日光からの帰り道、懸案の権兵衛峠トンネルを通る気になった。
木曽谷と伊那谷と結ぶ峠で、信州でも1・2を争うほどの厳しい峠だったそうです。江戸時代より古くは歩く道はあったそうですが、元禄9年に権兵衛さんが馬でも通れる道に改修したので、以来、権兵衛峠と呼ばれるようになったと言う。
地図で見てみると微かな峠道が曲がりくねって付いているのに、興味が湧きドライブをしたものです。
それは2002年でした。その峠道の古さ、大きな谷を這い回る蛇行した道、これでも国道か!と思いながら走りました。
以来、この山道を行くこと3回、1度などは峠の入口から出口まで、軽トラック1台しか出会わなかったときもあった。これでも国道?と思いながら楽しんでいました。
そこに2年前にトンネルが出来たと聞きました。これからは峠道は益々荒れる事でしょう。
地図の下の左寄りにあるでしょう。国道361号線です。今では10分もあれば木曽谷から伊那谷へ抜けられます。
木曽十一宿の奈良井の宿から奈良井川を遡ります。奈良井ダムがあります。
可愛いダムだけれど、休憩がてらに見物していると、ダムの管理人が出てきて、ノートに住所と名前が欲しいと言います。何でも、ダムを見学に来る人を記録してダムの評判の度合いのデータを集めていると言う。見ると結構人が訪ねてきている。
駐車場の花壇にはクルマユリが咲いていた。右は月見草の仲間らしい。
完成して2年経つトンネルはまだ汚れていません。車は2台/分くらい通る。
建設記念碑の横に、概要が掲示されていた。
この峠の近くに水の配分所の跡が残っています。
木曽谷は水が豊富ですが平地が少なくて米があまり取れません。一方伊那谷は平地が多いのですが、谷が浅くて水が不足していました。そこで、水を伊那谷に送るのと引き換えに、米を木曽谷に送っていたそうです。
さて、権兵衛峠を越えた時の写真があります。米俵を曳いている馬車が見えます。アルバムを探すとまだありそうですが、又の機会にします。
古畑権兵衛の名前が出てきます。古文書には「信州第一の難所」とあるそうです。
木曽谷と伊那谷と結ぶ峠で、信州でも1・2を争うほどの厳しい峠だったそうです。江戸時代より古くは歩く道はあったそうですが、元禄9年に権兵衛さんが馬でも通れる道に改修したので、以来、権兵衛峠と呼ばれるようになったと言う。
地図で見てみると微かな峠道が曲がりくねって付いているのに、興味が湧きドライブをしたものです。
それは2002年でした。その峠道の古さ、大きな谷を這い回る蛇行した道、これでも国道か!と思いながら走りました。
以来、この山道を行くこと3回、1度などは峠の入口から出口まで、軽トラック1台しか出会わなかったときもあった。これでも国道?と思いながら楽しんでいました。
そこに2年前にトンネルが出来たと聞きました。これからは峠道は益々荒れる事でしょう。
地図の下の左寄りにあるでしょう。国道361号線です。今では10分もあれば木曽谷から伊那谷へ抜けられます。
木曽十一宿の奈良井の宿から奈良井川を遡ります。奈良井ダムがあります。
可愛いダムだけれど、休憩がてらに見物していると、ダムの管理人が出てきて、ノートに住所と名前が欲しいと言います。何でも、ダムを見学に来る人を記録してダムの評判の度合いのデータを集めていると言う。見ると結構人が訪ねてきている。
駐車場の花壇にはクルマユリが咲いていた。右は月見草の仲間らしい。
完成して2年経つトンネルはまだ汚れていません。車は2台/分くらい通る。
建設記念碑の横に、概要が掲示されていた。
この峠の近くに水の配分所の跡が残っています。
木曽谷は水が豊富ですが平地が少なくて米があまり取れません。一方伊那谷は平地が多いのですが、谷が浅くて水が不足していました。そこで、水を伊那谷に送るのと引き換えに、米を木曽谷に送っていたそうです。
さて、権兵衛峠を越えた時の写真があります。米俵を曳いている馬車が見えます。アルバムを探すとまだありそうですが、又の機会にします。
古畑権兵衛の名前が出てきます。古文書には「信州第一の難所」とあるそうです。
通るの大変でしたよね
私の母の実家は山の中にあるんですが
子供の頃は車がすれ違うのも大変な山道を
バスで通ったものでした
木曽山脈を越える道は南の飯田から馬籠の道しかありませんね。こちらも道がよくなりました。
時間を掛けて、味わいながらのドライブが一つずつ減ってきますね。時々は故意に旧道を走る事がありますよ。
この意見には、賛同できます。
私も、急がない時は、高速道路をひとつ手前で降り、下道を走ります。高速では味わえない風景が見られます。
今度は「エコ」の波に乗せられているのかも。