箱根湯本からの登山鉄道は娘のお婿さんと
そのお母さんが合流して、
総勢7人での珍道中になります。

お母さんは朝早くに長野県から新幹線に乗り
東京駅で待っていた息子さん(むこ殿)と
一緒にひと便遅れのロマンスカーで
箱根湯本に到着します。


10時52分に箱根湯本駅に着いたので
箱根キャリーサービスに今夜のお宿まで
キャリーバッグの配達をお願いしたら
なんと!ここから上は雪のため
いつ交通がストップするかわからないので
荷物は預かれないとの事です。

ガーン!ショック!

この日予定していた大涌谷の観光も
娘が食べたがっていた温泉黒卵もさようならーです。

でもまあ宮ノ下の
富士屋ホテルでのランチは大丈夫ですので
登山鉄道で宮ノ下まで行きます。



ちょうどホームの広告に
富士屋ホテルがありました。



登山鉄道の赤い車輌です。
スイスの「レーティッシュ鉄道」とは
姉妹鉄道提携をしています。


荷物を持って登山鉄道に乗り込みます。
途中で雪が降りだしました。


雪が降ってランランなお方がひとり


傘をさして荷物を引きずって到着で~す。
道路は水を流して、雪の積もるのを防いでいます。



歴史あるホテルでのランチにワクワクです。
最初、娘が「富士屋ホテルで泊まろうよ。一人6万円するけど」
「なんと!6万円!庶民はそんなお高い所には泊まれません!」
と却下。
そのことが頭に残っていた私が
「それならランチだけ、その富士屋ホテルにしましょう」と
提案して、賛同した次第です。



フロントで荷物と傘を預かってもらいます。


赤い階段を上がると
左側には

雛壇と大きな花瓶に活けられたお花。



あいにく雪は降り続いています。



メインダイニングルームへ



わおー!
社寺建築を思わせる格天井には
636種類の高山植物が描かれ、


天井付近の壁には507羽の鳥と
238匹の蝶が羽ばたき、その下には
十二支を中心とした動物の彫刻が施されています。


違和感を放つこれは・・・


柱の下のトーテムポールのような
鬼の顔は、鋭い目つきで従業員を監督している
二代目の山口正造と言われています。



テーブルのお皿にはメニューが乗っています。


この素敵なお皿は大倉陶園製で
軽井沢の万平ホテルもこちらの食器を
使用していましたね。





私は白のグラスワインを
本当はお肉だから赤のグラスワインに
したかったのですが・・・・
娘にお値段を見せられて、
庶民は尻込みしてしまいました。


さあお食事にしましょう!


最初は
カリフラワーのムース 蟹サラダ添え
少しイクラの生臭みがあるけど絶品。



寒鰆のマリネとタルタルビーツソース
野菜のコンディマン添え
彩りきれいで食べるのがもったいない。
それでも食べた。


蕪のコンソメとブルーテ
スープ皿でくるかと思ったら
デミタスカップで来ましたよ~
少ない!もっと飲みたいよ。御かわりしたい。


パンは三種類きました。






金目鯛のブレゼ ノイリーソース白菜添え
金目鯛もソースも美味しかったので
ソースは全部パンでさらえました。



その間、お孫ちゃんはフライドポテトをケチャップに
つけてひとり黙々と食べて完食!
どおーう!



お口直しのグラニテ
グラニテって?でも冷たくて美味しかった~





国産牛ロースのロティ 菜の花添え
粒マスタードソース
どれくらいの大きさのお肉かなと期待していましたが
思ったよりも小さ目でしたが
程よく嚙み応えもありおいしいお肉でした。
コース全体で考えたらこれくらいが
ちょうどいい。





ピスタチオのクレームブリュレ ミルクアイス添え
クレームブリュレはおいしいに決まっています。

あとは・・・



小菓子
マカロンとフィナンシェ

食後の飲み物は・・・・



珈琲、エスプレッソ、紅茶、ハーブティーから
選んで、私はカモミール茶にしました。




美味しかった!
庶民はこんな所では滅多にお食事はできないから
本当に「清水の舞台から飛び降りる」決意で
きましたが、家族での良い思い出にというか
冥途の土産ができました。


関係ありませんが、入り口にあったメニューです。



食事を終えて出てきたら
メインダイニングルーム「ザ・フジヤ」の
扉が半分閉まっていました。


続きはまた明日ね

今日も来てくださってありがとうございます






本阿弥光悦の大宇宙

2024年02月26日 18時06分26秒 | 美術鑑賞





本館では中尊寺金色堂展をしていましたが
中尊寺には行って、確か観た?
記憶が定かではありませんが、中尊寺には行きました。



東京国立博物館本館

本館から平成館に行く途中にあった大鯨。
どなたの作品か確かめる余裕もありません。


入り口にあった巨大ポスター
キャッチコピーがいいですね!
始めようか、天才観測

さあ観測に行ってきましょう。

「本阿弥光悦の大宇宙」

例によって写真撮影禁止ですので、
画像は多くありませんが、光悦の宇宙を
探って行きましょう。



最初に本阿弥光悦、その人物像に迫ってみます。

光悦は刀剣鑑定の名門家系の生まれ(1558~1637年)で
光悦自身も優れた目利きの力量を持ち、
徳川将軍家や大名たちに一目置かれる存在でした。

国宝の刀、正宗や
同じ国宝の短刀、備州長船などが展示されていましたが
これらを鑑定したのが、光悦だったのでしょうか?

そしてこの展示の最大のお宝



この硯箱


国宝 舟橋蒔絵硯箱
(江戸時代・17世紀)

縦24.2㎝、横22.9㎝、高さ11.8㎝ で
金色の蒔絵に、黒い帯は鉛、その上を立体化された銀板文字が
踊るように散りばめられています。

どのような文字が散りばめられていたのか

源 等 が詠んだ和歌

「東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひわたるを知る人ぞなき」



黒い鉛の部分に上の句の文字を入れていますが
中央部に文字が無く、空白になっています。
意図して舟橋を入れなかったようです。

この黒い鉛を張った部分を橋とみなし
舟橋の文字を入れずに、絵で表現しています。


次は光悦の書について・・

(これはクリアファイルです)

重要文化財
鶴下絵三十六歌仙和歌巻

俵屋宗達の絵の上に、光悦の筆がはいった一巻です。
この長い巻が二竿、展示室の天井で揺らいでいました。


飛び渡る鶴の群れを、金銀泥で描いた料紙に
平安時代までの三十六歌仙の和歌を
散らし書きした一巻です。
鶴の上昇と下降、群れの密度に合わせて
字形と字配りを巧みに変化させています。

光悦の書の凄さは、上の線のように見える「」の文字の
書き始めと書き終わりの細い「命毛」といわれる
筆運びにあります。

また光悦の書は
ひとつの中に、楷書、行書、草書が混ざっている
ものもあります。
このように物事に捕らわれない
表現力は、光悦が信仰していた日蓮の教え
法華経に基づいています。

因習や伝統を壊していくことは
芸術家に必要なことです。



次は
光悦茶碗ー土の刀剣について・・

口づくりや腰、高台の形はさまざまで、
定型のない個性的な光悦の茶碗。
大胆に箆(へら)削りを残していたり、
ざらざらとした素地の土そのままであったり
一椀一椀、実に表情豊かです。







重要文化財

黒楽茶碗 時雨


走り走りの
本阿弥光悦の大宇宙」でしたが
光悦の芸術は宗教と結びついており
物事に捉われない表現力は
現在の芸術にも通じるものであり、
光悦のマルチな才能に触れて
天才観測は大成功裏に終わりました。



歩き疲れ果てて、それでも渋谷まで移動して




台湾料理の麗郷

ここは大昔の40年も昔に行ったことのあるお店。
あの頃とお味が変わっていなければいいのですが・・・・


先ずはこのお店のポピュラーな



腸詰とシジミ

お味は40年前と少しも変わっていません。感激!


豚肉の角煮


ビーフン炒め(これだけイマイチ)

空芯菜炒めと、アワビの煮物は品切れで残念!


エビチャーハン


ちまき


大変美味しく頂きました~
次回に行った時は、人気のバーワンを
オーダーしよう!


次回は、いよいよ箱根です。


今日も来てくださってありがとうございます





家族旅行 其の壱 築地&スカイツリー

2024年02月25日 21時37分42秒 | 旅行



2回、スマホからの更新でしたので
短いブログになりました。

今日、日曜日に帰ってきました。



さて旅の始まりは
連休前の22日、高知からの孫娘と私たちの3人と
関東近郊の娘とお孫ちゃんが
今夜泊まるホテルに合流して、荷物を預けて
まず出かけたのは築地。
あいにくの雨の中、傘をさして人混みの中で
入ったのは、



寿司清さん。


こんなお寿司のラインナップ


私的には、酢の強い寿司飯に少し不満が
残りましたが、概ねは美味しかったです。
私としては、ほのかに利いた酢飯が好みです。

お腹がいっぱいになったので
築地駅に戻る道すがら築地本願寺

「明暦の大火」や関東大震災の火災で
2度消失しましたが、1934年に再建されたのが
現在の姿です。


この本堂は、アジア各地を旅した
東京大学の名誉教授で建築家の伊東忠太博士と
シルクロードを旅した大谷光瑞僧との出会いで
誕生した、木造ではない、石造りのお寺です。

冷たい雨が降る中、次に向かったのは
東京スカイツリー。
私と孫娘は行ったことがありますが
おっさん2は、最初に行った時に風が強すぎて
展望デッキには上がれませんでした。
今回は2度目の挑戦は・・・・・視界不良。
なんと不運なおっさん2。






450メートルの展望回廊フロアへ


天井が透けているエレベーターで・・





透明の床でも平気!
大人はみな恐ろしや~


その後は東京国立博物館

地下鉄を使って上野駅に行ったのですが
地上に上がったら、いつものJRの駅とだいぶ
離れた所に出てきた。
それから歩き疲れた脚に鞭打って、歩く歩く
せめて閉館の1時間前には入りたい。

やっと本館に到着して
ローソンで発券したチケットを出すと
本阿弥光悦の大宇宙」展は平成館とのこと
また急いで歩いてやっと入館した時は
4時ちょうどでした。


続きはまた・・・・


今日も来てくださってありがとうございます。