働く主婦のじゅんこです 

自分探しから始まった幸せへの道・・いくつになっても旬な女性で生きるカギ☆

「子は宝」の本当の意味

2009-06-11 05:42:37 | 家族
子供の頃、どんな時だったか、記憶はさだかでないが、母から「じゅんこは川で拾ってきたんだよ」と
脅かされたことがある。

「えっ、捨て子だったの?」と驚くリアクションを見たかったのかもしれない。

しかし、期待に反して「捨て子ならこんなにかわいがってくれるはずないよ」と打ち消していた。
それどころか、「桃太郎のような桃子だったの?」と空想好きな私は、作り話をせがんだものだ。

私は、子供達にこんなことは、言えない。
だから、言ったことがない。
夜中に家出でもされたら困る・・・。

母は、子育てが生き甲斐だった。
手製の洋服、朝から焼きたてパンに、日替わりおやつ、誕生会のデコレーションケーキに至るまで・・・。
それらのレシピは今や次女に受け継がれている。

本や音楽、絵や書など良いといわれる環境は何でも整え、どこにいても母の視線を感じていた。

だから、たとえどんなに「拾ってきた子」と念を押されたところで、親子関係はビクともしなかったのだ。

ひったくりで捕まったある少年が、「自分は川で拾われた子でないか」と思うようになったと言う。
幼少の頃からあざが残るようなひどい暴力を受け続け、育った彼は、「どうしてこんなに殴られるのか」と
親を嫌い、犯行を繰り返していた。

「愛されていない」寂しさ、親への不信感が、非行に走らせた一つの要因と言えるだろう。

子供にとって、何が大切なのか。子供は親に何を求めるのか。

モノも環境も有難かったが、何より支えになったのは「子は宝」と子を命としてはばからない母の愛情だった。
だから、私も子供達に何も与えられなくても、心をかけてきたつもりなのである。

更に「よくぞ生まれてきてくれた」という喜びが大きいほど、接する機会が少なくともそれを伝え、
気持ちが素直に届けば、子はついてくるのだろうと思う。

これは、理屈から言えば簡単だが、口先だけで通らないところに難しさがある。

なぜなら、心から「子は宝」と思えるには、親自身が「自分は宝」の自覚なくしてできないことだからだ。

心通う親子関係や、子供が活き活き育つかどうか、問題の根っこはここにある・・・。
根は、深いだけに長くなるので、次に続く☆

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