ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔身辺雑話〕手製コンニャク作る 男たちの隠れ里

2005年11月01日 | 身辺雑話
地元のNPO法人の理事長さんから誘われ江戸川近くのFURUYA村へでかける。 ここには広大な畑やみどり青々とした竹林があり、今は使われなくなった牛舎をきれいに改造した家がある。 2年間、休みのたびに集まったNPOの仲間がトンテンカンと日曜大工の器用な腕前を披露し、牛舎を男たちの「隠れ家」に作り変えた。


青竹の天井、青竹の壁 は集ってくる人たちの気持ちを不思議になごませ、落ち着かせてくれる。
 広い土間中央には大きな囲炉裏が作られた。
 自在鍵まで吊るしてある。
炊事場もできた。
 煮炊きが できる大鍋用の竈もデンと置いてある。
 冷蔵庫は中古だけれど中にはビールが冷えている。
 次の間は100坪近い作業場で大工仕事ができる広さの一角にマキが うず高く積まれている。
 午前中ジッタンは竹林の下草刈りを担当した。
 だが刈り取るほどの力は不要で、下地が腐葉土になっているせいか下草と一緒にミズヒキなどの野草もズブズブ と簡単に引き抜ける。
 みんなよく働く。
 竹林の伐採をする人、部屋の模様替えで大工仕事を続けている人、竈で大湯を沸かしている人、それぞれが自分勝手に仕 事を探して自分勝手にしかも熱心に仕事を続けている。
 定年になったジッタンよりはるかに年嵩の元税務署員のホンヤさんは竹細工作りの名人で地元の子供たち 用の竹トンボをすでに千本作った人。
ただ先ごろ竹で能面を作っている最中に指を怪我して休んでいたが、いまはもう復活している元気な人だ。
 元薬剤関係の仕 事をしていたが、悟ることあって、東洋医学を学び整体師となたNさん。
 Nさんの友人で一級建築士の鈴木さんなど現役、退役入り混じっての”村づくり”となっ た
。 SOHOのEさんも差し入れビール持参で登場。持ち主のHさんも顔を見せ、ジッタンを畑に連れ出しコンニャクイモの苗と玉を実地見分させてくれた。
市場に流 通しているコンニャクは乾燥粉末にしたものを使っているとのことで生のコンニャクとは味が違うとのこと。
 2年ものの玉が一番おいしく3年立つと花が咲いて 玉(茎)の分化がはじまるからだめだということも聞いた。
 生コンニャクは赤ん坊の頭ほどの大きさで巨大な里芋に似ている。
これをスライスしてミキサーにか け、大がまで茹でる。
 茹で上がれば2キロほどのコンニャク玉は10キロ近くになっている。
 これを力を込めてこね上げ、箱型に入れてコンニャクの四角い型を作 る 。
 刺身よし、囲炉裏のけんちん汁の大鍋に入れればこの味は格別美味い。
 牛蒡、ニンジン、里芋などけんちんの食材はいずれもご当地地産地消のものばかり。
 小 宴はさらに盛り上がる。
 今夏にはこどもたちがたくさん集まりここで里山の体験をして遊んだ。
 ここはカブトムシもたくさんとれ、あそびには事欠かない自然がいっぱいの場所だ。
 食 事の火起こしを手伝っているとき火吹き竹という懐かしいのがあった。
 50センチの竹の節をくりぬいて下に5ミリほどの穴をあけ、文字通り火を吹き火力を強 める小道具で、マゴの土産にとホンヤさんに頼むと「ハイヨ」とあっという間に2本作ってくれた。 ところがこれで試している内、火のそばでやりすぎて、燃え て小さな穴が大きくなってしまうチョンボをしてしまった。
 自然がみごとに残っているこうした里山にこどもたちやマゴを呼んで世代間の交流ができたらすばらしい。
 こういうことがあまりにも忘れられ遠ざけられてい る。
 来年は一族郎党で参加する心づもりとなって散会した。

■■NPO NPO法人はSOHO〈ソーホー〉事業者・起業者等活動支援センター(愛称ソプレ・SUGITO)。
IT機器を使い自宅などで仕事を行うソーホーの支 援施設として設置されたが、ふるさと元気市など現在ではITに限らず、さまざまな地域のコミュニティ活動を行っています。

http://www.sugito.com/ 左の案内 FURUYA村をクリックしてください。ご紹介まで。

■■昭和家庭史
父と母たちの歩み関東大震災編を終えてほっとしています。
これから震災をのがれた名古屋編に取り掛かります。
つたない家庭史にアドバイス、ご指導いただいた方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。
息長く、昭和家庭史を綴っていきたい。
今後もどうぞよろしく。


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