夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

新型コロナウイルス・・・・との関係?

2020年02月29日 13時38分05秒 | ガーデニング


白梅

「白梅のはじめは草のいろなりし」 小島 健



(花の歳時記より)




ずっと気にかかっていた
確定申告の期限が4月16日迄と
延期になって喜んだのも束の間、
こんな四国の田舎でも、
新型コロナウイルス発症が、確認されました。

2月5日~12日まで
イタリアに行っていましたが
その時にホテルの部屋でニュース番組を
見ていたら、しきりに新型コロナウイルスの
ことを取り上げていました。
でもその時は、イタリア国内で一人か二人が発症している
程度でしたが、26日現在は感染者400人
死者は12人になっています。

そんなイタリアから帰ってきて
2週間以上経った今、感染していなかったと
安堵していますが
25日~28日まで東京に行っていました。
そしてこのうちの2日間は
東京ディズニーリゾートに行って
風が吹いて寒い中
二人の孫と娘とで楽しんできました。
そして帰ってきたら
その翌日からディズニーは休園になったとか・・・・・

イタリアもディズニーも
新型コロナウイルスが発生する前から
計画していたことでしたから
無事に事なきを得て
楽しむことができて良かったと
思っています。

でも心配なのは旅客機です。
乗降時の機内の消毒は
1便ごとにしているのでしょうかね。

とにかくマスクと手洗い消毒は欠かせません。


わたちも
マスクをちていまちゅ!



25日、東京初日に
お台場の
ダイバーシティに向かって歩いていると

こんなにたくさんのチューリップが
出てきていました。
これが一面に咲くときれいでしょうね。
立て札には3月中旬~下旬頃に咲くと
書いていました。

色々な色のパンジーのタワー



造園業者は設えでアピール

一面のポピー
春ですね。

中央の建物がフジテレビ
その左側の薄茶色の建物がダイバーシティ東京。

この中の💩ミュージアムに行く目的だったけど
入場料が1800円もすると聞き
田舎者のケチおばさんは
💩ごときに1800円も出せるかい!と
入らずじまいでした。

沈丁花もこんなに咲いていました。

馬酔木も満開
はて?マイガーデンの馬酔木は・・・・・
帰ったら見てみましょう。

これがかの有名なガンダムね。


これは💩ではありません。
巨大な綿菓子。

パレットタウンの観覧車は
世界一高い観覧車だと
乗った時に放送でアピールしていましたが
ネットで確認したら、世界で10番目に
なっていました。
造った当時はそうだったかも知れませんが
世界はとどまってはいません。
新しい情報にするべきでは・・・・・・

一周16分で、全面ガラス張りのスケルトン
タイプも有りますが、流石に高所恐怖症の
私はお断りしました。

晴れた日は富士山も臨めるとか・・・・・

レインボーブリッジも見える・・・・・
あっビルの後ろ側で見えない。
右に微かに見える塔は
東京スカイツリー。



オッサン2は
チャンとヤマト君の面倒をみてくれているかなあ
気掛かりです。


今日も来てくださってありがとうございます。




ヤマト君が・・・・・・

2020年02月24日 16時12分06秒 | ねこ

19日のブログで
ヤマト君は「ワイルドだぜ!」と書いたこと・・・・・
愚かでしたね。

土曜日に動物病院に
経過を見るための再診に行きました。


ヤマト君、今日もおとなしくニャンとも言いません。


ヤマト君の足をみるなり
先生は顔をしかめるて「これはダメだ!」と一言
「足が腐ってきているから、切らないと・・・・・・」
「エッ!」
絶句
「放っておくと、毒が全身に回って死にます。」

そんなこと全然、思ってもいませんでした。
注射も2本打ったので、これで治るものだと
ばかり思っていましたが
「金曜日からやけに変な匂いがすると
思っていました。それだったのですね。」


「腕の付け根のあたりで切ります」と先生
「エッ!先生、下の関節ではダメですか」
「腕を残すと、そこを地面につけて、そこからまた
ばい菌が入ったり、かえってバランスが悪くなります。」
「わかりました」
悲しいよ~
治ってまた庭を二人で?歩けるとばかり
思っていたので・・・・・

先生は「細いロープのようなものが
巻き付いていたか
罠にかかっていたか、どちらかですね。」と
言います。
私はきっと猪用の罠ではないかと思います。
かなり抵抗したのでしょう。
帰って来た時は、首輪をしていませんでした。



だから今日は
手術の成功とヤマト君の回復を祈願する
御守りとして、首輪を新調しました。

黒い毛に似合うオレンジ色で鈴付きです。

残念ながら
私は以前から決まっていた
孫との東京行きが明日からなので
27日の手術にはオッサン2がつれていきます。
術後は1週間ほど入院しなければ
なりません。

ヤマト君がんばれ!





ツルニチニチソウが咲きました。
きれいな紫色です。

この紫色はプルモナリア
これはたくさん咲くと庭の主役になります。

ピンクの忘れな草も咲きました。
こぼれ種からの物を、庭のあちこちに
植えました。ピンクは葉も赤いようです。


これは種から育てた
金盞花ブロンズビューティー
お気に入りの花です。

早くもベロニカ・オックスフォードブルー
が咲きました。


チューリップが出てきたと思ったら
どうもこれはヒヤシンスのようですね。


春は足早に来ています。

ヤマト君
前足無くなっても
ずっとずっと一緒だよ。



今日も来てくださってありがとうございます。



イタリア旅行記 ㏌ ポンペイ

2020年02月22日 21時57分46秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・6日目・・・・・・・

イタリアに来て初めて、
空模様が怪しい朝です。


オッサン2のリュックサックに、傘を2本入れての、
イタリア最後の観光はオプショナルツアーで
ナポリとポンペイ遺跡に行きます。

ミモザの花が咲いていました。

ローマから250㎞南下して
途中休憩を挟んで約3時間でポンペイ遺跡に
到着ですが、その前にお約束の

カメオ工房に立ち寄ります。
でもカメオは既にヴェネツィアで購入済みです。
同じ様なお花のカメオを探しますが
見つけることはできませんでした。
妖精の顔が多いようです。


貝を彫っているところです。


カメオ工房を出ていよいよ
ポンペイ遺跡です。


ポンペイ遺跡はナポリの南東22㎞の所にあり


都市の8割が発掘され、60以上の遺構を
見学できますが、あまりにも広大なため
ガイドさんが見どころを押さえて
案内してくれます。

この植物は遺跡の壁画にも
描かれているとか・・・・・



当時は海に面した活気ある港町でしたが
西暦79年8月24日に起きたヴェスヴィオ火山の
噴火により火山灰、火砕流、土石流に襲われ
僅か2日間で跡形もなく埋もれてしまいました。


約5,000人を収容できた大劇場。
悲劇や喜劇を主に上演したとか・・・・・


両側が歩道で中央が車道です。
車道には今も荷車のわだちが残っています。


飛び石の横断歩道。



共同浴場(テルマエ)は社交場としての
機能も果たし、男女別に分かれ脱衣所も
ありました。

ポンペイには約25軒もの買春宿「ルパナル」
があり、

外国人にも分かるように
サービスの内容を表すフレスコ画が
鮮明に残っています。



この様なベッドも残されています。

街の目抜き通りのアッポンダンツァ通り

一般市民は各所に配置された泉に
水を汲みに来ましたが

富裕層の家には水道が引かれていましたし
この様なモザイクタイルが敷かれて
玄関にはアトリウムと呼ばれる水盤を置いた
スペースがあり、雨水を溜めていました。

また発掘により
豪商の家では堅固な金庫が見つかり、
そのそばで主人が、財宝をかき集めたままの姿で、
息絶えていたそうです。


アポロ神殿


当時のポンペイの人口は、
15,000~20,000人でしたが
町の北西10㎞にあるヴェスヴィオ火山の
噴火により、押し寄せた火砕流や有毒ガスにより
一瞬にして、約2,000人の人が犠牲となり
5mの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が
当時の人々の生活をそのままの状態で
保存しました。


生き埋めになった人達が、後に発掘された時には
遺体部分だけが腐敗消失し、
火山灰の中に空洞ができていました。
考古学者達はここに石膏を流し込み、
逃げ惑う市民の最後の瞬間を再現しました。


母親が子供を襲い来る火砕流から守ろうと
した様子や、飼い犬が悶え苦しむ様子などが
生々しく再現されました。


たくさんの出土品。

1748年に本格的に発掘が始まり
多くのワインを運ぶためのつぼが出土し
主な産業はワイン醸造だったことが伺えました。



また「ポンペイレッド」という

壁画の鮮烈な色合いや、地中から次々と
現れるローマ時代の遺品の美しさの秘密は
火山灰を主体とする火砕流堆積物の成分には
乾燥剤として用いられるシリカゲルのような物が
含まれていて、湿気を吸収しました。
この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため
壁画や美術品の劣化が最小限に
食い止められたといいます。

ポンペイの悲劇が皮肉にも
古代ローマの栄華を今に伝えることに
なったのです。



遺跡の出口で

猫のキャットフードを横取りして
食べるワンちゃん。


ポンペイ遺跡を後にして
ナポリへ

交通規制により
添乗員さんから街に入れないかもしれないと
言われていました。が
大丈夫でした。

車窓観光のみです。

ヌオーヴォ城

凱旋門のレリーフが見どころらしいのですが・・・・・



プレビシート広場かな?

ウンベルト1世のガッレリア


洗濯物を干しているのが
いかにもナポリっぽい。


ナポリのプレビシート広場辺りを
バスは1周して、再びローマを目指します。
イタリア最後の観光が終わりました。

(ほぼここまで書き終えていたブログを
不注意で消してしまいました。2度同じことを書きました。
ふぅ疲れました。寝ます。)


今日も来てくださってありがとうございます。




イタリア旅行記 ㏌ ローマ

2020年02月21日 16時19分20秒 | イタリア🇮🇹旅行

チヴィタ・ディ・バニョーレージョ
を後にして
バスはトスカーナ地方を駆け抜けて
135㎞先のローマを目指します。

午後2時、ローマに着いて
先ずは腹ごしらえです。
今日はピザのランチで、楽しみです。


このお店に入りました。



ピザ窯の前にはイタリア人ではなくて
東南アジア系の人が焼いています。
33人分のピザを焼くのだ・・・・・・

ガス無しのミネラルウォーターをオーダーしました。
ヨーロッパの水は硬水なので
少し違和感があります。
先ずは山盛りの野菜が出て来ました。
これは嬉しい。

2種類のピザということですが・・・・・
上に乗っているものが半分、半分ということね。
かなりビッグです。

やはり全部は食べきれませんでした。
お味は・・・・・・・・?
ドロミティに行った時に、添乗員さんが
連れて行ってくれたお店の
ピザは最高に美味しかった。

オッサン2のアメリカンコーヒーと
ミネラルウォーターで確か€6.00

ランチの後は徒歩で、「ヴァチカン」の観光です

サンタンジェロ城に架かる
サンタンジェロ橋の前の像の
頭の上に乗るカモメ。


あっ
ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が
見えてきました。

ヴァチカン市国は、日比谷公園の約3倍弱の
国土に聖職者や護衛など800人が暮らしています。



1505年にローマ法王のユリウス2世が
スイス人の衛兵隊を置いて以来
ヴァチカンの警護には
スイス人が従事しています。

ここまで来ると
イタリア人のガイドさんが
「今日は入場者がそんなに並んでいないから
サン・ピエトロ大聖堂に入りましょう」と
言ってくれました。

世界的にそうですが
中国人観光客が何処にもいなくて
観光がスムーズに進み
朝食時にも居ないので、静かに
ゆっくり食事をすることが出来ました。
サン・ピエトロ大聖堂の入場者の列にも
中国人は一人もいませんでしたので
ガイドさんが入場することにしてくれました。

出国する前から新コロナウイルスが
日本にもクルーズ船を中心に
広がりつつありました。
本当に迷惑な中国ではありますが
そのお陰で(不謹慎かもしれませんが)
私達観光者は
ゆっくり、じっくりと観光が食事が
出来ました。
でも街中のお店や観光地、ホテルなどは
売り上げがガタ落ちだとか・・・・・

入場して直ぐに
目に入ったのが右の方にある
ミケランジェロ作の
キリストの死を憐れむ聖母マリア像の

「ピエタ」 1498-1500年

古典的な調和、美、抑制という
ルネサンスの理想の最終到達点ともいうべき
完成度を誇り、ミケランジェロの数多い作品の中でも
とりわけ洗練され精密を極めた
ものとなっています。

ジャン・ド・ピレール・ド・ラグロラ枢機卿からの
依頼を受けて、ミケランジェロは大理石の
一枚岩にピエタ(哀悼の意味)像を彫りました。
完成した時、30代のキリストに対して
若々しい聖母マリア像に
枢機卿は非難しましたが
ミケランジェロは
「原罪のない聖母マリアは歳をとらない」と
断言したそうです。

2度の破壊行為にあい
今は防弾ガラスガラス越しに見ることができる
ピエタ像ですが、
その慈愛に満ちた神々しい姿は
見る者を優しく包み込むオーラを放ち、
見ていると何故か、涙が溢れてきます。

「ダビデ像」と並ぶミケランジェロの
最高傑作と言われています。


大聖堂の中を歩きます。


この大聖堂は16世紀にユリウス2世の命で
再建が始まり、ラファエッロが担当した後、
1546年にミケランジェロが
主任建築家に任命され
歴代建築家が仕事を継ぎ、1626年に
世界最大のカトリック大聖堂が完成しました。



この大天蓋は、先のサンタンジェロ橋を
設計したと同じベルニーニが彫刻を
施したそうです。


床にも注目!
色大理石をふんだんに使用しています。


右側の建物の2階の、右からの2番目の窓から
昨年11月に来日したフランシスコローマ教皇が
日曜日には手を振るそうです。

17世紀にベルニーニが設計した
バロック様式のサン・ピエトロ広場。

中央に立つオベリスクは
3代皇帝カリグラがエジプトから運ばせたものです。

約半世紀前にこの辺りで、コカ・コーラを
飲んだことを思い出しました。


ヴァチカンを後にして
バスに乗って、ローマ歴史地区の観光に行きます。

車窓からのコロッセオ

途中、「ローマの休日」でおなじみの
「真実の口」がある
サンタ・マリア・イン・コスメディン教会の前を
通りましたが、長い行列ができていました。

バスを降りて、しばらく歩くと

ひとだかりの「トレヴィの泉」がありました。


この泉に背を向けてコインを1枚投げ入れると
ローマ再訪が叶うといいます。
但しコインは予め財布から出しておくようにと
ガイドさんから言われました。
スリが財布を何処に入れたか
見ているそうです。

泉のそばのこのお店で
またジェラートを食べました。
ベローナより安かった。
確か2種類盛ってもらって€3.00でした。

スペイン階段ではすっかり夜になって
しまいました。
以前はみんなが階段に座っていましたが
今は座ることは禁止され、座っていると
注意されます。


スペイン階段の上の方にあった
革製品のお店。
時間があったら入りたかったのに残念!

下のバッグが良さそうだった。


観光の後、レストランで夕食です。

何故か今日は生ハムなどの
前菜が出ました。
阪急さん、切り詰めていた予算に少し余裕が
出てきたのか、はたまた思いのほか
オプショナルツアーの参加者が多かったので
お金が余ったに違いない。
と下衆の勘繰りをする私は
ゲスの極み?

このまえに確かパスタが出ました。


デザートはアイスクリーム


ランチ時間が遅かったので
お腹が空いていなくて、少し残しました。
でも美味しかったです。


これから少し郊外にあるホテルに行きます。
ああ!疲れました。


今日も来てくださってありがとうございます。



イタリア旅行記 IN チヴィタ・ディ・バニョーレージョ

2020年02月20日 22時24分31秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・・・5日目・・・・・・・・

唯一バスタブ🛀の無かったホテル
ウォールアートを後にして
さあ
今日はこのイタリア旅行で一番
行きたかった所です。
この未だに名前を最後まで言えない
チヴィタ・ディ・バニョーレージョに行きます。

バスで約3時間・・・・・
そろそろかな・・・・・・と思っていると
あっ!あれかな?

何か天空の城のようですね。ワクワクです。

このチヴィタの歴史は、ローマより古く
2,500年以上前にエトルニア人によって
作られたそうです。

手前の町で私達はバスを降りて
シャトルバスに乗ってここまできます。


そこから坂を下って橋の入り口まで行きます。

橋の入り口まで着きました。
入場料を払って、いざっ!

15分ほどこの坂道の橋を渡っていきます。
長さは300mほど

このチヴィタは火山噴火によってできた凝灰岩で
できておりもろく、雨などの侵食を受け
またイタリア中部という
地震の多い土地柄もあり、これまでに
何度も地震にあい、
1764年の大地震においては、隣町に通じる
道が崩壊し、多くの住民が町を離れることになり
チヴィタは廃墟の町となりました。

やっとサンタ・マリア門に到着です。
きつかった!


現在のチヴィタの住民は10~15人程です。
ニャンコも含まれているの?
(ヤマト君を思い出しちゃった。どうしているかな)



本当に古い町です。


唯一の教会がありました。

古い質素な内部




大地震の後には、老人と崩壊した町が
取り残されて「死にゆく町」となりました。

有料のおトイレ。
女子トイレの前で待っていたら
管理しているおじさんが、男子トイレが空いたから
こっちに入ったらと勧めてくれたので
男子トイレで用を足しました。


「死にゆく町」はインターネットが発達した
今日、ここ20年程で世界の人達に
知られるようになりました。
そして年間30万人が訪れる
大観光地となりました。


廃墟と化したチヴィタ

現在のチヴィタ・ディ・バニョーレージョ


夕食時
同席した若い女性に
「モンサンミッシェルとチヴィタ・ディ・バニョーレージョと
どっちが良かった?」と聞いたところ
「断然モンサンミッシェルの方が良かった」
とのこと・・・・・・・・・・

あっそうなの・・・・・・・・


今日も来てくださってありがとうございます。