30代の時は全く「年をとる」ことに対して
理解はしていても実感がなかった気がします。
それから更に年をとって、人生も半ばに来たとたん
何だか急に老けてきたし節々が痛くなったり
身体の老化を実感してきて
やっと、これが「年をとる」ってことかと認識しています。
もちろん、太ってきたり痩せてきたりするのも一つですよね。
身体の機能が落ちてきたり。
その身体を心地よく使えるためのメンテナンスが必要なときは
何かや誰かにお願いするのも有りだと思います。
昨日書いた整体も私にとって、その一つです。
最近特に強く感じているのですが
与えられている身体は
自分だと思っている自分じゃないものの
乗り物のようなものではないかと・・・
それを持って、どのように動かし操縦するのかは自分次第。
ちょうど、分かりやすい例えが来たので・・・
身体は「車」のようなものと考えてもらえば分かりやすいと思う。
新車を買うときに、見た目のカッコよさを優先したり
それぞれに適した実用性だけを優先したり、
スピードや機能の丈夫さや耐久性、
頑丈なものから色々なタイプがあります。
多くの人が憧れるものもありますね。
それで生まれてから人生という旅に出る・・・
ただ前だけ見て猛スピードで走っていく
慎重に左右の確認をしながら制限スピード以下でゆっくり走る。
周りの景色を見る余裕がある人ない人。
誰かが道を渡りたいのに譲ることなんてせず
自分がとにかく優先。
いつも車庫で磨いてばかりいたり
全く車庫から出さず車の存在さえ忘れられているかのようなものも。
自分の車で知らいな土地へドライブ・・・
地図もないし目的さえない旅の途中。
運転中、目的ができるかもしれないし
誰かに出会って会話に夢中になるかもしれないし
方向を変えるかもしれない。
誰かがいることに気付いても車を止まらせずに通り過ぎるかもしれない。
それをどのように扱い運転していくのだろ・・・
ちゃんと定期的にメンテナンスしている人もいれば
酷使して故障して初めてメンテナンスが必要だと気付く人もいる。
どんなタイプだろうが、同じように乗り物であることに変わりはない。
天気が悪い日もいい日も同じようにあり、
高速道路のような道や一般道、舗装されていない道に出るかもしれないし
選んでいくかもしれない・・・
それでも向き不向きなど活かせるものも違います。
だけれど、これだけは同じように忘れてはいけないことがある。
乗り物自体に夢中になり過ぎてしまうので注意ということ・・・
自分の車に夢中になりすぎてしまったりしたら
本来の目的をを忘れて本末転倒。
はじめは故障も少ないかもしれないけれど操縦は上手くないかもしれない。
無茶をしてもまあ何とか大丈夫かも。
ある程度の時がきてメンテナンスが必要なときは上手に取り入れ
本来の性能を活かして周りの景色にも気づける余裕をもって
ドライブをしていく。
どのように運転してどんな道を選びながら進んでいくのか・・・
人生という道をドライブしているのかもしれませんね。
そんなイメージがありました。