ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔昭和家庭史〕光男終戦日記(8) 昭和20年11月

2006年12月26日 | 昭和家庭史
11月1日
 昨夜から、今日にかけて、鮪のさしみ、煮付けを食ふ。
 実に何年ぶりかで、待望の鮪を食った。

11月3日
明治節で工場休。店多忙。
晴天で、店、明るく暖かく気持良し。

11月4日
今日も晴天。日曜で店をやる。
今日も多忙。夜、家中で、鈴木と一緒に映画へ行く。

 11月5日
 今日、やっと、店の営業許可書下りる。

11月6日
 衣料保管料後期分八○六円、為替で、小石川区役所防衛課宛へ送る。 組合加入。

11月7日
 電燈會社へ行き、五十燭三ツに増燈、ラジオ線を廃止の手続きをする。
家内中揃ひ、康弘を連れて、霞が浦へ行く。 魚は一匹も釣れなかったが、天気は良し、暖かく、実に愉快だった。
確かに壽命が延びたと云う気がする。
 夜、おふくさんが昨日につづき、又牛肉を百匁届けて呉れる。

11月11日
日曜。朝の内、どんより曇ってゐたので、がっかりしたが後、晴れて暖かになる。
今日は客種よくて三十円。

11月12日
 鴨飛田に近況報告の手紙を出す。

11月17日
 皆で東寶へ行き”名人長次彫”を見る。 愚劇なり。

11月18日
晴。暖かだ。
例に依って多忙なり。
 片岡さんの親戚の所へ行き、一車、薪を買って来る。 十円。
 是で心配してゐた燃料も当座の分は解決した。

11月21日
 今日から、工場の手間賃、請負制度となる。
 努力次第では、月収五百円前後は確実となった。
 隠忍六ヶ月、やっと前途に希望の光が輝き出した。 自分の是迄の方策、誠実、努力、------遂に酬はれる時が来たのだ。
 あゝ、遂に酬はれたのだ!

11月23日
晴れ。
この二、三日暖かだから実に有難い。
麥一斗二百五十円。さつま芋二俵百四十円を、高津へ行って君子が買って来る。
今日、秋刀魚配給。二匹で五円には驚いた。
然し今月に入ってから、牛肉三百匁、まぐろ二回、ぶり一回、いわし一回、あんこう一回、そして今日の秋刀魚と蛋白質は、大分摂れたので助かる。

11月24日
 今日、月給を貰ふ。 請取制は廿一日からだから、当然、家族手当は今月分は貰へる可きだのに呉れぬ。
ケチな了見だ。

○11月分労農米一升五合配給。

11月25日
 日曜。店をやる。
今日は馬鹿に眠い。そして疲労甚だし。
 午後、二時間ばかり、英生を連れて、高津の方へ散歩に行く。
 帰途、土手で枯草に寝轉ぶ。快感。
 是から時々、日曜日には散歩に来ようと思ふ。

11月26日
 一日中、2CCの口返し。 今迄最高七百位だったが、今日は千百三十本。
 仕事に段々自信がついて来た。従って愉快である。


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