昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

愛発の関は古道であった

2009-12-22 | 歴史・文化遺産
近畿地方から、北に位置する福井県嶺南地方は若狭国になる。これを隔てている峠道は、古代飛鳥時代から関所が設置されたところです。

 この関所は、古代、三関と呼ばれ、鈴鹿・不破(関が原)・愛発(あらち)の関の一つでした。

江戸時代の関所とは違って、人物改めが主だったようで、外から畿内に入る不審人物もさりながら、それ以上に外に出る者に警戒をしたらしい。

 中央政府に政争で敗れた人は、近畿地方の外に出て再起を期すということから、関の外に出る者を取り締まったと言う。

 都で権力争いの乱のあったときに、閉鎖をされたと「続日本紀」に記載されている。それは関所は右符を持ち、朝廷は左符を持ち、それが関所で一致すると関は閉鎖されたと言う。

 例えば、越前北陸に縁をたどった薬子は、ここ愛発(あらち)の関で差し止められている。また、長屋王一族が藤原氏の為に没した時、壬申の乱で大海人皇子が勝利した時、藤原仲麻呂が道鏡に追われた時、などに、閉鎖されている。



愛発の関を「あらち」と読める人は少ないでしょう。鈴鹿の関・不破の関とここである。

国道161号線を走っていても、全くそれらしい遺跡は残っていない。そこには近畿から北陸に向う旧峠道だけであった。そこに愛発の村があった。





メタセコイヤ並木から、国道161号線に戻り、北に向います。福井県に入った辺りで、標識が出てきました。






北陸最古の歴史と万葉集に出てくる詩歌の郷である。また紫式部も通ったと言うのが楽しい。





こんな標識は最近のもので、以前に通過した時はなかった。

ハイキングコースにもなっている。







少し峠の方に進むと、地区の名前が変わった。


琵琶湖の東岸をたどる9号線と湖西をたどる161号線の分岐地点でもある。





車で行ける所まで行きます。




車はここで限界でした。深坂古道は、峠を越えて琵琶湖東岸を南へ下り、長浜・草津に通じます。



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはよう(^o^)丿 (アガリ)
2009-12-23 05:45:55
紫式部が通ったような古い道が今も残ってるんですか
ちょっとビックリです
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歴史物語が沢山ありそう (西恋おじん)
2009-12-23 10:12:08
こんな古い道が残っているのですね。いろんな歴史
が展開されたことが思われますね。
わが市にも伝鎌倉街道という切通しがありますが、
ごく短い道です。
愛発という地名もいいですね。由来があるので
しょうが。そういえば、私の住んでいる所も恋ヶ窪
という地名です。戦国時代に宿場だった町で、武将
と遊女の切ない恋物語があったそうです。
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アガリさんおはよー (tetu)
2009-12-23 11:24:40
 古代に、若狭敦賀から滋賀県を目指す時に、この峠道しかなかった。
 万葉集にも読まれ、紫式部とか、近くにある在原村(滋賀県)の業平の言い伝えなど、距離的にも最短で、古代の街道筋だったようです。

 むべなるかな。
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西恋おじんさんへ (tetu)
2009-12-23 12:29:10
 古代の三関で、名をよく聞くのは鈴鹿と不破ですが、愛発の関はほとんど聞きません。

 以前にも何回は通過していますが、バイパスを走っていました。

 恋ヶ窪というのは聞いたことがありますね。恋人岬とか恋路が浜とか、夢がありますね。
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いにしえの~ (旭川3sen6gouの まりあ)
2009-12-24 03:05:05
関とか、
古道とか・・、
北海道には縁が無いです~・・。
北海道には和人としての「いにしえ」は無いですものネ~。
だから日本のいにしえに疎いかもしれません。
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旭川のまりあさんへ (tetu)
2009-12-24 12:00:50
 こちらには古人が築いてきた文化文明が多く残っています。足跡をたどると、先人の悲喜こもごもの世界が広がります。

 北海道には、雄大な自然が至る所にありますね。いつも楽しませてもらって、有難うございます。
 地球の悠久の歴史まで感じられて、夢はますます広がります。

 以前訪ねた比布駅の近くの神社にあった開拓の祖の人たちの業績に頭が下がりましたよ。
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