明治維新で天皇が東京に遷座したために、京都の市民は落ち込んだという。そこに出てきたのが、琵琶湖の水を京都に引き込む大事業を、外国の手を借りずに疏水のトンネルを掘った心意気に元気を取り戻した。市民はそれで電気を作り、電車を走らせるなど、新しい時代の到来に元気づけられたという。
三井寺付近からトンネルを通り、京都の南禅寺の裏山に水は運ばれる。人呼んで琵琶湖疏水。
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拡大します。「鹿関橋」まで行きました。比叡山に行くときの寄り道だった。
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鴨川や地下水などで賄っていた都の水を琵琶湖から得ることは、都の人の夢を叶えたものだったでしょう。
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以前にも秋にアップしましたが、琵琶湖の取水口の湖岸です。遠くに水生植物園の風車が見える。
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閘門がある。かつて船が往来した時には開閉をしただろう。今は閉めていて、隣の通路から流れます。
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流れの下流側から見た閘門。
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そして流れは山の中に吸い込まれる。庶民の足となった船便が通い、京都の蹴上まで座ったままで行けた。
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運河の両岸に並ぶ鋳鉄の垣根にも時代を感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/fa/7322819cfe2edeeca2b7d36934b0575e.jpg)
トンネルの入り口の石造の洞門が見える。
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建設に尽力した技師は、若い力であった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/5a/535c2c3adaff4f0cf5aad73a2f1685c2.jpg)
これは京都市側の、疏水のトンネルの出口である。左は後に作られた第二疏水が合流している。ここは蹴上である。
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南禅寺境内に流れる水道橋はTVにもよく出てくる。水路閣です。
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見事な造形です。レンガ造りは文明開化だったと思う。
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三井寺付近からトンネルを通り、京都の南禅寺の裏山に水は運ばれる。人呼んで琵琶湖疏水。
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拡大します。「鹿関橋」まで行きました。比叡山に行くときの寄り道だった。
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鴨川や地下水などで賄っていた都の水を琵琶湖から得ることは、都の人の夢を叶えたものだったでしょう。
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以前にも秋にアップしましたが、琵琶湖の取水口の湖岸です。遠くに水生植物園の風車が見える。
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閘門がある。かつて船が往来した時には開閉をしただろう。今は閉めていて、隣の通路から流れます。
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流れの下流側から見た閘門。
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そして流れは山の中に吸い込まれる。庶民の足となった船便が通い、京都の蹴上まで座ったままで行けた。
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運河の両岸に並ぶ鋳鉄の垣根にも時代を感じる。
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トンネルの入り口の石造の洞門が見える。
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建設に尽力した技師は、若い力であった。
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これは京都市側の、疏水のトンネルの出口である。左は後に作られた第二疏水が合流している。ここは蹴上である。
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南禅寺境内に流れる水道橋はTVにもよく出てくる。水路閣です。
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見事な造形です。レンガ造りは文明開化だったと思う。
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でもあのトンネルを通るのはかなり怖そう…
それからお寺の境内にこんな水道橋があるんですね
知りませんでした