それぞれが自分が正しいと思うことをしている。
誰かが違うと思っても、
それは誰かにとって正しいと思うことなのかもしれない。
そう考えると、どんなに相手のためだと感じても
必要以上に自分の思いを人に押し付けるよなことをしてはいけない。
どんなに言ったところで、本人がやりたいと思わなければできないし…
それぞれの思いの中で必要だと思うことを取り入れていくわけだし
時期が来なければ始めないこともある。
それぞれにはタイミングもある。
正しいことの押し付けは気をつけなくてはいけない。
今、アメリカ滞在中。
しばらく忙しかったので、
ここでは何もやる事もないし本でも読んでのんびりします。
と、言いながら勉強もするつもりです。
自覚は無かったのですが、
どうやら私はいつも忙しく何かやっているようで
いつも動き回っているか何かやっています。
何もしないでダラっとテレビだけ見ているという事は少ない。
せっかちだからという事もあるけれど、もったいないと思ってしまう。
人生の限られた時間を建設的に使っていきたい思いが
歳と共に強く感じるので自分にできる何かをやりたい。
不思議なことに、
前はもっとダラっと時間を無駄に使っていたし
何もしていないで過ごしていることもあったけれど
気持ちに余裕がなくて見えないものが多かった気がする。
でも、今は時間を有意義に使っているし
とても忙しくしているけれど気持ちには余裕がある。
時間や身体的動きと気持ちのゆとりとは
全く異なるものなのだろう。
忙しいから気持ちにゆとりがないのでは無い。
暇だからと言って気持ちにゆとりがあるわけでは無い。
ただ、人生において困難な事に遭遇すると考えやモノの見方を
再構築したり、深く見るという機会を得られる事もある。
成長する事もできるだろう。
成長の機会をどう活かせるか
ゆとりのある時間をどう活かせるか
それぞれの人生のサイクルを上手く活かせるようになると
人生をより充実できるかもしれない。