夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

東洋文庫ミュージアム & 六義園

2024年10月04日 16時34分14秒 | 美術鑑賞




下館駅、12時5分発の電車で
もときたルートで戻ります。

本当は下館駅から更に反対方向に
足を伸ばして、JR水戸線の勝田駅で下車して
ひたちなか海浜公園の一面に紅葉したコキア
見に行きたかったのですが
紅葉には少し早かったようなので
今年は諦めました。



小山駅から東北新幹線に乗って
東京駅には13時15分頃の到着で
これから山手線で駒込駅で下車してここ


東洋文庫ミュージアムに行くことにしました。

さて駒込駅南口には出ましたが、どちらの
方向を目指せばいいのやら・・・・
そこではた!と手を打ったばあさんは
スマホを取り出して、東洋文庫ミュージアムへの
経路案内で➡方向に進んで8分で到着です。



ご招待のチケットを見せて入場しましたが
先ずは腹ごしらえをと、レストランへの
入口を教えてもらいます。



知恵の小径と名付けられた道の壁には
アジア各地の名言が原語で刻まれています。



名言よりは早くレストランに入らないと
ランチが終わってしまいます。


突き当りのオリエントカフェ


カウンター席に案内されて
もうすぐに、入口メニューにあった
魚介のルンダンをオーダーしました。
お腹が空いています。


スープとサラダより先に来た魚介のルンダン。
ばあさんの腹具合を察知したのか~

色はカレーっぽいですが、違います。
ココナッツミルクの甘さとスパイスのスパイシーさと
風味が複雑な絡み合い、程よくマイルドで
コクがあって美味しい!


後から来たスープとサラダ。

ここはどうも小岩井農場関連のレストラン
のようです。

魚介のルンダン、美味しかったので
パンでお皿に残ったスープをさらえて食べました。

ルンダンはインドネシアのスマトラ島の
伝統料理だそうです。

2,900円



お腹が満たされて
東洋文庫の展示館の方にいざ!



天井まで本、本、本で埋め尽くされています。
触るのは厳禁!


この一冊、一冊がアジアの貴重な古書
なのでしょうか?



古代エジプトの象形文字の辞典。



蘭亭序は王義之が永和9年(353年)に詩会を催し
その時の詩集の序文を揮毫されたのが蘭亭序です。
王羲之の書の中で最高傑作と言われている蘭亭序
文字造形や表情が豊かで、情景を思い起こさせる
雰囲気があります。












このような博物館があるなんて知りませんでした。

それぞれの時代の知識人が
後世に文字で残した、膨大な蔵書。
まさしく人間でなければできないの遺産です。


有難く未来永劫引き継いでいくことは
私たちの責任でもありますね。






少しだけ知識人になった気分で
出てきました。

さてこれからどうするか・・・・

ここに来る途中で六羲園(りくぎえん)の看板がありました。
帰り道なのでちょと寄ってみることに・・・・





彼岸花の赤が庭の差し色になっています。


パンフレットには
和歌の心息づく雅な大名庭園とあります。


六義園は五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった
柳澤吉保が元禄15(1702)年に築園した和歌の
趣味を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園です。






滝見茶屋




園内で一番高い築山藤代峠から見た庭園です。


サーっとひと回りして
錦織選手とルーネ選手との試合がある
有明コロシアムに急ぎます。

今日は、茨城県の下館から
東京の駒込までの大移動をして
たくさん歩いたのに、そんなに疲れはありません。
我ながら好きなことにはタフだなぁと

まだまだしたいことを
諦めたくありません。
行きたいところには行きます。

それではまた明日


今日も来てくださってありがとうございます。





板谷波山記念館

2024年10月03日 16時09分27秒 | 美術鑑賞



テニス観戦3日目は
ナイトセッションが始まる6時まで
時間があるので、以前から考えていた茨城県の
板谷波山記念館へ行くことに・・


朝食はホテルに隣接するサンマルクカフェ
サンマルクホットサンドと珈琲のセットで700円
にしましたよ。バゲットパンがなかなか美味しかった。
来年来た時も、大戸屋とサンマルクカフェの
朝食で決まりだね。

さあ腹ごしらえも済ましていざ
京浜東北線で東京駅まで・・・と
電車に乗り込んだのはいいのですが
優先席の3席を独占して寝ているバカ者若者がいる。

しゃーないなと思いながら
向かいの空いている席に座る。

若者は仰向けに寝ている。
動かない。・・・・もしかして死んでいる?
お腹のあたりをジッと見ると微かに上下しているので
呼吸はしているようだ。
東京駅まで退屈だから、この若者を観察していた。
大きなヘッドホンは頭からずれている。
足は折りたたんで窮屈そうだ。

そろそろ東京駅に着くころに
バカ者の口角が少し上がった・・・・なにー
こいつ夢を見ているな!
それも楽しい・・・・彼女とデートしている?
そのうちに声もあげんばかりに笑い顔になった。
これで目が覚めるか・・・・
ジッと見つめていると、目を開けた。
そして熱い侮蔑の視線のばあさんと目が合った。
その視線をやり過ごして、起きて
座席に座り直したバカ者でした。

はい!それだけのことですが
お上りさんのばあさんは
東京駅まで退屈せずに済みました。
ありがとう!




これから東北新幹線なすのに40分ばかり乗って


小山駅で降りて、在来線のJR水戸線に乗り換えて
20分ほどの下館駅まで行きます。



あいにくのお天気ですが、
歩くには丁度の曇り空です。



駅前から続くメイン道路には
人影も少なく、東京での人混みに揉まれてきた
ばあさんは拍子抜けしてしまいましたよ。

このメインストリートを10分ほど歩くと
お目当ての板谷波山記念館はありますが

歩道の所々に


青木繫 作 わだつみいろこ宮


青木 繫 作 日本武尊



青木 繫

こんな筑西市の「まちなか美術館」がありました。
セラミックアート(陶板)で出来ています。



あら!ここは?
しもだて美術館です。
青木 繫の作品があるのかな?
帰りに寄ってみましたが、展示作品準備中で
休館していました。


交差点の角地にありました。






左側の受付の扉を開けると
女性がいて210円(安い!)の入場料を支払って
中に入りましたが、静かです。
誰もいないようです。


板谷波山の生家です。
この前の方に小さな展示館がありました。



入りましたが
エッこれだけ?
























波山は妻を買い物に行かせて
留守の間に失敗作を全て割ってしまったという。
だから、生活は決して豊だったとは言えず


そんな中で

ここからはモニター画面から頂きました。


数々の銘品を生み出していく。









      板谷波山 略歴

     明治5年 真壁郡下館町(現、筑西市田町)に生まれる。

     明治22年 東京美術学校、彫刻科に入学。
           岡倉天心、高村光雲に学ぶ。

     明治36年 東京田端に住居と工房を建てる。
           故郷の筑波山からとって、波山と号す。

     昭和5年 フランス大統領よりアカデミー勲章。

     昭和28年 陶芸家として初の文化勲章受賞。



パンフレットには

「静謐(せいひつ)にして高貴な作風と
独自の技法によって、近代陶芸作家の先駆者として
知られる板谷波山。
また、92年の人生を通じ、常におごらずつつましく
一筋の志を生き続けた板谷波山。」とあります。


私が板谷波山を知ったのは
NHKの何かの番組の途中から見知ったのですが、
やはりその作品が放つ気品に、心を奪われました。
いつかこの目で実際に見たいと思っていました
失敗しました。
ここは美術館ではなくて記念館。
作品は少なくても仕方ありません。

波山の作品を主に収蔵するのは
京都の泉谷博古館(せんおくはくこかん)や
茨城県筑西市の廣澤美術館です。

エッなに!同じ筑西市にあるんだー

早く気付いていればー
またしてもチョンボです。
新幹線に乗って、往復1万円ほどをかけて来たのにー



それではまた明日


今日も来てくださってありがとうございます。








田中一村 展

2024年10月01日 20時36分20秒 | 美術鑑賞



東京2日目は
11時から始まるデイセッションのまえに
東京都美術館

奄美の光 魂の絵画
田中一村 展 に行ってみました。


9時30分からの開館でしたが
行列ができていたので、早めに開館しました。








入場料2,000円のところ
65歳以上を証明する健康保険証を提示したら
1,500円になりました。

例によって写真撮影は禁止でしたので
作品は「もっと知りたい 田中一村」から
抜粋させて頂きました。

田中一村は明治41年(1908)年に
栃木県に生まれ、7歳の頃から南画を描き
天才ともてはやされました。



これが7歳の時の作品
蛤の質感が見事ですね。
たった7歳です。


田中一村の父は彫刻家だった。
上の絵も7歳の頃の作品で、この年に児童画展で
「天皇賞」を受賞したのを期に、父親から
米邨(べいそん)という雅号をもらう。

18歳、東京美術学校日本画科に入学
同級生に東山魁夷がいた。
だが2か月後に退学する。


一目見て、富岡鉄斎風?
実際に鉄斎には画賛や色使いの上で
大きな影響を受けたとされている。



この富貴図の色彩は伊藤若冲ぽいですね。

23歳の時に、南画と訣別する。



秋色
昭和13年に千葉寺(現千葉市中央区)に移り住む。
そこで自宅の裏山を描いた一作。
この絵を見た時、着物の柄にしたら素晴らしい
だろうなと思いました。
実際に帯に絵を描いたりもしています。



秋晴
この作品も私のお気に入り
枝にぶら下げられた白い大根が眩しい。

この頃、米邨から一村と改名する。



私のお気に入りのケイトウの作品では
ありませんが、ケイトウを描いた作品も好きです。

昭和33年に、一村は住み慣れた千葉から
新天地奄美に移住する。



枇榔樹の森

墨色の濃淡で表現したビロウの葉が
すだれのように重なって
そのテクニックに凄みをただ感じる。
隅に描かれた蝶も印象的。









海老と熱帯魚
70歳の古稀を前に描いた作品。


古稀を迎えることなく69歳で
心不全で亡くなる。


約300点の作品からなる
田中一村展

なかなか見ごたえのある作品群でした。

生前は脚光を浴びることなく
貧しく染色工として働きながら
絵を描く島暮らしであった。



それではまた明日


今日も来てくださってありがとうございます。







中之島美術館、100%モネ

2024年04月14日 16時39分54秒 | 美術鑑賞




佐川美術館から
2時間以上かけてJR,メトロを乗り継いで
やっと中之島美術館に着きました。

先ずは腹ごしらえから・・・


美術館1階のレストラン ミュゼカラト


モネ展記念メニューのワンプレート料理
限定50個は売り切れでした。



お友達は海鮮パスタを



私は海老とレタスのピラフ、温泉卵のせ


食後には3種類のベリーのアイスティーを

さあ腹ごしらえも済んだことだし
5階の展示室へGOー




入口付近では
チケット売り場に行列ができていましたが
ネットでチケット購入済みの私たちは
それを尻目に、サッと入場しました。


絵画の構成は

1章   印象派以前のモネ

 2章   印象派の画家、モネ

 3章   テーマへの集中  

4章   連作の画家、モネ

     5章   「睡蓮」とジヴェルニーの庭

から成り、国内外の40館以上から代表作が出品され
合計75点の展示作品全てが、モネの作品で占められている
100%モネの連作の情景です。

例によって写真撮影禁止でしたが
少しだけ許された作品がありました。

1章の印象派以前のモネでは
モネとしては珍しい人物画の【昼食】の
大作が日本初公開です。

2章の印象派の画家、モネでは
1870年代から80年代にかけて、セーヌ川流域を
拠点に各地を訪れて描いたモネの作品を展示しています。

3章のテーマへの集中では
ノルマンディー地方のプールヴィルの海岸や
エトルタの奇岩など、モネが何度も訪れた場所の
作品群を紹介しています。
特に日本初公開の【エトランタのラ・マンヌポルト】は
何作品もあり、季節や天候、時刻によって
海や空、山や岩肌の表情が絶え間なく変化する様子を
描き留めています。
実際にそれぞれの海の色の違いには
驚かされました。

4章の連作の画家、モネでは
セーヌ川流域のジヴェルニーに定住し
自宅付近の積みわらが光を受けて刻々と変化する
様子を同時進行で何枚も描き、それらを「連作」として
画廊に展示して大好評を博し、国際的な名声を築きました。
「連作」の手法の着想源は日本の浮世絵版画の
影響もあるようです。

5章の「睡蓮」とジヴェルニーの庭では
ジヴェルニーの自宅の庭が、モネの創作にとって
最大の着想源となり、制作の大半が【睡蓮】となり
水面に映る色と光の抽象的なハーモニーが
次々と誕生します。



ルーヴル河岸日本初公開


【ウォータールー橋、曇り】




ウォータールー橋、ロンドン、日没



ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ


睡蓮、柳の反影


睡蓮の池


【藤の習作】


睡蓮


芍薬


睡蓮の池
1899年頃から模索を続けて見出した
会心の構図が、この縦長の画面である。
大胆に俯瞰(ふかん)して池の水面だけを描き、
楕円形の睡蓮の葉が手前から奥へ
リズミカルに配される。しだれ柳を右に、ポプラの樹を
左に、樹木の姿が水に映り込んで暗い影を落とす。
中央には流れ落ちる滝のような形に、明るい空が映る。
空も樹々もまるで風景のように見え、虚と実が交錯して
観る者を惑わせる。


【睡蓮】
本作はモネが最初期に描いた睡蓮で、大ぶりな
ふたつの花とまるい葉が暗い水面に浮かんでいる。
空や樹木の水面への映り込みや、光と水が
戯れるような表現はまだ見られず、
モネの視線は睡蓮だけに集中し、色の組み合わせに
よる描写の研究に没頭している。



モネといえば睡蓮!
恥ずかしながら睡蓮のモネしか知りませんでした。

この展覧会で、未知のモネと遭遇することができ
驚くと共に、モネの作品の奥深さに触れられて
大変有意義な時を持てました。




賑わうミュージアムショップの隅で
一人のおじさんが、2人の女性係員の方に
「ここの絵は全部偽物だ!私はルーブル美術館と
オルセー美術館に行って本物を観てきた!」と
戯言を言っていた。
その時の女性係員の方の神妙な顔が
可哀想でもあり、おかしくもあった。
ごめん!


3つの美術館を堪能して
充実した2人旅でした。

今度はどこに行こうか~



大阪空港ー高知空港は
プロペラ機なのよ。


今日も来てくださってありがとうございます。



佐川美術館の茶室

2024年04月13日 13時11分50秒 | 美術鑑賞




MIHOミュージアムの桜の余韻に
浸りながら、帰りのバスに乗り石山駅に戻ります。

コインロッカーからスーツケースを取り出して
石山駅からまたJR東海道線に乗り、5つ目の守山駅で降り
今夜のお宿、ベッセルイン滋賀守山駅前を
探すまでもなく、すぐ目の前にありました。


早めのホテルチェックインで
決して若くない体をいたわります。
だって私たち72歳。そろそろオバチャンズから
をプラスしてオバアチャンズに改名時かなあ。

夕食はこのホテル内の





この近江牛のステーキ看板につられて
入った居酒屋で・・・


先ずは生ビールで乾杯!お疲れ生です。

期待していた近江牛のステーキは
大外れで、画像もありません。
本当に近江牛?
高くても1階に入っている
近江牛の専門店岡喜で食べるべきだったかな。


でもこの大根のから揚げは、ビールと相性ピッタリで
美味しかったですね。


食後は明日に備えて早めの就寝。
でも私のイビキが友人を苦しめたらしい・・・・


ホテルの1階のパン屋さんで
朝食をとって・・・・


ホテルの前から出る9時発の乗り合いバスで
佐川美術館へ。



丁度30分で到着です。



左側にあるのが入り口ゲート。





美術館周りは水で囲まれています。


左側の扉から館内へ。
広々、ひんやり感の館内です。


私たちは10時からの茶室見学の予約があったので
携帯やハンドバック全てを、コインロッカーに預けて
たった6名限定の茶室見学ツアーにいざっ!


茶室見学代 1,200円を渡すとくれた
茶室の写真集。
その中からアップさせてもらいました。


この階段を降りていくと
楽焼の樂吉左衛門館と茶室があります。


階段を降りる前に右側に見える茶室。




階段を降りて扉の先に見えるのは
一面にオーストラリアから取り寄せたという
枕木を敷き詰めた暗い「路」


日本の枕木は防腐剤が塗られていて使えず
乾燥したユーカリの木から造った枕木を使用しています。


「寄付」
正面の壁には、小さな壁掛け花瓶に
黒椿が一輪活けられていて
雰囲気にベストマッチしていました。

お茶会の当日、連客は主催者の家の
寄付(待ち合せのための部屋)に集合し、
案内を待って露地の腰掛けに出る。


「水露地」
ここに腰掛けて正面を見ると



円形のコンクリート壁の上部からは
水が流れ落ちていて
じっと見つめていると、水音が心を鎮めてくれます。

腰を上げてコンクリート壁の向こう側に
行くと・・・・


中潜」なか潜りがあり


蹲」うめつくばい
この黒い一枚岩は、ンバブエブラックといわれ
この茶室にはふんだんに使われています。

蹲は日本庭園の添景物の一つで
露地(茶庭)に設置され、茶室に入る前に、
手を清めるために置かれた背の低い
手水鉢に役石を置いて趣を加えたもの。



「小間 盤陀庵」こま ばんだあん
大きな和紙で作られた垂れ幕は、ロールアップ
出来ます。和紙には楮(こうぞ)の繊維が
そのまま生かされていて、重厚感に一役買っています。


盤陀庵の内部です。


盤陀庵」

ここから階段があり・・・

上りきると・・・・
暗がりの中から急に広がる明るい宇宙・・・

あちこちであがるアッ!オオ!の歓声。


「広間 附仰軒」


実際、私たちが見た水場のヨシやガマは
まだ生え出したばかりで、水面はどこまでも続いていました。
ここでも黒い岩、ジンバブエブラックが
使われています。

畳の縁に座って静かに景色に見入る6人。

茶室を予約して良かった~


この茶室の設計の創案から完成まで
5年の歳月をかけて自らの作品と茶の湯空間を
演出したのは、十五代樂吉左衛門です。


さあ!これからその地下2階にある
樂吉左衛門 館」に行ってみましょう。

でも写真撮影は出来ませんので
茶室の写真集に載っていたこれだけです。


「守 破 離」の精神

桃山時代、茶道の祖 千利休の侘茶の心を汲み、
樂家の祖 長次郎が一碗の茶の湯碗を
生み出したのが、樂焼の始まりです。
以来、長次郎を初代とする樂家は450余年にわたり
その伝統を現在に伝えてきました。

守・・・・師や流派の教え、型、技を忠実に守り
確実に身につける。
破・・・・他の師や流派についても考え、良いものを
取り入れ、心技を発展させる。
離・・・・一つの流派から離れ、独自の新しいものを
生み出し確立させる。


樂吉左衛門 館を観たあと


常設の平山郁夫展や
彫刻の佐藤忠良展も観てまわり



ポケモン工芸展は走り観て




この水をふんだんに使った美術館は
我が高知県立美術館を思わせます。





お昼前に佐川美術館を出て
大阪の中之島美術館を目指します。


今日も来てくださってありがとうございます。