赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

災害マニュアル

2020年07月08日 | Weblog
 梅雨による大雨、七夕前後はいつも大雨の浜松市です。九州地方や岐阜、長野などでも被害が出ており、お見舞い申し上げます。静岡県でも山間部、河川周辺の地域での安全が心配されております。

 さて、教職というと、関係ないように見えますが、自然災害も重要なポイントです。学校は地域の避難地になっていることがありますので、災害時、どのようになるのかという点について、今回は触れていきましょう。

 学校では年5回くらい避難訓練が義務付けられています。まあ、毎回逃げる練習でなくても良い羅しく、防災計画の確認、緊急時の連絡物確認、集合の仕方、避難経路の確認、点呼から保護者への引き渡しなど、いろいろな準備や練習を含めての防災訓練です。また、非常食や備蓄グッズの点検や賞味期限の前に交換する目的も含めて、倉庫からの配布などの練習も行っています。
 ただ、いくつか問題というか、これは僕自身が心配していることなのですが、自宅にいる時や通勤中の災害時についての行動がいまいちよくわからないのです。昔は「最寄りの学校に行き、指示を受ける」というマニュアルがあったような気がするのですが、この当時は県の教育委員会としてで、現在のように静岡市、浜松市は政令指定都市ということで、市の教育委員会としての動きになります。いずれ書きたいと思いますが、市と県では対応やルールが違います。
 また、市の職員が必ず市内に住んでいるわけではないので、ここが難しい。県境の市であれば、県外在住の可能性も十分あります。また、車で1時間以上の場合、いくつかの市町村を跨ぐ職員も多いでしょう。
 災害時、直ちに出勤して防災体制を整える・・・のはわかるのですが、直ちに出勤できないですね。管理職、とりわけ教頭先生など、一番に学校にこなくてはいけない立場の人が、意外に遠方から勤務されていることが多いです。あまりに遠いので、近くにアパートを借りている職員もいます。昔は学校の向かいの、文房具からお菓子、タバコなど何でも売っているお店のオバちゃんが学校の鍵を預かってくれていて、修学旅行だの、早朝の出発や深夜の到着に協力してくれた良い時代もありましたが、今は警備保障のシールが貼られている通り、警備会社に委託しています。もちろん、学校に警備員さんがいるわけではないので、何かあれば駆けつける、テレビで見る「ア○ソック」や「○コム」が警備しています。

 やはり問題は災害時で、責任ある立場、管理職が誰もおらず、嘱託の用務員(地域によっては校務員)さんや、たまたま早く来ていた、どうしていいかわからない一般職員でオタオタするのではないかと・・・実は、僕も今の学校の備蓄食料の場所とか知りません。
 また、うちの学校は避難場所になっていないのですが、では、地域の人が駆け込んできたときに、「あー、うちは避難地じゃないんで、もっと遠くの○○小学校まで行ってください」と、非常時に言えるでしょうか?実際に、以前の勤務校で、大雨で川の水位がギリギリの時に、近くの住民がちょっと学校の4階に避難させてほしいときた時に、避難勧告が出ていないし、ここは避難施設ではないという対応をして「そんなこと言ってる場合か?」とトラブルになったことがありました。

 マニュアル通りにやらないと問題になるのですが、マニュアルにないことはやってはいけないとなると、これはこれで問題になります。教職を目指す皆さん、このあたりのセンスも重要です。

教採

2020年07月03日 | Weblog
 薄曇りの浜松です。雨が明けて晴れた昨日、セミが鳴きましたね。先月も一回同じようなことがありましたが、長雨からの晴れ、十分な気温で6月なのに、セミが梅雨明けを1ヶ月勘違いしたのでしょうか?

 さて、今、高校3年生の担任をしていますので、大学の進路について話をしています。たまたまなのか、私のクラスでは、外国語学部、国際関係学部か、教育学部の英語か迷うという生徒が多いです。このブログは教職を応援するブログですし、常々、教職は素晴らしいと訴え続けていますので、それはそれで嬉しいのですが、外国語学部と教育学部ではそもそも学ぶことが違うのでその辺は、学ぶことをなににしたいのかについて説明しています。

 僕自身は外国語学部なので、教職については実は追加履修で、専門ではありません。なので、教育史や教育学者、様々な研究について、なにも知りません。まあ、採用試験で解答用紙に書いたレベルですが、そもそも教育に関する回答を書いた記憶がありません。こんなことを言うとマズイのかもしれませんが、静岡県はあまり一般教養に教育関係の問題がなかったように記憶していますが、鉛筆を転がした記憶があるので、自分が全くわかっていなかった可能性が大きいです。
 試験会場(当時は静岡城山中で、この中学校が20年後、天敵になるとはこの時は知るよしもない)について、最初に一般教養で、忘れたのですが、おそらく教育関係、一般教養、時事問題の試験でした。「武満徹が亡くなった」と言う問題があった記憶があります。確かに当時、ノベンバーステップスの鑑賞教材も音楽にはあったようですね。
 次に英語の試験です。まあ、普通の英語の問題です。リスニングで茶摘みの風景の絵を描いた記憶があります。画力ゼロの私にとってはハンデ100の厳しい戦いでした。
 そして小論文というか、作文。「あなたのクラスで不登校の子がいた場合、あなたが考える支援をまとめなさい」だかそんなだった気がしますが、色々あったので、違うかもしれません。その10年後、夜7時から9時まで教室に来て中学の定時制をやるとは、これまたこの当時には予想していませんでした。
 最後は面接と英語の面接。この面接で同じグループだった中に何人か今も活躍されている先生方がいるので嬉しいことです。

 ああそうか、7月に入ると教員採用試験の1次試験だ。今の採用試験がどういう感じなのわからないのですが、優秀な人材が集まることを期待して応援したいと思います。

費用対効果

2020年07月02日 | Weblog
 火曜の夜から大雨警報で昨日も1日中大雨警報の浜松市でしたが、特に大きな被害があったというニュースは耳に入っていません。夕方もあまり降らなかったので、生徒も下校の時は雨大丈夫だったのではないでしょうか?

 昨日はお休みしまして、病院へ健康診断に行っていました。実は学校の先生って、まあ、公務員なので、共済組合や互助会みたいなのがとてもしっかりしていて、厚生面では手厚いケアが保証されています。本当、これ知らなかったんですが、人間ドックや脳ドックって4万円くらいするんですね。だいたい、1万円くらいの自己負担で毎年検査できます。「そういうのは給料から引かれてるんだよ」と言われていますが、確かに給与額と実際の支給額が全然違います。学校の先生あるあるなのですが、その金額がなにに引かれているのか分かっていないこともよくあります。こういうところもコスト意識がないんですね。
 自営業やフリーランスの人は自分で負担して、まあ、会社にしている人は会社負担と分けているかもしれませんが、自分だったらなかなか高額な負担で、自覚症状もないのに自分で、しかも休業して検査に行くというのは難しいのではないでしょうか?

 それにしても病院が遠くて参りました。自分で選んだのでいいのですが、これが勤務校だったらもう大変ですね。朝6時40分に家を出たのですが、病院についてのは8時15分くらいです。1時間半も朝から運転です。初任校の中学校はそれより遠いところでしたが、今思うとホント、よく6年も通ったなと。7時半に学校にいるとなると、6時に家を出ないといけません。
 自分が家から1時間半のところに勤務して、その学校の保護者であるN先生は、僕の子供の通う学校に勤務しているということがありました。当時の校長先生に質問しました。
 「僕がこの学校に勤務して、N先生が僕の地元に勤務していますが、その分の時間の負担といただいている交通費25000円、そして防災上のリスク、交通事故のリスク以上の効果が子供たちの教育に還元されてるんですかねえ?全県内でこの交通費を整理して配置したらいくらくらいお金が出ますかね?」
 校長先生は、「おお、お前、若いうちからそういう考え方ができるとはなかなかじゃのう」とおっしゃいました。「そのリスク以上の効果があると言われるように、頑張れ」と良い方に捉えて励まされたのでしょうが、それを検証することができないのも学校です。

実感

2020年06月30日 | Weblog
 いつ雨が降ってもおかしくないどんよりとした厚い雲の浜松市です。気がつけば6月が終わり、2020年も上半期が終わりました。本来であればオリンピックイヤー、開幕直前といったところでしたが、今年の前半はコロナ一色でしたね。

 休校明けて1ヶ月、学校の方では授業は進み、期末試験が近づいてきました。休校中は、学習が進まず試験ができないんじゃないかとか、試験範囲を自宅での課題にして課題テストとして中間試験をやろうかとか、インターネットの環境が同じではないので公平性に欠けるとか、いろいろと問題点が指摘されてきましたが、なんとか1ヶ月、期末試験ができる状態になったと思います。東京など都市部では、まだまだ段階的な地域もあるでしょうから、日本全体で平等生、公平性を考えると、まだちょっと・・・といったところでしょうか。

 今回の問題について議論を聞いていて思ったのですが、やはり小中高で気にするポイントが違うと思いました。まあ、生徒、職員の健康安全という点は同じなのですが、学習そのものの遅れは気にしますが、おそらく小学校の先生は試験範囲が終わらないということは、最初には考えないと思います。試験ができないと成績はどうするんですか的なことは高校の先生が一番この発言でましたね。
 これが面白くて、授業で評価、評定をしている小学校、授業と試験の両方で成績をつける中学校、もちろん授業で評価していないわけではないのですが、試験で成績をつける高校、実技教科や実習教科は少し別でしょうけど、違いますね。僕なんかは、授業をしっかり確保するために、定期テストなんてやめて各教科で行えばいいじゃんと思ってしまう。

 前回、生徒指導に関して小中高の違いを書きましたが、教科指導でも、ちゃんとした学力とか、力をつけるといった時に、その話し合いをしても、その力の定義がみんな違うので、なかなか難しいのです。それによって、良い授業というのが変わってしまい、昔、若い時に研修ということで、高校の国際科の授業参観をした時に、事後の研修会で「いやあ、今日の授業は・・・でよかたですねー、あの時のあれは・・・」と高校の先生は満足げに話し合っていましたが、その時我々は、いったい今日の授業の何がよかったのか、ただの講義録画を生徒が黙って見てるだけじゃん・・・と思ったのを思い出しました。逆に、小学校の授業や活動を見て、「あんなのワイワイガヤガヤやって活動してるけど、全然わかってないじゃん」という意見も出るでしょう。
 どちらにしても、難しいのは、本当に主体的に取り組んでいるのかが客観的にわかるのか、理解していると確認する方法、その理解したことを生かしているかという点。

 楽器も同じですね。上達が実感でき、客観的な評価をわかりやすく得られるコンクールというのはの、うまく利用すると励みになる、つまり以後の動機付けにつながります。
 コンクールも試合も試験も、いずれにせよ、学習者である児童生徒が学びを実感できることが一番なのではないのかなぁ。

学校って

2020年06月29日 | Weblog
 6月の最終週の月曜日、梅雨とは思えないほど、とてもよいお天気の浜松市です。

 さて、コロナ休校があけて1ヶ月が経ち、学校も通常に近い活動になっていますが、皆さんの地域、学校はどうでしょうか?いろいろなことが通常に戻ると、そのぶん他のことでもう戻らなかったもの、戻ってこないものにフォーカスされます。一番は学校行事や部活動でしょう。浜松では中学校は修学旅行や宿泊訓練のような野外活動(林間学校、臨海学校)など、メインとなる行事を行うことができませんでした。小学校でも6月は運動会を開催する所が多く、やはり中止となりました。また、部活動についても、各部とも大会や競技会が中止となりました。

 高校の先生となって入試の面接をするようになったのですが、「中学校生活で一番思い出に残っていることはなんですか?」という質問では、ほとんど、もう8割以上でしょうか。
 「はい、修学旅行です。私は実行委員として・・・」
 「はい、体育大会では応援リーダを務め、集団をまとめ・・・」
 「部活動の最後の大会では・・・結果よりもその過程を一緒に過ごした・・・」
 「合唱コンクールでは、はじめは・・・でしたが、だんだんと・・・」
 これらは全て授業以外のことで、今思い返してみると、中学校3年間でがんばったことや思い出に残ったことを語ってくれていました。学校生活を通じて体験したことを、自分の学びや気づきにしっかりとフィードバックされていました。
 休校分の授業を取り戻すということもそうですし、今後も色々と中止や縮小された中で学校生活が送られると思います。また、中には、今まで当たり前だったことがなくなってみて、「あー、これでもできるじゃん、今後もなくせばいいよね」など、今回のことでなくなる学校の文化、習慣もでてくるかもしれません。部活動短縮、縮小のガイドラインも一気に進むでしょう。

 児童・生徒のみなさんが、これまで自然に体験してきた、そして意識か無意識かはわかりませんが、「思い出に残っていることは・・・」「一番学んだことは・・・」といっていたことが、別の形で現れることを期待しています。
 今は、「コロナ禍によって当たり前だと思っていた・・・が・・・で、改めて・・・と気づきました。」という学びが得られるのかもしれませんし、今年の面接ではこういった答えが多くなるのではないかと思います。しかし、学校というのは、入れ替わりが早く、3年経てば何事も伝統になってしまいます。何かをするのも伝統ですが、何もしないのも伝統です。
 今の若手がベテランになる頃、いやひょっとしたらあと数年で、「昔は・・・だったらしい」という時代がやってきて、「昔は修学旅行とかさぁ、生徒が2泊も宿泊するのを引率したんだよ、今考えるとあり得んよね〜」という、以前紹介した「昔はこれ全部手書きだったんだよ〜」のレベルでの会話が聞かれるのかもしれません。

 「私が学んだことは、銅の参加と還元についてです・・・」という学びと、先に紹介した学びが違うものであることを児童生徒たちはしっかりとわかっていて、答えていたのだと思います。どんな時代になっても、学校とはこの両者の『学びの共同体』であってほしいと思います。