夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

イタリア旅行 最後に・・・・・

2020年03月06日 21時07分07秒 | イタリア🇮🇹旅行

犬ふぐり

「犬ふぐり色なき畦と思ひしに」 及川 貞


この雑草に「犬ふぐり」なる名前があるなんて
知らなかったよ。
低くベッタリと広がるので
なかなかしつこい雑草です。


(花の歳時記より)




ヤマト君の事や
4日間留守にしたことで
イタリア旅行記の最期を締めくくることが
できないままになっていて
気になっていました。



阪急交通社の
「イタリア決定版8日間」
このイタリア旅行を決めたのは
この

チヴィタ・ディ・バニョーレージョとヴェネツィアが
行程に含まれていたからです。
それにオフシーズンで安かったから・・・・・

2月5日発の旅行代金は159,800円でした。
これには高知龍馬空港から羽田空港間の往復
航空券も含まれます。
でも燃料サーチャージや保険代や諸々の税や
手数料、それにオプショナルツアー2ヶ所の費用
29,000円を足すと220,000円ほどになりました。
こうなると結局安かったかどうかは
自信のないところです。



イタリア最後のホテル
「イビススタイルズ・ローマヴィンテージ」ホテルは

外観があまりホテルらしくありませんが
ショッピングモールが隣接していて
お買い物には便利です。


どうも経営者はインド系らしく


お部屋の内装は何となくインドテイスト。
それはよしとしても
部屋に入るのに
カードキーが反応しているのに、ドアが開かないので
ホテル関係者のインド系の人が来て
みてくれました。
するとカードキーが反応したら
インド人は肩からドアに体当たりしました。
そしたらなんとドアが開きました。
その時のインド人は
「どんなもんじゃい」と言う風な得意顔!
いやいやここは力自慢をする場面じゃないし・・・・・
体当たりしないと開かないドアって
どうなのよ?と言いたい。
女性一人だと絶対に開けることが
できないと思います。



最終日はホテルを10時30分出発なので
昨晩に続きショッピングモールに
行きました。


ペットショップに入ってみました。




色とりどりの犬ガム
かえって健康を害しそう!


下のオレンジ色の物は
犬用のヘルメット。


美味しそうなスイーツがてんこ盛り
オッサン2はツバを飲んでいましたが
グッと我慢しました。

このショッピングモールで
買った物は・・・・・


お孫ちゃんへの絵本

オッサン2が買った
チョコレート。
右上のチョコレートは羽田空港で買った
ロイズのチョコ。


小さいチーズをたくさん買いました。


私が選んだお菓子とパスタ
ちぢれ麵パスタは日本に無いような・・・・・・


左側はパン用の小麦粉 1㎏
オッサン2にバカにされました。
「帰りのスーツケースの重さが、確実に1㎏増えるのに・・・・・」
自分だって以前はコーヒー豆をたくさん
買って帰っていたくせに・・・・・

そんなオッサン2は
私の知らぬ間に・・・・・・

こんな革ジャンを買っていました。
2年前にオーストラリアに行った時も
別行動した少しの間に、革ジャンを買っていて
帰国してカードの明細書が届いたときに
知らない高額の請求がきていて
何も知らない私はカード会社に
問い合わせの電話をかける一歩手前でした。
最近は敵もさるもの・・・・・・で
一緒に買い物をしたら反対されるので
居ない時にサッと買うようです。
これで革ジャンは海外で4着目です。
何枚買えば気が済むねん?


帰りの

フランクフルト空港かな?

オッサン2はアインシュタインと
同席してご満悦!
ピレネー山脈の旅行もフランクフルト経由だったので
このショットを撮りたかったのですが
時間がなくて、添乗員さんが急いでいたため
撮るのを断念しました。

今回の旅行の参加者は33名で
夫婦は私たちを含めてたったの3組でした。
この3組はみな四国勢で高知、香川、愛媛
徳島は30代の女性が1人。
それではどんな人達が多かったかというと
おばさま同士の4名と3名と2名×3のグループ。
女子学生の卒業旅行2組
母親と娘が2組
おじさん一人旅3人
おじさん二人旅1組
ざっとこんな感じでした。
そんな中で
旦那様を家に残して、お友達どうしで来た
おばさま達は実に楽しそうでした。

そして羨ましかったのは
日本でバチカンのシスティーナ礼拝堂の
入場券をネットで予約し
自由行動の時に地下鉄で出かけて
観に行った人が4名いました。
自由行動の過ごし方を有意義なものにする
その積極性に脱帽です。


それから
帰りの空港の待ち時間に
こんな絵を見せてくださったのは
香川県から参加のご主人様です。


バベルの塔

これはどこでしょうか?

奥様も知らなかったご主人の趣味。
見てびっくりしていました。
行った場所を描いて
もう一度、記憶という印画紙に残す・・・・・・

今回の旅は色んな事を学びましたね。
「ボーっと旅してんじゃないよ!」


今日も来てくださってありがとうございます。





イタリア旅行記 ㏌ ポンペイ

2020年02月22日 21時57分46秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・6日目・・・・・・・

イタリアに来て初めて、
空模様が怪しい朝です。


オッサン2のリュックサックに、傘を2本入れての、
イタリア最後の観光はオプショナルツアーで
ナポリとポンペイ遺跡に行きます。

ミモザの花が咲いていました。

ローマから250㎞南下して
途中休憩を挟んで約3時間でポンペイ遺跡に
到着ですが、その前にお約束の

カメオ工房に立ち寄ります。
でもカメオは既にヴェネツィアで購入済みです。
同じ様なお花のカメオを探しますが
見つけることはできませんでした。
妖精の顔が多いようです。


貝を彫っているところです。


カメオ工房を出ていよいよ
ポンペイ遺跡です。


ポンペイ遺跡はナポリの南東22㎞の所にあり


都市の8割が発掘され、60以上の遺構を
見学できますが、あまりにも広大なため
ガイドさんが見どころを押さえて
案内してくれます。

この植物は遺跡の壁画にも
描かれているとか・・・・・



当時は海に面した活気ある港町でしたが
西暦79年8月24日に起きたヴェスヴィオ火山の
噴火により火山灰、火砕流、土石流に襲われ
僅か2日間で跡形もなく埋もれてしまいました。


約5,000人を収容できた大劇場。
悲劇や喜劇を主に上演したとか・・・・・


両側が歩道で中央が車道です。
車道には今も荷車のわだちが残っています。


飛び石の横断歩道。



共同浴場(テルマエ)は社交場としての
機能も果たし、男女別に分かれ脱衣所も
ありました。

ポンペイには約25軒もの買春宿「ルパナル」
があり、

外国人にも分かるように
サービスの内容を表すフレスコ画が
鮮明に残っています。



この様なベッドも残されています。

街の目抜き通りのアッポンダンツァ通り

一般市民は各所に配置された泉に
水を汲みに来ましたが

富裕層の家には水道が引かれていましたし
この様なモザイクタイルが敷かれて
玄関にはアトリウムと呼ばれる水盤を置いた
スペースがあり、雨水を溜めていました。

また発掘により
豪商の家では堅固な金庫が見つかり、
そのそばで主人が、財宝をかき集めたままの姿で、
息絶えていたそうです。


アポロ神殿


当時のポンペイの人口は、
15,000~20,000人でしたが
町の北西10㎞にあるヴェスヴィオ火山の
噴火により、押し寄せた火砕流や有毒ガスにより
一瞬にして、約2,000人の人が犠牲となり
5mの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が
当時の人々の生活をそのままの状態で
保存しました。


生き埋めになった人達が、後に発掘された時には
遺体部分だけが腐敗消失し、
火山灰の中に空洞ができていました。
考古学者達はここに石膏を流し込み、
逃げ惑う市民の最後の瞬間を再現しました。


母親が子供を襲い来る火砕流から守ろうと
した様子や、飼い犬が悶え苦しむ様子などが
生々しく再現されました。


たくさんの出土品。

1748年に本格的に発掘が始まり
多くのワインを運ぶためのつぼが出土し
主な産業はワイン醸造だったことが伺えました。



また「ポンペイレッド」という

壁画の鮮烈な色合いや、地中から次々と
現れるローマ時代の遺品の美しさの秘密は
火山灰を主体とする火砕流堆積物の成分には
乾燥剤として用いられるシリカゲルのような物が
含まれていて、湿気を吸収しました。
この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため
壁画や美術品の劣化が最小限に
食い止められたといいます。

ポンペイの悲劇が皮肉にも
古代ローマの栄華を今に伝えることに
なったのです。



遺跡の出口で

猫のキャットフードを横取りして
食べるワンちゃん。


ポンペイ遺跡を後にして
ナポリへ

交通規制により
添乗員さんから街に入れないかもしれないと
言われていました。が
大丈夫でした。

車窓観光のみです。

ヌオーヴォ城

凱旋門のレリーフが見どころらしいのですが・・・・・



プレビシート広場かな?

ウンベルト1世のガッレリア


洗濯物を干しているのが
いかにもナポリっぽい。


ナポリのプレビシート広場辺りを
バスは1周して、再びローマを目指します。
イタリア最後の観光が終わりました。

(ほぼここまで書き終えていたブログを
不注意で消してしまいました。2度同じことを書きました。
ふぅ疲れました。寝ます。)


今日も来てくださってありがとうございます。




イタリア旅行記 in フィレンツェ 1

2020年02月17日 15時26分19秒 | イタリア🇮🇹旅行


・・・・・・・・4日目・・・・・・・・・

前日のヒルトンホテルと打って変わって
宿泊したのはこんなビジネスホテル。
名前が「ウォールアート」というだけあって

壁には安っぽいアートだらけです。

地下1階のレストランに降りて朝食です。

やっぱり野菜類がありません。
右側はオッサン2のお皿です。
相変わらず甘いクロワッサンを選んでいます。
朝から何でそんなに甘い物を食べるの?
私のお皿はハム、スライスチーズ、スクランブルエッグ
ベーコン、パン、バター
上は牛乳にコーンフレークとジュース。


ヨーロッパはベンツのバスが多いようです。
昇降口が2か所あるので、乗り降りが早くていい。
それに足置きもあるので楽でした。
後部座席に座って、2席を占領しての
バス旅は楽ちんだった。


今日の予定は
18㎞走ってまずはフィレンツェへ

このフィレンツェ市内を一望できる

丘の上にある「ミケランジェロ広場」からの
眺めは最高!でした。


でも夕暮れのフィレンツェはもっと
いいだろうな~

アルノ川に架かるヴェッキオ橋


バスは丘を降りて
「ウフィッツィ美術館」へ

ウフィッツィ美術館は
1200年代から1700年代に至る
ルネッサンス時代の芸術を展示しており
その時代の巨匠たち
ボッティチェリ、レオナルドダヴィンチ、
ミケランジェロ、ラファエッロ、ティツィアーノ
などが多数名を連ねています。


この美術館の収蔵作品は、2千とも3千ともいわれ
ガイドさんが主要な作品を選んで
案内してくれます。


「ウルビーノ公爵夫婦の肖像」
ピエロ・デッラ・フランチェスカ 作
1467-72年頃

この作品は教科書で見たような気がします。
古代からの伝統のこの「二連画」は、
極めて素晴らしいとされ
特に透明感のある背後の風景の描写は
遠近法効果によって
二枚の絵が一つになっています。


「ヴィーナス誕生」
サンドロ・ボッティチェッリ 作
1484年頃

これも教科書にありましたよね。
ボッティチェッリのもう一つの作品の「春」と共に
ボッティチェッリの芸術において最も
平穏で調和に満ちた時期の代表作です。


「春」
サンドロ・ボッティチェッリ 作
1482年頃

この絵に関しては限りない解釈法がありますが
形状の見えない世界が降りてきて
物体の形をとって現れる季節である春を
寓意するものだという説が有力です。
またボッティチェッリの友人の
婚礼を祝うものであったとされています。


画中の草花は、植物学分類上200種類近くに
のぼる実在の植物から、写生されているそうです。


途中の窓から
ヴェッキオ橋が綺麗に見えました。


「東方三博士の礼拝」
レオナルド・ダ・ヴィンチ 作
1481年


「受胎告知」
レオナルド・ダ・ヴィンチ 作
1475-80年の間

聖母マリアが本に置く手が
見る方向により長く見えたり、短く見えたりします。

「聖家族」
ミケランジェロ・プオナローティ 作
1506-08年頃

壁画以外にミケランジェロが描いたと
断定できる唯一の持ち運び可能な
作品であるとされています。



フィレンツェの1は
「ウフィッツィ美術館」で終わってしまいました。
明日はフィレンツェの街とピサの斜塔を
アップしたいと思います。



残念です。
ヤマト君は保健所にも保護されて
いませんでした。
ガックリです。

夜になると寒くなり平野部でも
雪が積もるとテレビが言っていました。
「お~い!ヤマト~今夜は冷ようなるき
早う帰ってこ~い!」と
オッサン2は山に向かって叫んでいます。

ウサギを追いかけて
遠く山深く行ってしまい、帰れなくなったか
それとも私達の姿が永い間見えないので
探しに出てしまったのか?

知らない人には警戒して近づかない
ヤマト君だから・・・・・
人間に連れていかれたという
ことは無いと思います。


ご飯を食べている最後の写真。




ヒマラヤユキノシタが咲いていました。


今日も来てくださってありがとうございます。


































イタリア旅行記 ㏌ ヴェネツィア

2020年02月16日 13時53分53秒 | イタリア🇮🇹旅行

・・・・・・・・ 3日目 ・・・・・・・・

ヒルトンホテルでの朝食は
この旅行の朝食で一番良かった。


ハムとチーズもこんなにたくさん!




おしゃれな生ジュースが入った器


基本、イタリア人は朝食に
生野菜は食べないらしい。


今日の私の朝食です。
だから野菜が無いので、トマトは奪い合い。
ビタミンはジュースで摂ります。


カジュアルなヒルトンホテルです。


半円形に客室が並んでいて、2階までしかありません。


今日は
8時15分出発で、ヴェネツィアを目指します。

上の地図の上の黄色の部分に
ヴェネツィアはあります。
ちなみにベニスは英語読みです。

ヴェネツィアの拡大図です。
ヴェネツィアはヴェネト州にあります。

5世紀頃からアドリア海最奥のラグーナ(干潟)を
開拓した水の都です。


バスは途中で検疫所により、再びヴェネツィアを
目指します。


バスを降りてボートで15分程で
ヴェネツィアに到着です。




長年の夢だった・・・・
イタリアは3度目だけど
ヴェニスは行っていなくて・・・・・・


憧れのヴェニスに
上陸して歩いていると、人だかりの運河がありました。


「ため息橋」です。
16世紀に架けられた橋で
左側の裁判所から右側の刑務所に
囚人が投獄される時に
窓から美しいヴェネツィアの景色を見て
ため息をついたという。


サンマルコ広場が見えてきました。


この積み重ねられた台は、水害時に使う渡し板。
昨年の11月12日は、観測史上2位となる
187㎝に達しました。



ゴンドラ乗り場に着きました。


ゴンドラにも乗ってみたかったんだ。


漕ぎ手(ゴンドリエーレ)が
私たちの体重などを考えて、バランス良く
座る位置を決めます。




こんな古~い感じ、いいですよね。

下船する時はチップを
1ユーロ位払うのが恒例とか・・・・・


サンマルコ寺院からの眺め最高!
サンマルコ寺院は入場しましたが
写真撮影禁止でした。


おば様達に人気の
イタリア伊達男のガイド、マリオさん。
最初に添乗員さんが
「ガイドのスーパーマリオさんです」と
紹介するとドッと笑いがおこりました。
イタリア人ってそんなに背の高い人ばかりでは
なくて、案外小柄な人が目につきます。


ベネチアンガラスの工房です。


ガラス作りを見た後で
上の階の売り場に行きました。

撮影禁止なので売り場の写真はありません。


買いましたよ!
このベネチアングラスを・・・・・・
ベネチアングラスはこの赤色が特徴です。
カード払いと言うと、手数料がかかるからと
なかなか負けてくれません。
日本円でもOKと言うので円で支払いましたが
でも少ししか負けてくれませんでした。
もっと時間があったら粘れるのに・・・・・
残念!

オシャレなサンマルコ広場のお店。


高そうでした。
でも素敵なものばかりです。


世界最古のカフェと言われる
カフェ「フローリアン」
カフェ・ラテの発祥の地としても有名らしいよ。


このマネキン人形
お腹の部分が空洞なのよ。
上手く写真を撮れてないけど・・・・・・
ウインドウショッピングするだけでも
イタリアは楽しい。


あと残りの自由時間でカメオを探します。


サンマルコ広場に面したこのお店で
買いました。


このお花のカメオにしました。
縁の枠が18金かシルバーかによって
お値段が違ってきます。
右側のネックレスはピサの斜塔で買ったものです。
材質は「ストーン?」と聞くと
「ベネチアンガラス」と言ったので買いました。


ランチはこんな狭い路地を
入って行ったところにあるお店でしました。







イカ墨パスタ
みんな笑っちゃう程、歯も唇も真っ黒です。
でも美味しかった。


イカや小魚のフライとサラダ。

デザートのティラミス?
だったと思います。


お店の入り口


今夜の宿泊地プラトーに向けて
帰路につきます。


イタリアの高速鉄道「イタロ」
これってかのフェラーリ社がデザインした列車?
さすがオシャレな赤ですな。



帰路の途中で、レストランで夕食です。


野菜のスープ


チキンのトマトソース煮


デザートはメレンゲを
アイスにしたような感じ・・・・です。



追記

そう言えば・・・・・・イタリア北部のドロミティの
ハイキングに行ったときに、ここの
カラ松やオーク材を切り出して
ヴェネツィアに持って行ったと
ガイドさんが言っていました。

その切り出した木を、干潟の地中深く
固い層に届くまで打ち込み
その上に海水に強い石を敷いて、土台を作り
建物を建てていったそうです。
その木の杭は空気に触れることがないので
腐食菌が付くことなく
1400年経った今でもしっかりと
ヴェネツィアを支えています。

でも現在は
地球温暖化という危機が
ヴェネツィアを襲っています。


今日も来てくださってありがとうございます。



イタリア旅行記

2020年02月12日 23時31分38秒 | イタリア🇮🇹旅行

今日の夕方、イタリアから
高知龍馬空港に帰ってきました。

イタリアから
スマホでブログの更新をしてきましたが
写真のサイズが極小だったり
巨大だったり、改めてパソコン画面で見て
ビックリしました。

海外に居ても
このように更新ができたのは
おもにイタリアの都市部に宿泊して
ホテルのWi-Fi環境が良かったからです。

それでは今日から暫くは
イタリアの思い出を
綴って参りたいと思います。


2月5日
朝の7時35分発のANA機で
羽田空港に向けて出発しました。
今回もANAとイタリアへのルフトハンザ航空とが
スターアライアンスメンバーなので
高知龍馬空港で預けたスーツケースが
ミュンヘンを経由して
最終到着地のミラノまで、途中で引き取る事なく
直に届きました。

今回の旅行も
安くて安心の阪急交通社のツアーに
参加しました。


このルフトハンザ機に乗りました。


35分遅れで機上の人となりました。
サービスの良いルフトハンザは、直ぐに
飲み物のサービスがあります。
赤ワインを頂きました。

羽田便には日本人のCAも4人程乗っています。


機内食で必ず出る細巻き寿司。
主菜は鶏肉のピカタか、豚の生姜焼き丼か選べます。
私は鶏肉のピカタを選びました。
エコノミーの食事しかしたことが
ありませんが、ルフトハンザは良い方だと
思います。
でも国際線でJALもNANも搭乗したことは
ないかもしれません。

今年1月15日にイランが
ウクライナ旅客機を撃墜した事件が発生した時に
いち早く飛行ルートの変更したルフトハンザ。
いつもヨーロッパ方面に行く時は
中東諸国の上空を飛ぶので、
2月にはイタリアに行くことに
なっていたので、不安でしたが
ルフトハンザは即、ルートを変更しましたね。

北ルートは羽田から山形県上空を飛び
ロシア上空をひたすら飛び続けます。
ロシアの北極圏に近い上空を飛んだ時の
氷に覆われた海?

そして高度を下げてミュンヘン近郊の


上空を通過するルフトハンザ機。


この時のルフトハンザ機の機長は
着陸が最高に上手で、何の衝撃もなく
気が付いたら着陸していた・・・・・・という感じでした。


前置きが長くなりましたが
明日はファッションの都ミラノです。



今日も来てくださってありがとうございます。