肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『アヒルと鴨のコインロッカー』、観ました。

2008-02-19 21:21:49 | 映画(あ行)





監督:中村義洋
出演:関めぐみ、キムラ緑子

 『アヒルと鴨のコインロッカー』、観ました。
仙台の大学に進学し、初めて一人暮らしを始めた椎名。ボブ・ディランの「風に
吹かれて」を口ずさみながら引越の片付けをしていると、アパート隣人の河崎から
唐突に本屋襲撃に誘われる。やはり同じアパートに住むブータン人留学生の
ドルジが落ち込んでいるから「広辞苑」をプレゼントするのだと。椎名は困惑し
ながらもモデルガンを手に襲撃の手伝いをしてしまうのだが‥‥。
 《誰が、いつ、何を、どうした》というのが、スタンダードな映画の文法なら、
この映画では《誰が》の人称部分をシャッフルし、まるでバラバラにしたパズルの
ワンピースの如く見せていくアクロバティックなもの。実際、タランティーノや
ガイ・リッチー、そして『シックス・センス』に影響を受けた(だろう?)クライム
サスペンスの典型だが、タランティーノほど血生臭くなく、ガイ・リッチーほど
展開が目まぐるしくない本作は、良い意味で“のんびりした脱力感”が心地良い
仕上がり。個人的にはとっても楽しめた。“映画のウソ”をトリックにしたアイデアは、
ダマされたとて痛快だし、チープにしてとことんヌケてる登場人物達がクスクス
笑いを誘発する。欲を言えば、ここで表面化するいくつかの諸問題―――
弱者(ペット、ブータン人)へのいたわり、神の存在と復讐の是非、それから、
文化と文化の垣根を超えた人間同士の絆など―――が一本に繋がり、観る側に
“明確なテーマ性”として伝われば尚のこと良かったかな。だた、この映画の場合、
そこに何らかのメッセージ性を感じ取ってくれれば良いし、そうでなくとも(単純に
娯楽映画として観てもらっても)一向に構わない、みたいな‥‥。中村義洋監督
自身にそういう“ガツガツした力み”が感じられないのが作風だったりするんだけど。
 (以下ネタバレ有り)ラストシーン、主人公の椎名とドルジが出会うきっかけに
なったボブ・デュランの『風に吹かれて』が、カギの掛かったコインロッカーの中で
繰り返し流れている。そして、その前にはドルジと固い絆で結ばれた亡き友の
フォトグラフ。今にして、オイラは思うんだ、それは椎名からドルジに送った
“友としての、最後のメッセージ”だと。ブータンでは今も“生まれ変わり”が 
信じられているという。だとしたら、友の死と共に消えてしまった友情も、いつか
必ず生まれ変わってくる。神(ボブ・デュラン)の前で、誰に見られ触れられる
ことなく、何度も何度も繰り返しながら‥‥。更に映画は、「じゃあ、また」と言って
駅のホームに歩き去る椎名に、「“また”って、いつだよ?」とドルジが問う。椎名は
心の中でこう言っていたに違いない。その答えは‥‥“いつか”。風に吹かれて―――
この友情がまた生まれ変わるその時まで。






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