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夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

西安4日目の続き、唐歌舞ショー&さよなら西安

2025年03月19日 15時02分25秒 | 中国西安・咸陽の旅



昼食後、バスで2時間の
秦直道遺跡観光へ


途中、おトイレ休憩のドライブインへ


バスを降りると、風が強く
急に寒くなって、みんなフードを被ったり
して、防寒をしていました。

大きな遺跡看板がありますが
果たしてどんな遺跡なの?


(この切通になった所が高速道路?)

始皇帝が中国統一の翌年の、紀元前212年に
築造が始まり、30万人以上の軍隊が2年半かけて
咸陽から100㎞の所にある甘泉宮から
内モンゴル自治区の九原郡城までの
南北に真っ直ぐに延びる高速軍事道路のことです。

しかし遺跡らしい遺跡は見当たりません。


道幅は平均30mで、広い所は80mも
あったとか・・・・
それが一直線で、山を切り開き、谷を埋めて
ほぼ平坦な道路が永遠700㎞も造られたそう。

北方民族からの侵略に備えてのことですが・・・
しかし権力を持つということは
色んな事ができる反面、被害妄想的になって
しまうこともあります。
現在のプーチン、トランプ大統領しかりです。


周辺は小麦とトウモロコシの二毛作の
畑が広がっています。
この風景だけは悠久の昔から変わって
いないのかも知れません。


西安に戻り
オプショナルツアーの
唐歌舞ショーを食事付きで観る人と
「餃子宴」の食事だけの人とに分かれます。

ガイドの単さんのお勧めもあり
唐歌舞ショーを観ることにしました。



お題目はこれ!


テーブル席がこんなに!


お料理は餃子



何種類かの餃子が出てきました。


カエルです。


焼き餃子が出てくると
期待していたが出なかった。
蒸し餃子ばかりだった。
これが餃子宴?
観劇の方に重点お置いているようです。


客席の袖から出てくる演技者たち
元顔が分からないほどの舞台化粧をしている。







レーザー光線とプロジェクションマッピング
を駆使しての美しい演出。








ショーは美しかったので
観て良かったよ。

西安最後の夜を楽しみました。



帰りのバスから西安最後の夜景を
楽しみながらホテルへ




ホテルのお部屋の紹介が
遅れましたが




こんな感じです。
4連泊だったので楽でした。

西安観光を隅々まで網羅した満足感が
あります。

西安はシルクロードの終着点であり
出発点でもあります。
阪急交通社のシルクロードツアーの
方たちともホテルで一緒になりました。

今回の旅行のパンフレットです。


今回の旅行はサーチャージ、保険こみで
15万円弱で行きました。
13年前にシェラトンに3連泊!北京4日間
行った時は、サーチャージと諸々の費用込みで
42,690円で行けました。
その時のレートは1元12円でしたが
今は22円なので、ほぼ円の価値が半分に・・・

今回のツアー仲間は24名で
ほとんどが高齢者でしたが
一人だけ大学生の男の子が参加していて
みんなから可愛がられていました。
なんか中国の歴史に関する学部で
勉強しているそうです。
どんなツアーもご婦人の参加が多いですが
今回は中国の歴史好きの男性が
多かったように思います。


西安は北京から南西に約900㎞の所にあり、
古代から政治の中心地として西周から
秦、漢、隋、唐の都城と十三の王朝の都として
二千数百年の歴史を有する古都です。


現在の人口は1,300万人で
中国全体では10番目の都市になります。
大学は64校あり(短大含む)
大学生だけでも100万人になります。
若い人は総距離400㎞にのびる地下鉄の
利用が多く、高齢者は70歳以上が無料の
バスの利用が多いそうです。
乗用車は末尾ナンバーで
走行規制をしていますが、渋滞は多い。
観光バスは清潔でしたが
乗ってすぐにシートベルトをしないと
ピーピー警告音が鳴りやみません。
これには日本人はビックリと閉口でしたね。

現在では、電子決済が主流で
高齢者までもお買い物はスマホで決済するので
現金を持ち歩くことが無く、その結果
町中にはスリがいなくなったそうです。






そんなに辛くもなく美味しかった
麻婆豆腐。



(何故か白い鳩ばかり)

観光地に多い鳩ですが
西安では余り見かけなかった。
そのことをおっさん2に言うと
「何でも食べる中国人だから・・・」
えっ!そういうこと?




最終日は朝5時出発で
ホテルのサンドイッチと果物一つを
西安空港でほお張り

8時発の東方航空機で成田空港へ


西安への下痢旅は最終日には
何とかおさまり、仲間に迷惑をかけることなく
一安心しながら帰ってきました。

でもウオシュレットが
どんだけ恋しかったことか・・・・
中国のしゃがむおトイレは
高齢者には辛い!

羽田空港では丸亀製麵の
おうどんをむさぼり食いしました。
おっさん2と思わず「美味しいね」

ほぼ下痢は止まっていましたが
念のために胃腸科クリニックへ
先生が「体に毒か、ばい菌が入った」という。
そう言えば・・・思い当たる節がある。
5日間留守にするからと
冷蔵庫の残り物をお腹の中にせっせと
収めていた。

教訓!
冷蔵庫の残り物はサッサと棄てること!


長らくの西安下痢旅にお付き合い
下さいまして、ありがとうございます。



西安4日目、咸陽観光

2025年03月18日 11時20分33秒 | 中国西安・咸陽の旅



相変わらずの粗食です。


お粥、豆腐、味噌汁、青菜、果物
今日は、焼きそばではなくビャンビャン麵
すべて少しずつですが、少しだけ食欲も出てきて
ビュッフェ全体の写真を撮る気持ちも
出てきました。






ここでは温かい麵類を出していました。
明日はこれに挑戦しょうと思ったら
明朝は朝5時出発なので、こちらで
朝食は取れません。残念だ!


さて今日も8時出発のバスで
秦王朝時代の首都だった咸陽(かんよう)へ


阿房宮遺跡(あぼうきゅう)公園では
市民が太極拳やダンスを演じている。


これはムチのような物で回す駒。



咸陽は風水によって造られた都市で
山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの
水辺の北側をという。
この都市は九嵕山(きゅうそうざん)の南、
渭水の北にあたり「咸(みな)陽」なために
この名前がつきました。



今はなんにもないこんな所です。
かっての栄華の跡は見られません。


紀元前352年に秦の孝公が咸陽城を造り
都をここに移した。その後始皇帝により
阿房宮造営の大規模な工事が行われ
巨大都市になっていった。

紀元前206年に阿房宮は項羽により焼き払われ
その時の炎は3か月も消えなかったと言われている。
ガイドの単さんが項羽嫌いの史実が
ここにもありました。



中国人が思う中国の英雄は二人。
一人は毛沢東、もう一人は始皇帝。

死して2000年後に年間1000万人もの
観光客が訪れる兵馬俑坑。
その経済効果は、計り知れない。

不老不死の薬を求めて
巡遊に出た始皇帝は、宮殿の学者や医師らが
処方した不死の効果を期待する水銀入りの
薬を服用していたという。

紀元前210年、始皇帝は50歳で
河北省邢台市にて崩御する。

どんな偉い人間でも
免れることができない死。
だが死して尚、2000年後の世界に
経済効果を生み、名声を轟かせた人間は稀有
ではないでしょうか。




次に行った所は・・・



立派に見える看板だけど
近くで見ると紙を貼っていた。



こんな感じの建物が建っていたらしい。



両側の大きい物は、下水道管。


外に出ます。


秦の咸陽宮はこんな所に建っていた。





秦咸陽宮遺跡博物館を出て


13年前とは大違い
道にはチリ一つ落ちていません。
「街をキレイにしよう。チリを落とすな」
という看板は至る所にありましたが・・


明時代(1371年)に建てられた
孔子廟の敷地内にある咸陽博物館




木蓮はまだ蕾
咲いている所もありましたが




ヒヨドリに似ているけれど・・・
インドハッカかなぁ



これは下水道管のろ過装置。




中国古典庭園のおなじみ月洞門(げつどうもん)




思わず「可愛い!」と歓声が上がった
漢代のミニ兵馬俑。


これらは鋳型に粘土を詰めて
大量生産したもので、兵馬俑と違い
同じ顔をしています。




これはガイドさんが馬を繋いでいたものだ
と言っていたような・・・・





桃の花


中国古典庭園には桃の花が似合う!


さあランチです!
少しだけ食欲も出てきました!







ガラスポットには熱いお茶が


黒いのはキクラゲ、そんなに辛くなくて
どれも美味しかった。
ここでも少しずつ頂きました。



バスの中では、ガイドの単さんが
お土産のお菓子の試食のサービスです。
このツアーはお土産物屋さんに寄ることもなく
北京に行った時は、ラテックスとかシルク寝具とか
民芸品のお店に行くことが多くて、店員さんの
接客がしつこ過ぎて閉口したけれど・・・・
この度のコロナで多くのお土産物屋さんが
倒産したらしい。


中はドライナツメが入っていて
思いがけなく美味しかった。


クミン味のスナック菓子。



今回これだけ買いました。
何種類かを組み合わせて6袋で
200元(4400円)



今回、成田空港で10,008円を
元に両替して450元を持って行きましたが
おっさん2はアルコールがダメで
ばあさんは体調不良でアルコール類が飲めず
だから元が全然減らないの
あっ青龍寺で御朱印帳を買いましたね。
それとこのお菓子の200元。
それだけでした~


明日は西安最終日です。

今日も来てくださってありがとうございます。

西安の旅3日目、いよいよ兵馬俑へ

2025年03月16日 13時31分50秒 | 中国西安・咸陽の旅




今日は、いよいよ待望の
兵馬俑に行きます。

今回の旅行に当たっては
昨年からおっさん2に、「来年3月には
中国西安の兵馬俑を見に行くよ」と
事あるごとに言って、おっさん2の脳内が
始皇帝、兵馬俑で占めるように洗脳してきたつもり。
いつもは「行きたくない」が即、返ってくるのに
今回はそれがなかった。
というよりは・・・・
毎日のように観ているBS11の始皇帝の影響が
大きいと思います。この始皇帝の番組は
WOWOWで放送していたころから
観ているので、もう何回も観ていることに
なります。予習、復習も含めて・・・・・
それで必然的にばあさんも観ることになる
ので、始皇帝の頃の歴史には興味がある訳です。



(西安シェラトンホテルの6階エレベーターホール)

さて今日の朝食も


お粥とお豆腐、焼きそば
お豆腐で辛うじての蛋白質を摂取。

たくさんの美味しそうなお料理が
並んでいますが、不思議と食欲はわかないので
残念だ・・とかは思わなかったですね。



西安3日目の観光は



ここです。
皆さんよくご存知の三蔵法師(玄奘三蔵)が



インドから持ち帰った
大量のサンスクリット語の経典や仏像などを
保存するために652年に建立した塔。

西安のシンボルとしてそびえています。



大雁塔(だいがんとう)
ピサの斜塔程ではないですが微かに
左に傾いています。
地下水の汲み上げなどが要因ではないかと
言われています。


紫禁城のような龍の階段。


レンガと木で7層に積み上げられた塔
高さは64m

ここは西安の2つの世界遺産の一つで
「シルクロード;長安ー天山回廊の交易路網」として
2014年に登録されました。



大雁塔を出て
さあいよいよ兵馬俑坑博物館

バスで1時間後


着きましたが、広大な敷地内をカートに乗って移動。




始皇帝が統一した文字で書かれた1号坑の看板
右から秦兵馬俑1号坑、あとの2文字が分からない。
これは小篆(しょうてん)文字で
今でも印鑑に使われる由緒ある書体です。

さあ入ってみましょう!ワクワクですよ~


わぁ~広~い!


圧巻ですねー
これが兵馬俑だー
おっさん2も声には出せないほど
この規模には圧倒されて、言葉を発しない!



忘れもしない1974年だから
ばあさんが23歳の時に、「世紀の大発見」として
新聞に大々的に出ましたよね。
この時から、この兵馬俑なるものを
いつかこの目で見てみたいと思ったものでした。

農夫の揚志発さんが井戸を掘っていて偶然、
兵馬俑の頭部を発見して話題になりました。
それは素焼きの粘土で作られた等身大の俑
(副葬品の人形)が数千体と、馬の俑が数百体にも
及ぶ未だかつてない大規模な遺跡でした。


兵馬俑の顔は一体、一体異なり
身長は180㎝、重さは200㎏
これを2200年前、日本が弥生時代に造るなんて
凄すぎません?


少し彩色が残っている兵馬俑。


いまだに発掘は続いていますが
昼間は観光客で集中出来ないと、
夜間に発掘作業はしているそうです。




三号館に入ります。


ここは規模は小さいですが
深さがありますね。


兵馬俑の上には、藁を被せて丸太を並べ、
その上に土を盛られて2200年間
盗掘されることなく眠っていました。




ズラッと並んだ兵馬俑
お土産物です。


我が家に持ち帰った兵馬俑。
右側は将軍だとのことです。

二号館へ


まだまだ発掘途中のよう





発掘当時の色彩


しっかり兵馬俑を堪能して
お腹が空きました~


こんなお店が並ぶ通りを通って



西安はビャンビャン麵が有名です。
このビャンという漢字は画数が半端なく
ガイドの単さんも書けないと言っていました。
大きな丼の中の幅広い麵のことです。



右端の器に入った物が、ビャンビャン麵。
美味しかったよ。
品数も多くてどれも美味しい。
少しずつ頂きました。



相変わらずのゲリピー子状態。
いつも旅行時は、ガイドさんのすぐ後ろに付いて
先頭をきって歩くのですが
今回は常に最後尾で情けないばあさんでした。
倦怠感はそんなに感じていないつもりでしたが
自然に歩くスピードが遅くなっていました。
無理もないよね。
4日間、食事もろくに摂っていないものね。


今日も来てくださってありがとうございます。



西安2日目の続き、函谷関・三門峡

2025年03月15日 16時04分19秒 | 中国西安・咸陽の旅




函谷関に行く途中で
ランチです。


この地域で一番のホテルです。


この地方の郷土料理らしい。
お魚は淡泊だけど柔らかい肉質で美味しい。


全部少しずつ鳥のように
ついばんでみた。
チキンを口に入れると骨付きだったのには
みんな閉口していた。
スイカは食感がシャリシャリしていて
日本のとは違いがありますが
普通に甘くて美味しいので食べた!

函谷関へは280㎞ 約4時間の道程。


リンゴ畑がつづく

函谷関は西安から南東方向の河南省北西部
にあります。


どうやら到着です。


離れているので、カートに乗って移動します。


途中にある金ぴかの老子像
老子はこの河南省出身なので、像がありますね。

周の役人であった老子は、国が衰徵するのを憂いて
身を隠すために函谷関を超えるが、その時、
関所の役人の求めに応じて書物「老子」を
遺し、その後仙人になったと伝えられている。


着きましたが
なんか映画のセットのようでしょぼい。
テレビの始皇帝でみた函谷関の方が重厚感が
あって印象に残っている。


ガイドの単さんが憤慨しながら言う。
「函谷関も始皇帝陵も項羽がすべて焼き払ってしまった」

その項羽の愛妾であったのが虞美人。
後に戦いで項羽側の敗戦が色濃くなると
自害する。
この項羽、一つの眼球に二つの瞳孔がある
重瞳(ちょうどう)だったという。
中国では重瞳は貴人の相として表現される
ことが多いが、実際に項羽が貴人だったかは
疑わしい。

函谷関の門をくぐって
ずっと進んで行くと


林の向こう側にはラクダが繋がれています。


函谷古道
この場所ではまだ道幅がありますが
徐々に狭くなって2m程になります。
ここで函谷関の戦い(紀元前241年)があり
楚、趙、魏、韓、燕の5国合従軍と
始皇帝の秦との戦いで、この函谷古道に
誘い込み5国合従軍をせん滅させて
秦が勝利した。

何千、何万ともの命が散って
歴史がつくられたこの場所に
現代の自分が立っている不思議。
この空間には、幾層にもなった魂の叫び声が
聞こえてきそうな気がします。


ずっとばあさんたちに付いてきた野良犬
ごめんね、餌は持ってないのよ。
古道で孤独なのね。


函谷関からバスで1時間の門峡



これが黄河です。大きい!!

世界四大文明の一つの黄河文明
正にこの地で紀元前3000~前1500年の
間に農耕や彩文土器などの文化が発祥。



ここで中国の文明が生まれたのね。
中国という国の奥深さに
感慨もひとしおです。

ここはもう下流に近いので、河は黄色く
ないのです。


三門峡駅に行って
中国の新幹線、高鉄に乗って西安にもどります。


駅構内に入るのにパスポートが必要です。
幾重にもなった検査。
まさしく今は北京で全国人民代表大会が
開催されているせいで、警備が半端ない。


チリ一つ落ちていないホームに
入ってきた高速鉄道車両。


西安からここまでバスで4時間かかった
のが、たった50分しかかからないのです。
119.5元(2629円)


清潔な車内。
掃除のおばちゃんが、ひっきりなしに通る。
侮れない高鉄。全然揺れないし、静か。

最近、連結部分が外れたりの事故が多い
東北新幹線。高鉄に負けている。


ブーツを穿いた赤い制服の車掌さん。
ここでもパスポートを確認にきた。


西安駅を出て食事会場へ


西安鍋料理
羊肉一皿、牛肉二皿と野菜など
〆は麵で、うどんのように太い麵です。

ゲリばあさんはうどんを少しと
お肉をチョットだけ



バス中から
ライトアップされた城壁を見ながら
ホテルへの帰路に。


今日も一日、ゲリピー子だったばあさん。
固形物を食べなければいいのだろうが
栄養も摂らないと歩けないし。
お水を飲んでも、直ぐに胃のあたりが重いし。

西安での観光はまだ始まったばかり
あと三日、頑張るんだ!


今日も来てくださってありがとうございます。



下痢ばあさん、西安2日目を行く。

2025年03月14日 22時24分31秒 | 中国西安・咸陽の旅




西安シェラトンホテルでは


2基の兵馬俑がお出迎えしてくれます。

後でガイドさんに
「ホテルの兵馬俑は本物?」と
阿保な質問をしてしまいました。
んな訳ないだろうに・・・・
これもゲリばあさんのたわごとだと
現地ガイドの単・勇さん
サーッとトイレに流して下さいませ。


朝食は例のごとくビュッフェで


行ったところが中国で良かった!
せめて朝だけでもお粥が食べられるから・・・
後はお野菜少しと、美味しかった焼きそば。


7時45分出発で、観光の一番目は


自動車も多いけど、まだカートに風除けを
すっぽり被せた車や、風除けの半纏のような物で
前面を覆ったバイクが多い通勤ラッシュの中を
バスは走って西の城門を目指します。



中に入ってみましょう。



唐の長安城を基礎に明の洪武年間
(1370~1378年)にかけて
レンガを積み重ねて築かれたそう。


城壁は周囲13912m、高さ12mで
城壁の上の幅も広く、遥か彼方まで続いている。
そのスケールの広大さには
開いた口が塞がらないほどだ。
万里の長城しかり、中国人は古代から
大きいことにこだわってきたようだ。
まあ大陸だからね。



城壁の先には、近代的なビル群が・・・・





屋根の上の飾りを見るのも
一つ一つ違っていて面白い。


さて次の観光地は・・・


柳の新芽も美しく
黄色のウンナンオウバイは今が盛りのここは?


そう弘法大師空海のゆかりの地青龍寺
0番札所です。



空海は平安時代初期の僧、弘法大師で
804年に留学生として、遣唐使船で
唐の都、長安に渡って、青龍寺で真言密教第七祖・
恵果大師し師事、1年数か月で密教の奥義を
すべて伝授されました。

ガイドさんが言うには
わずか3か月で仏教の地インドのサンスクリット語を
マスターした天才で、中国語も直ぐに習得し
経った2年で「即身成仏」が教えの真言宗を学び
帰国し、816年に高野山を修禅の道場として開創した。

また書道の文字も卓越したもので



このような石碑が残っています。
中国では文字の美しい人は今でも
尊敬されるそうで、弘法大師は
日本の嵯峨天皇、橘逸勢に並ぶ三筆のひとりだそう。




このように四国4県の名も刻まれています。
何だか嬉しい。
弘法大師の産まれた善通寺市とは
姉妹都市提携されていますね。




社務所?売店で買った御朱印帳。
200元は高かったー
中国では1元=22円で計算。

表紙の文字もキレイではありませんが


中の御朱印の文字もあまり威厳がなくて
日本のお寺さんの御朱印文字の方が
断然頂いての有難みがありますね。

現在では反対に中国から
日本の高野山に仏教の修行にくるそうよ。



これからバスで4時間かけて
函谷関(かんこくかん)へ・・・・

おトイレ休憩の度におトイレに
駆け込むゲリばあさんの行方は・・・・・

高齢者の味方、紙パンツ(紙オムツよりは聞こえが良い)
を穿いたゲリばあさんは、ガイドさんの
後ろの最後列をアヒルのように
トボトボと付いて行くのでありました~


それではまた明日ね。



今日も来てくださってありがとうございます。