昆布が美味い

羅臼の昆布漁を見た時にスタートしたblogです。昆布のダシのように、人生の旅にも味付けをしたい。旅を中心に纏めています。

硫黄島(鬼界が島)紀行の思い出(7)

2014-01-11 | 歴史・文化遺産
集落の中の伝承地を見て歩く。
黒の板戸で囲われた建物は、黒木御所と呼ばれ史跡になっている。


 

安徳帝が、年の初めに、神聖な水を汲んだ井戸。
 



村の集落の中の小路には、平家の落人や、その他の公卿や武将の住まいであったことを示す。
 
 



宿泊でお世話になった旅館「ほんだ」の玄関にあった島の案内図面。


番所は、当時の権力者の出先機関として、租税なども集めていたらしい。

その番所であった建物を取り囲む石積みの塀は、植物の根に包み込まれている。




不思議な劈開をする岩石。



俊寛の足摺りの砂浜に、俊寛像が建てられている。長浜川は、島で唯一の川である。



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4 コメント

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おはよう(^o^)丿 (アガリ)
2014-01-11 05:05:26
墓だけでなく御所もあるんですか
案外本当に安徳天皇がこの島に来たのかもしれませんね
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アガリさんおはよー (tetu)
2014-01-11 12:52:21
観光面で村おこしを図ったのかも知れませんね。南海の小島でありながら、ロマンの多い島です。平家伝説がここにもあったという気がします。
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この島 (旭川3sen6gouの まりあ)
2014-01-13 10:21:05
歌舞伎の一場面としてでしか知りませんが、
俊寛の悲嘆振りからすると、
当時のこの島は絶海の無人島ででもあったのでしょうかね。
俊寛の死後、島内が人里になった?
平家転覆を図ったものが流された孤島に
その平家が滅びて、最後の天皇や共のものたちが流れてきたというのは
なんとも奇妙なストーリーです!
今はたいそう賑わっている島のようですね。
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島流し、遠流の罰 (tetu)
2014-01-14 02:17:48
 土着の漁師とかは居たようですよ。
 例え、それが流罪の人であったとしても、都の風俗・文化をもたらしてくれる人が、新しい文化を持っていることに尊敬の念があったに違いありません。
 都人が衣食住から何もかも自分の手でするのを見て、島の人たちの生活は、見よう見まねであっても、島に活気を与えたと思いますよ。
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