60代以降の年齢の人にしたあるインタビューを見て面白いなと思った。
それは年齢に対して感じていることだった。
その中で多くの人が自分自身では特に何かを感じはしないけれど
周りの自分への扱いや見る目が変わると言ったものだった。
もちろん、身体の動きが悪くなることも言っていたけれど。。。
私たちは全員が今の自分自身より年上の経験はまだしていない。
だから本当の意味でその年齢の体験、身体の機能
衰えなど何もわかっていない訳だ。
いいところ推測をするくらい。
でも、生きていれば必ず誰もが年齢は上がり
いつまでも20代、30代ではいられない。
いつの間にか身体の年数は経っているだけなのに
何となく他人、もしかしたら自分自身で
価値を下げた見方をしていくようだ。
ある人が「50歳をすぎると恋人になる対象として見られない」
そんなことも言っていた。
まあ、若者の中にいたらそうかもしれない。。。
世の中で活動の場にいる主体の多くが若者だから
そこから見たらもちろん未知の領域にある年齢の人は
もう古く、あまり使えないもののように見えるのだろう。。。
でも、これは大きな間違いだし偏見で
どちらも変わる必要があるのだと思う。
年齢に関係なく好奇心に満ち客観的に見ても活発で動ける人はいる。
また、年が上がって年寄りっぽくなってしまう方にも問題はある。
「どうせもう若くない」
「私も昔は綺麗だった」
「若いっていいね」
年齢を言い訳にしたり孫の世話ばかりしているから年寄りになるのだ。
歳をとったように見えるよう自分自身に呪文をかけているようなもの。
もちろん、お爺ちゃん、お婆ちゃんになりたい人もいる。
どんなに呼び方を変えさせたところで
やっていること、また自分の気持ちが老けさせるのだ。
まず、自分が他人に対して向けていた見方を変える。
自分自身が自分に向けている見方を変える。
何事に対しても周りの反応と同じように自分を扱わないこと。
人は自分でも思っていないようなところでも
意外と差別をしているのだ。
できることできないこと、長所短所は誰にでもあり
またそれと同じように年齢によっても出てくるだけで
何も数字や見た目で
できないことを周りや自分が決めつける必要はない。