きまぐれ雑記帳

きまぐれに日々の思いを綴ります。

名古屋 ①

2016-02-28 22:43:29 | 旅行

 二泊三日で名古屋に行ってきました。

東名阪自動車道の御在所SA。トイレが凄い!!使用中は赤。ここまでするか!!

 

いたせりつくせりです。

 

今回の目的地「熱田神宮」へ。お参りの前に腹ごしらえ。食べるの優先です。ひつまぶしのお店は定休日。

境内にあるきしめんのお店「宮きしめん」さんへ。

 

 

 

伊勢神宮と同じ三種の神器の一つ草薙神剣を祭り戦勝祈願の神社です。織田信長も桶狭間の戦いの前に

戦勝を祈願し勝利をおさめました。

 

織田信長が奉納した塀「信長塀」日本三大土塀。後の二つは、三十三間堂の境内の南端にある豊臣秀吉が

造営寄進した「太閤塀」。西宮神社にある室町時代に造られた「大練塀」・・・・・・知りませんでした。

信長塀は戦争で消失することもなく当時のまま現存しております。

 

なごやの道路は、どこも余裕の広さです。

 

次は徳川美術館。尾張徳川家に歴代伝えられた大名道具中心の美術品が展示されております。

残念ながら撮影禁止。書院飾り、刀、能面、茶器、国宝の初音の調度などすばらしいものばかり。

さすが尾張徳川様でございます。

ちょうど尾張徳川家の雛祭りの特別展もありお雛様も堪能できました。うちのお雛様も長いこと出しておりません。

来年こそは虫干ししなあかん。

 

美術館内にあるカフェで一服。かわいいショートケーキでした。

 

徳川美術館に隣接する徳川園。名古屋城本丸東3kmの地にあり、徳川御三家筆頭である尾張藩第二代

藩主三友が1695年に自らの隠居所を造営したのが始まりで、三友没後は尾張藩家老に譲られ明治22年

からは尾張徳川家の邸宅となりました。昭和6年からは名古屋市が邸宅と庭園の寄付をうけ、翌年から

「徳川園」として公開しましたが残念ながら第2次世界大戦の大空襲でほとんどの建物と樹木などが

消失したそうです。平成13年に日本庭園として再整備され平成16年に開園しました。

 

 

 

徳川園一帯で1000株の牡丹が植えられているそうです。2月でしたがもう咲いておりました。

 

 

 お屋敷まち白壁、江戸時代は中級武士の町として整備され、その後明治大正に入ると各界の財界人の

町へと入れ替わりました。富豪の邸宅が今なお大正の匂いを残し、歴史を垣間見ることができます。

 

こちらは陶磁器を輸出する貿易商として成功した旧春田鉄次郎邸。大正13年に建てたれた建物は、武田五一氏

の設計で、洋館と奥にある和館で構成されていて現在は、創作フランス料理「デュポネ」としている部分と見学者

用に公開している部分があるそうです。

 

 

豊田佐吉の娘婿として愛子と結婚した旧豊田利三郎邸。現在は武家屋敷門と武者窓を設けた塀のみとなっており

ます。

  

発明王、豊田佐吉の弟佐助が住んでいた旧豊田佐助邸。当時は長塀町に佐吉邸、白壁町に豊田喜一郎邸、

塀と門だけ残る豊田利三郎邸がありましたが、現存するのは佐助邸のみ。佐助邸は、大正12年に建てられた

白いタイル張りの洋館と広い間取りの和館で構成されています。

 

左の建物は京都の紙問屋「中井巳次郎」の名古屋別邸として大正時代に建築され、戦時中は賀陽宮などの

師団長の官舎として提供され、昭和23年より料亭「か茂免」として営業しています。

右の建物は、日本の女優第一号といわれる川上貞奴が電力王福沢桃介とともに暮らした屋敷で双葉御殿と

呼ばれております。他にも邸宅がズラリと並び公開されているお屋敷もあります。やはり歩いてゆっくり回るのが

良いとおもいます。うちの旦那は、車から降りる気はサラサラありません。車でざっくり回るだけ・・・・

 

名古屋城。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、1609年に豊臣がたへの備えとして名古屋城の築城と、

清洲から新城下への町の建物、町の機能全てが移転する「清洲越」がおこなわれました。

1610年家康は、名古屋城築城にあたり加藤清正・福島正則ら西国大名20家に普請を命じました。

天守や櫓の建築工事は小堀遠州・中井正清らに命じ1612年にほぼ完成しました。初代藩主は家康の九男

義直が入り、以降尾張徳川家の居城として栄えました。

 

 

 

土台となった石垣は、10万個~20万個の石材が紀伊・讃岐地方から集められました。全体の構造は乱積と

打込接で出墨部分は石材の長編を交互に向けて積み上げる積木積技法、算木積みを利用しました。

右の石垣の大きな石材は加藤清正が運んできたとされる清正石・・・・しかしこの石塁の施工大名は

黒田長政。長政石なのかもしれません。

 

刻紋。貴重な石材に刻印を刻んで他の大名家と区別しました。

 

 

 

 本丸御殿。初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため、1615年、徳川家康により建てられました。

昭和5年に天守とともに国宝に指定されましたが、昭和20年の空襲により焼失しました。

平成21年から復元工事が開始され、平成30年に完成が予定されております。平成25年5月29日に

玄関と表書院の公開が始まっております。この復元工事は「平成の市民普請」として名古屋市民の寄付金

で行われております。名古屋の方々には、頭が下がります。京都市民は、寄付となるとどうでしょうかねえ?

 本丸の総面積は3,100㎡、部屋数は30を超える平屋建ての建物です。御殿には木曽などで育った

最上級の檜などが使われ屋根はこけら葺き、御殿の中の障壁画も部屋ごとに異なった趣の絵を見ることが

できます。ちゃちなものではなく本格的な御殿です。

 

 

 

 

 

 

 

天守7階は展望室と売店。金のしゃちほこもあります。

 

 

焼失前の天守閣の写真。

 

本丸内部。

 

爆撃にあい焼失する天守閣の写真。

 

 

 

 

 

今回のホテルは名古屋観光ホテル。ホテルの名前は昭和な感じですが心地よいホテルです。

 

 

 

 

夕食はホテルから徒歩5分の大甚本店へ。午後4時半に入店。すでにほぼ満席。ちょうど2席あいておりました。

もちろん合い席です。周りを見渡すとほぼ男性。この時間じいさんが多い。午後5時を過ぎるとサラリーマン。

 

お皿に盛られた料理をセルフで自分のテーブルへ。色々食べてしまいます。

 

 

 

お酒は日本酒とビールだけ・・・・・だったと思います。

 

食べ終わるとお皿ごとに値段が決まっておりそろばんでお勘定です。一時間程で二人で食べまくりです。

 

ちょっと食後に散歩です。

 

こんなの見たらあきません。

 

きっちり買って帰りホテルで完食です・・・・・・・反省します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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