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日本酒のこと / 鈴鹿山脈の山歩きのこと

四日市祭

2012年10月08日 | 日記
10月7日の午後、四日市祭を見に行った。諏訪神社周辺で、国内最大のからくり人形である「大入道」や「甕破り」「岩戸山」「菅公」の山車、「鯨船」「大名行列」が練り歩く。


諏訪新道に到着したときには「甕破り」は終わり、「岩戸山」の演技が始まった。巫女姿の天鈿女命が、いかがわしいタヌキに変身するのだが、ビルの日陰になって一層いかがわしく、また寂しい。こういうのは明るいところでやって欲しいもの。



菅公」にはカラクリ人形4体が乗る。童が筆を使って漢字一文字を書き、菅原道真に褒められて喜ぶというストーリィーが展開される。書かれた文字は「秋」。観客から拍手が巻き起こる。






大入道」である。腕を振りながら首が伸びるかと思うとアカンベー。眉が動き、目の色を変え、舌を突き出す。胴を左右に振ってアカンベーの連発。その昔、味噌蔵に現れた化けタヌキを退治するために町民が作ったと言うことになっている。しかし、演技中に舌が出なくなってしまった。故障である。


山車には、山口虚子の一句が掲げられている。さて、何を天に告げているものか。有名な俳人だが、大袈裟に過ぎるように思う。




勇ましい太鼓の音と共に「鯨船」が入場してきたが、修理中の「大入道」に道を塞がれて手持ちぶさた。

この四日市祭は、かつては東海地方の一大イベントであった。
司馬江漢の「江漢旅譚」(国立国会図書館デジタル化資料)には、1788年(天明8年)当時の祭のスケッチが掲載されている。また、同じく「西遊日記」には「7月26日・・・四日市諏訪祭あり。夜宮にて、亀六と参る。京風の山と云う物出る。冨士の巻狩の練り物を見物す。」とある。
しかし、空襲で市街地が焼失して多くの山車を失い、現在は8月の第一土・日の炎天下に商業祭として行われている。これを秋祭りとして復活させようとするものが、この祭りであり、「菅公」が「秋」の字を書く所以である。


「鯨船」が修理中の「大入道」の脇を通って演技会場へ行く。


修理中の「大入道」が練りを見送る。夕日に照らされたメカゴジラの映像が脳裏で重なってしまった。
前方は国道一号線(東海道)を挟んで諏訪神社。後方は旧四日市港。四日市の町は街路に沿った、東西に細長い町であった。現在の諏訪新道商店街には、高層マンションが目立つようになった。行政・電力会社には、道路標識はともかくとして、電線の地中化を願いたいところである。

型落ちしたデジカメD3100を激安で購入。本日、初出動なり。
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