自分が物事を深く見て、
その意味自体を深く理解できているのか
当の本人は気づいていない。
これはとても難しい気がする。
言葉の中に含まれる気持ちを汲み取るわけですが
文章にしても言葉にしても
発信側と受け取り側があるわけで
お互いが違う周波数では話にならない。
それぞれが、それぞれの周波数で語ることができる
その場所にいることになる。
本人が周波数を変える必要があったり
変えようとしたときに始めて変化することができる。
物事を深く理解できるようになるということは
自分自身を深く動かす原動力を発動させることも
新しい見解ももつことができる
きっかけを作るかもしれない。
良いことも、悪いことも
深く見ることは全て自分自身に役立つ。
初めから物事を深く受け取ることはできない。
もしかしたら、元から持つ性質もあるかもしれない。
それでも、感情を動かし
多くの本を読み、人と深く接することは
きっと物事を深く読むことに役立つと思う。
目に見える世界も見えない世界も
自分の周波数を変えることが必要になるということですね。