昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

平城京邸宅図(平城遷都1300年7)

2010-03-15 | 歴史・文化遺産

数多くの木簡の発見によって、かなり当時の平城京がわかってきました。これからも過去の文化遺産は、新発見がある度に変更されながら、進んでいくことでしょう。

このジオラマは、奈良の市役所に展示されているもので、今後、さらに変更するものがあるかもしれません。


当時の役所で生計を立てる人は7000人を数えたと言います。



 律令制度は、個人の土地所有を禁じていた。すべては国家のものでした。そして、自分の邸宅は決められたところに住みました。

木簡や出土品から誰の屋敷かが判明してきました。木札に氏名が書いてあり、木札の色で住んだ人の役所の中での位階が判ります。


三位以上の位の人は紫色の服を着ます。三位未満の人は赤の服です。従五位未満の官吏の服。そして一般の役人の服などは青です。






住居の名前のある木札も、位階の色に合せてあります。




人々の生活。これも役所直属の工場ですね。



位階による住み分けでも、長屋王のように、それが一等地だったとしても、屋敷を囲まれ、非業の死を迎えた人もいました。最も小さい役人の家でも400㎡ですね。


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6 コメント

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おはよう(^o^)丿 (アガリ)
2010-03-15 05:35:00
流石に都だけあって綺麗な街並みだったんですね
それに土地が個人の所有じゃないというのは初めてしりました
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今となっては.. (地理佐渡..)
2010-03-15 06:33:27
おはようございます。

まさに都の町中に400平方㍍の敷地。
下級役人でもうらやましい程ですね。
しかし、日の出と共に出勤はつらい
事だったと思います。
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アガリさんおはよー  (tetu)
2010-03-15 10:18:43
 古代国家とは言え、かなりな組織力ですね。
 家並みは今で言う、公共団地でしょうか。これらの場所の大部分が江戸時代までは田畑であったと言います。そして、その畦道に当たるところが、当時の土塀の跡として残っていたそうです。

 明治になって、国の保存を訴えて、今の姿を残した奈良の偉人もいます。

 どこを掘っても、建物の柱の跡が出るそうです。
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地理佐渡..さんへ (tetu)
2010-03-15 10:24:06
 今の都会では、場所によりますが、130坪くらいの家であれば、そこそこのものでしょうね。

 生活の様子は、ピンからキリまで、豊かもあれば、貧もあったことが、記録にありますね。

 政争の渦巻く修羅場もあったことでしょうね。
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北海道の (旭川3sen6gouの まりあ)
2010-03-17 19:49:25
市町村は皆
「北の平城京」
と言っていいかもしれません。(笑
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旭川のまりあさんへ (tetu)
2010-03-17 21:10:30
 この時代に、人口10万人の大都市ですね。

 当時の町並み再現のジオラマの写真で、全体の1割くらいでしょうか。

 
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