ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔07 くらし雑感〕 晴れて卒業

2007年03月14日 | 2007 くらし雑感
晴れて卒業を迎えられるとは思わなかった。
一時は中途退学を考えた時期もあった。
「農」を学ぶことの2年間が過ぎた。

 3月10日、晴れて第一回市民農業大学卒業式がぐるる宮代(宮代町総合運動公園)の会議室で挙行された。
2005年の3月、NPO「菜の国みやしろ」が「市民農業大学」をはじめて開校した。
その紹介が当時の読売新聞地方版に出て菜園作業のど素人の私は手を挙げた。
草加、越谷、大宮、羽生、栗橋など近隣の市や町から同じように参加希望の老若男女が25人集まって生徒となった。
会場から見える農園圃場で各自10坪の土地が割り当てられ、2年間で作った野菜は20種類に及んだ。
キュウリ、スイカ、落花生、ゴーヤ、トマトなど実地指導や座学を受けた。
最後は炎天下でソバの花をまき、収穫し蕎麦打ちから試食までを行った。
だが私は農作業の、のみこみが遅く、したがって作物の出来も悪く、その上で直近に住んでいるということでグループ班長まで仰せ賜った。
挙句に挫折。
2年目を迎えるときに、これ以上迷惑をかけてはと自主退学を考えた。
ところが、いつの間にか「四天王」と自称するリタイア飲ん兵衛4人組が生まれ、慰め励まされている内、本日をどうにか迎えられた。
二年目は専科コースが花卉、ぶどうコースと別にあり、結構多忙な日を送った。

 農園現場で納得できる説明で好評の農業経営のS先生も今日はめずらしく緊張気味に挨拶。
校長先生である元農業高校のS先生は格調高く挨拶。
優秀な班グループが表彰され、個人最優秀賞は該当者なく優秀賞表彰になって4天皇を含め6名がヒョウショウジョウをいただいた。
呑み助3人は、誰からみても農の技術、識見において問題なく受賞に値する人たちだが、私が選ばれたのはどうも合点がいかない。
1年目のスイカが誰から見ても不作で、2年目は10個以上ができたから”努力賞”的な性格だったと思う。
第二期生徒を迎えるにあたって一期生からウッドテーブル一式を農園に寄贈した。
その農園は我々生徒のボランティア活動ですでに整備され、牛糞がすきこまれ入学準備はできている。
二期生の生徒は55名の規模となり、圃場も二箇所に分かれて実地指導を受ける。

 卒業式のあとはみんなで記念の会食、夜は有志で懇親会を駅前の居酒屋で行った。
紅一点、いける口のHさんも参加。
2年間の思い出と本日の挙式で多くの反省点も生まれたので備忘メモを記しておく。

● 式次第のときには姿を見せていた名誉校長の町長が時間の都合で、挨拶をもらえ
  なかったのは運営側の不手際だよな。

● 団体賞、個人賞の賞状に主催側の印鑑がないのはどういうわけ。

● 校長、教諭、理事長は背広だが、生徒はいつもの”野良着”(ジャンバーなど)
  だったのは非礼だったんじゃ。

● 校長、教諭の挨拶に対して生徒側からの答辞や謝恩のことばがないのは卒業式ら  しくなかったよ

● お世話になった先生方を拍手で送り出す演出があってもよかったのでは。
  生徒と一緒にゾロゾロと帰るのは寂しかったわ。

● そういえば、マイクの調子が悪く、直前に校長まで参加して性能テストをやって  いたね。アシスタント組がもっとしっかり準備するべきだ。
  あれが会社の営業イベントだったら、どやされるど。

■■ これからそのアシスタント組になる我々は、以て今回を他山の石としようでは
   ないか。

「んだ!」「異議なし!」
 と盛り上がって深夜おひらきとなった。
 来週には、草木湖へ記念の修学旅行が計画されている。
              (2007年 3月10日 記)


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