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★ Tのゆるゆる日記 ★ 

人生どこへ向かうのか?
目に見えないものを知りたい。

家族

2024-02-22 | 日記
家族の形は様々だ。

それをどう受け止め、その反応の仕方も家族のひとり、ひとりが異なる。

それぞれが小さな集団となり家族と呼ばれる形をつくるのだけれど、
祖父、祖母、父、母、そして子となり繋がりながら構成されていく。
血の繋がりが有る、無い。

それぞれの性格をあらわにする場所かもしれないし、逆になる場所かもしれない。

また親と言う立場になったとき、
男、女と言う立場と親と言う立場を、
どのように人生に落とし込みバランスをとるのかは子供へ大きな影響を与える。
その影響は一生続くかもしれない。

家族を大事にする人もいれば
自分だけを大事にしたい人もいる。
生活のために結婚を選ぶ人もいれば、子供ができたので結婚する人もいる。
世間体、老後の安心のために子供を持つ人もいる。

理由はどうであれ、それでも家族になる。
どんな理由にせよ、その家族の一員として生まれるのだ。

それぞれ、冷めた関係の家族
愛情いっぱいの家族
面倒だけれど放っておけない家族
それぞれがたまにしか会う必要のない家族

家族とは不思議な集団だ。









夜景を見ながら

2023-09-17 | 日記
昔ハワイ島に行った時に、地元の人とどこか山の方へ行った帰り車の故障で真っ暗な山道の中動けなくなり修理の人が車でそこで待つことになった。
外に出て空を見上げると
びっくりするほどの星とはっきり見える天の川に驚いた。

今回はグアムで初めて天の川を見に行った。
天気が左右することはタイミングも必要だし
いつでもできると思おうとなかなか行動しないもので
やっと見に行って写真を撮ることにした。
完璧なタイミングで新月の中、天気も良く
綺麗な天の川を見る事ができた。
時々、流れ星も。

大昔はもっとはっきり星を見る事ができただろうと思うと
その中からどうやってそれぞれの星を選んで
何座にしようと想像したのだろうかと不思議になる。
特別に大きく光っているわけでもないのに。。。

そんなことを思いながら空を眺めているだけで
贅沢な時間を満喫できる。

便利な生活はそこにある自然を見失う。
自然は美しくもあり、時には厳しくもある。

3ヶ月ほど前に大きな台風が来た時に
ダメになった家電製品や家具、壊れた家の素材など
道端に置かれたまま。。。
いつもそこにいる人にとっては、
そこにある美に気づかないことも多いのだ。





心地よさ

2023-09-08 | 日記
以前の私はちょっと細かく、気も利くので
周りにも気を使わせてしまっていた部分もあったと思う。
また、それが悪いことだと気づかなかった。

色々な人を見ていくうちに
それがいいことでないと気づき少しづつ変えるようにしてきた。
自分が細かいだけならまだしも、
人の大雑把さやだらしなさにもよく気づいて
自分自身が気持ちよくいられなくなってしまうのだ。
それだけならまだしも、相手にだって気を遣ってしまう。

気づいても気にならなくなって、
変によく見せようとしたり、飾って見せることもしなくなった。
構えなくなり、ある意味大雑把になっていると思う。

それでいいと思っている。
きっちりきっちりやると、相手も気にしないといけなくなり
リラックスできないものだ。

昔、知り合いの家に行ったとき
きっちりお掃除がされ、お料理も上手で
何より家がソファーからカーペットまで全て
真っ白すぎてとても気を遣った。
出しっぱなしのものもなく
シミひとつなく、全てがピカピカで完璧過ぎて
汚してしまわないかと気が気でなかった。

ある程度の抜けが相手に気を遣わせないことでもあると感じた。
気が利く、気が付くことを
明らかに表面に出し過ぎるのはいいことではないと私は思っている。
ある程度の大らかさは相手に安心感、安らぎを与えるものだ。








安い、タダの罠

2023-03-08 | 日記
安い、タダと言うところやモノには
いい人材や大事にしようと言う人や感覚が欠如する。

そりゃそうだろう。。。
自分にとってそれなりの高額だと思う料金を支払ったとしても
真剣になったり、大事に使い続ける人が少ないのに
なおさら安い、タダとなったら
より真剣にも大事にもする気持ちはなくなる。

目先のことだけを考えたり目先の感情だけに注目して
自分のゴールや全体像が見えていないのだ。
ちなみに、それは大人になったって同じ。
子供にはとやかく自分の理想を押し付けたとしても
自分は多めに見てあげるらしい人が多いものだ。

けれども、よく考えてみれば
自分の人生の時間というものは失っている。
大した金額じゃないと思っても、
その為に何かしらの小さな出費が生じているかもしれない。

子供のとき、若いときは自分の人生の方向も定まらず
楽しくもない学校へ行き、塾へ行き
大学などに行きみんなと同じようにお金を稼ぐ為に会社に勤めたりする。
若いということは、まだ死を考えないし
死から遠いと思っているからだ。

でも30代、40代、50代以上になっても同じような感覚の人は多い。
自分の周りに若い子供や若い人がいると
自分の感覚もその若さに引っ張られてしまうのかもしれない。
または自分を甘やかせる言い訳に彼らを使う。

自分で生み出したお金を使うということがいかに大事かわかる。
子供だろうが大人だろうが、しっかり自分でお金を生み出させ
それにかかるお金をしっかり見せ
それにかける全ての時間を考えさせることも必要。

それを考えている人が集う場所、モノ。。。
そんな人材、モノは刺激を生み出させる。

いつか私も何かするときそんななかにいたい。
そうじゃないときは、周りに流されたりしないことだ。
そんなことを考慮して





ちょっと変な話

2023-02-05 | 日記
少し前に何だか変なことがあった。

ほんの少し前にあった状態と同じことが繰り返され
だから次に誰が何を言って何をするのか分かるのだ。

私の中で
「あれ?同じような状況だな」
「こう言っていたな」
と頭の中でそれを思い出し繰り返していっていると
その人が同じことを同じようにいっていくのだ。

ほんの短い時間だったので「え?」という状態で何事もなかったように戻る。
戻るというよりズレが修正する。



上手に鈍感になる

2022-12-01 | 日記
前は人に対してもっと敏感で神経質だった。
それは自分自身を他人の力によって振り回され影響されるので
自分にとっていいものだと私は思わなかった。

いつの間にかそう言ったものから自分を守る術を得ている。
だいぶ鈍感になることを身につけている。
それは、なるべく見ない聞かないということだけれど
基本的に分かってしまうので、意識してみないようにしているだけだ。

人によっては自分が敏感だと受け入れている人もいるけれど
いいことも悪いことも兼ねているので
自然といいことだけを活かせるのならそれは活用できる。
私はあまりタフな神経を持っていないのか
人の感情や人間関係に疲れてしまうので
気づかないようにしているほうが楽なのだ。

人は長年をかけて少しづつ自分が生きやすくなるような
術を身につけられるのだろう。



ココナッツの活用法

2021-04-18 | 日記

ここでは至る所に椰子の木があるのでココナッツは手に入れやすい。

でも、木から落ちたものをタイミングよく持ち帰れるかはまた別の話し。

それにココナッツを割るのも大変なので持ち帰ることもなかった。

 

落ちてすぐのものはコツを掴めば比較的簡単に穴を開け

中の水分を飲むことができると教わった。

でも、数日経ってしまうと皮の部分が硬くなって

開けるのが難しくなるからタイミングよく拾えないとダメだ。

だからまだ出来ないでいる。

皮を剥いてココナッツの実を取り出して

白い部分を削ることやココナッツミルクを取ることを新しく習った。

これは新鮮でなくてもいいので今度拾ったらやってみよう。

知らなかったけれど新鮮だと中にまだ中に水分があり、

数日経つと、この水分の部分がスポンジのような固形になってしまう。

ココナッツウォーターとして売っているのはこの水分の部分で

観光者などにストローをさして飲ませるよう売っていたりする。

ただ、皮を剥いていくのは大変なので

これは誰かにやってもらわないと力仕事過ぎる。

 

以前は南国にありがちな果物は野生にあるような気がしていたけれど

それは大きな間違いでそんなに無いものだ。

パパイヤはあるけれど残っているのは高いところだし

実が小さいので種が多い。

種類が違うのかな...

野生のもので手が届くものはすぐ無くなっているし

第一そんなに無いものだ。

やはりバナナや果物の木は敷地に植え無いとダメだ。

 

でも、ココナッツは手に入れやすいので

ココナッツで何か活用してできたらいいと思っていたので

使い方が分かったので挑戦してみよう。

 

 

 


未来の自分

2021-04-15 | 日記

まだ、怪我した左手は少し不便なままだ。

骨には問題なかったけれど時間がかかりそう...

 

去年まで定期的にしてきた自分の仕事からも

本格的に手を引き何だか今年は全く気持ちが乗らない。

今まで長く続けていたフリーランスの仕事は

引っ越すことが近づいた時に辞めて

一昨年まで希望の方のみに不定期に続けて

去年はコロナもあったので残りの仕事をして終わった。

 

今年は更に今までの仕事に対して全く気が乗らない。

だからと言って何かしたいことがあるわけでもなく

できることがあるわけでもない。

とっても情熱を持てることもなく

そこそこなモノが多く、ピントが絞れない。

それはそれで楽しく日々充実はしているのでいいと言えばいい。

ただ、何となくもったいない気もする...

 

でも、自分で仕事を開業するって中途半端にはできず

今のようにのんびりすることもなく

また時間に追われるのも少し怖いのは事実だ。

自分で始めるなら簡単に閉めたり休んだりも難しい。

気まぐれなフリーランスはやっていけない。

 

色々な自分の中の勝手な条件を書き出していこう。

場所に縛られないこと

自分だからできること

まだあるけれど、そんなことを今朝はぼんやり思っていた。

何でもそうだけれど、簡単に誰でもできることは

当たり前だけれど価格破壊も起きるし需要も無くなっていく。

 

仕事自体が無くならないにしても今は情熱が薄れてしまった。

同じことを始めることはできる。

でも、今やりたいことなのだろうか?

 

やりたいことを見つけるのは難しい。

昔と違って、仕事というものの捉え方もずいぶん変化し

趣味的なモノでお小遣い稼ぎになったり

フリーランスや個人で起業をすることも気軽になった。

その分、何でも、どの分野でも

薄利多売的な仕事の感覚がしてしまう。

誰にでもどこにでもチャンスがあると言えば

あるようになったわけだ。

 

自分の仕事に対しての考え方、向かい方も

少し変えたほうがいいのかもしれないけれど

まだ、始めたいことが見つからない。

そんなこと言ってられる贅沢な環境でもあるからとも言える。

ずっと仕事中心の生活をしていたので

数年は少し自由な生活自体を楽しもうとも感じている部分もある。

 

でも、ずっと何も仕事をしない感じはしていない。

きっと何かはじめるだろう...

それはまだ何かはわからないけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


自分を写真で見る

2021-04-07 | 日記

いつも鏡で見ている自分と

写真で撮った自分は何だか違って見えるものだ。

客観的に見ると写真のように見えるのかもしれないけれど...

 

でも、面白いと思うのは人間の目を通して脳が認識した時

それぞれの顔の見え方は人によって違うらしい。

それを聞いた時に妙に納得したのは、

ある人にとってはoooに似ていると言うけれど

別の人からしたら似ても似つかず、

どちらかというとoooに似て見えたりすることがあるからだ。

ある人にはとてもハンサムだったり美人に見えても

他の人には全く否定的な見え方をする事もある。

 

人によって無意識に脳が認識し印象を残すような、

注目する箇所が違うからだそうだ。

もちろん、好みもあるのだろうけれど

単に客観的に見た時に実際にそう認識するらしい。

平均して多くの人が感じる美は

左右均一な要因が大きいと言うことは知られているけれど

左右が違うのは個性的で印象深くなる利点もある。

 

そう考えると、誰かみたいな顔や流行の顔になる必要もない。

今のままでも誰かにとってはハンサムだったり

美人に映るかもしれないし...

今や日本でも整形は身近になっているし

海外ではもっと一般的に行っている国もある。

 

アメリカのテレビでは整形手術の前後を見せているものもある。

以前、日本も少し似たようなものがあったけれど

アメリカはもっと本格的な豊胸や整形だけの

手術したらこうなったと言う感じのもの。

 

多くの芸能人やセレブは若くてもまめにお手入れをし

年々綺麗になっていくものだ。

歳をとっても変わらないと雑誌やテレビで言っていても

整形して保っているのだから驚くようなことでもない。

歳をとってシワやタルミが出るのは当たり前で

体も変化していくのは自然なことでそうならない人はいない。

そうは言っても多くの人に常に見られていたり

自分を映像や紙面で見ることが多いのだから

望む形や老いを防ぎ美を求めたくなるのは勿論分かる。

 

先日撮った証明写真のように普段自分の写真を撮らない人は

たまには自分を映した写真などを眺めてみるのは刺激になる。

もちろん、携帯で加工したり

肌が綺麗だったり目が大きく見えたりするような

可愛く映すアプリの使用はしないで見ること。

いつも通り鏡だけ見ていると変化を感じずらいので

整形などはしないとしても

油断している自分に喝を入れる意味でもたまには必要だ。

綺麗さだけでなく、今の自分は生き生きしているのか

そんな表情もたまにはチェックして心を改めるのもいいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


本心をみる

2021-03-27 | 日記

よく人は自分の希望を押し通すために

誰かのためにそうしていると綺麗事を表面的に言う。

 

言葉や思考は自分自身も誤魔化すことができるから

自分自身でさえも本心を見つけられなくなる事もある。

なかなか、常に自分の本心と繋がっていることは難しい。

もしも「自分がoooの為に...」のような言葉や思考が来たら

きっとその時は自分の本心は隠れている。

そんな時は、もっと掘り下げて自分自身の本心を見つけていく

作業をして行かなくてはいけない。

 

これは色々なことで言えるのだけれど、

自分の思考を深掘りする作業をたまにしてみると

以外と思っていることが自分の何かへの言い訳が

何層にも重なっている事が見えてくる。

 

その本心を剥き出しにしないと

なかなか理想と現実のギャップを埋めることができず

心の中に何かのザラつきが常にあることになる。

 

人のことはよく分かるのに

自分のことは本当に見ないのが私たちだから

意識をして作業する時も必要だ。