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気まぐれ読書・映画・音楽の記録。本文に関係のないコメントについてはご遠慮させていただきます。

石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」

2009-05-20 | 詩、短歌、俳句

ほどよい大きさの鍋や お米がぷつぷつとふくらんで 光り出すに都合のいい釜や 劫初からうけつがれた火のほてりの前には 母や、祖母や、またその母たちがいつも居た 書肆ユリイカ1959年刊の処女詩集の復刊。

 

太平洋戦争の記憶。日常の記録。一家の大黒柱として働く辛さ。がつづられる。

生涯を身を削って家族を支えた石垣さん苦しみを支えたのが詩の世界だったのだと思います。書くことでもがきながら日常と闘っている女30歳代の記録。

半身不随の父、その4度目妻(義母)、職のない弟、知恵の遅れた義弟の4人を養い銀行員として、生涯独身で働いた石垣さん。身を粉にして働き、椎間板ヘルニアでベットに沈む石垣さんの心の叫びが痛烈でした。

表題作

それはながい間 私たち女のまえに いつも置かれてあつたもの、

自分の力にかなう ほどよい大きさの鍋や お米がぷつぷつとふくらんで 光り出すに都合のいい釜や 却初からうけつがれた火のほてりの前には 母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。

その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を これらの器物にそそぎ入れたことだろう、ある時はそれが赤いにんじんだったり くろい昆布だったり たたきつぶされた魚だったり

台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ 用意のまえにはいつも幾たりかの あたたかい膝や手が並んでいた。

ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて どうして女がいそいそと炊事など繰り返せたろう? それはたゆみないいつくしみ 無意識までに日常化した奉仕の姿。

炊事が奇しくも分けられた 女の役目であったのは 不幸なことだと思われない、そのために知識や、世間での地位が たちおくれたとしても おそくはない 私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と

それらなつかしい器物の前で お芋や、肉を料理するように 深い思いをこめて 政治や経済や文学も勉強しよう、

それはおごりや栄達のためでなく 全部が 人間のために供せられるように 全部が愛情の対象であつて励むように。

 

用意

それは凋落であろうか 

百千の樹木がいっせいに満身の葉を振り落とすあのさかんな行為

太陽は澄んだ瞳を 身も焦がさんばかりにそそぎ 風は枝にすがってその衣をはげと哭く そのとき、りんごは枝もたわわにみのり ぶどうの汁は、つぶらな実もしたたるばかりの甘さに重くなるのだ

秋 豊かなるこの秋 誰が何を惜しみ、何を悲しむのか 私は私の持つ一切をなげうって 大空に手をのべる これが私の意志、これが私の願いのすべて!

空は日毎に深く、澄み、光り わたしはその底ふかくつきささる一本の樹木となる

それは凋落であろうか、

いっせいに満身の葉を振り落とす あのさかんな行為はーー

私はいまこそ自分のいのちを確信する 私は身内ふかく、遠い春を抱く そして私の表情は静かに、冬に向かってひきしまる。 



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