王監督が入院され、すぐに胃の手術だそうですね。手術の成功と、早期に現場復帰されることを心よりお祈りいたします。
私は子供のころから、王選手の大ファンで、誕生日プレゼントに、“王の世界新記録の記念LP二枚組” を親にねだって買ってもらったほどです。もちろん野球部で、部屋にはON(生徒諸君!オンじゃなくて、王Oと長島Nのこと)のポスターがはってありました。
さらにさらに、私も胃が悪く、8年ほど前、夜中に胃に穴が開いてしまい、救急車を呼び、すぐに手術、そのまま入院という経験があります。
お医者さんに面と向かって 『すぐにご家族を呼んで下さい』 と言われた時のショックは今も忘れられません。『ほほほ本人に言うか!?あっ、でもということは大丈夫なのかなぁ 』とも思いましたが(笑)。
すでに医者になっている教え子にその経過を話すと、『先生の手術なんか、一番簡単な部類ですよ』 と言われてしまい、確かにその通りでしょうが、“手術はこわい”のは、大人も子どももありませんからね。
以前ご紹介した宮本雅史氏の 『「電池が切れるまで」 の仲間たち』 に感動し、そこで、その長野県立こども病院に『すずらんの会』 という集まりがあるのを知りました。病院の院内学級を支えた、患者や元患者とその父母の会ですが、そのすずらんの会が、病気の子どもたちの書いた詩や作文、絵画、そして父母の闘病手記を編集したのが本書です。
ここに出てくる子供たちは、みな重い病気を患い、中には何度も何度も繰り返し手術をしなければならない子もいます。やはりこわいのです。
その子どもたちが素直に、自分の気持ちをつづったものは、強く心を揺さぶります。
『おにいちゃんとまた遊びたいから、がんばる』
『お父さんやお母さんと家に帰りたいからがんばる"』
『先生や看護士さんが大好きだからがんばる』
『学校に行きたいからがんばる』
ところが、病気が重いものだけに、夢かなわず、亡くなってしまった子どもたちもいるわけです。親はもちろん絶望の淵に追いやられます。元気になった子どもでも、友だちがいなくなるという経験を強いられます。みな、けなげです。必死で自分のこころに折り合いを付けます。
また、ご自分のお子さんが亡くなってしまった、親ごさんの手記は涙なくして読めません。感動の一冊です。報道こそされませんが、生徒やご父母から最近、学校の友人が自殺したということをたて続けに聞きました。もちろん学校はそんなニュースは出したがりませんね。
本書は命の大切さを子どもに強烈に印象付ける一冊です。すべて読み仮名が付いています。
http://tokkun.net/jump.htm
電池が切れるまで―子ども病院からのメッセージ角川学芸出版詳 細 |
『電池が切れるまで(子ども病院からのメッセージ)』すずらんの会
角川文庫:159P:470円
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P.S. 実は、数年前、当教室の生徒が重い病にかかり亡くなってしまうということがありました。私が直接、英語を教えていましたので、大変なショックでしたが、その時にメルマガに掲載した、亡くなってしまった彼に対する、追悼の記事があります。拙いものですが、よろしければ、お読み下さい。
■■■■■■■■ 特別寄稿 ■■■■■■■■■■
先月、中川教室に通っていた一人の高校生が病気で他界しました。
彼はもともと脳の血管の一部に異常があり、すでに二度の手術を経験し、それゆえ、後遺症により左手がやや不自由でした。それでも彼は何ら臆することなく、ユーモアもあり、学業にそして学校の行事にも前向きに取り組む生徒でした。
特に勉強に傾ける努力はすさまじく、その熱意、勤勉さは我々指導する側の心を揺さぶるに充分であり、当然我々も全力でそれに応えました。
彼の夢は医者になることで、志望は東京大学、京都大学など国公立の医学部、このまま夏を越えてくれれば充分合格を狙えるレベルに到達しかかった今年の7月はじめ、病が彼を襲ったのです。あにはからんや、受験勉強どころか、彼は集中治療室で何日間も“死”を相手に戦わなくてはならないという運命になってしまったのです。
しかし、その時の彼は強かった。その生死をめぐる戦いに打ち勝ち、退院まであと少しという8月末に、外泊許可をもらい、お父さんと一緒に塾を訪ねてくれたのです。
耳を疑いました。無事快方に向かっているというあいさつに来てくれたのだと思っていたのですが、「今度の外泊許可が下りる週末に英語の授業を受けたい、1時間でもいい」と言うのです。
ここから失地を回復したいという彼の気持ちは痛いほどわかりますし、私もあらゆる協力を惜しまない覚悟でしたが、なにぶん彼は入院中の身で、外見からも痛々しさが見て取れるし、私との会話もまだ完全には成り立たないほどだったのです。
その日彼が久しぶりに教室に入るときも、手術痕を隠している彼の帽子を取ろうとするお父さんの手を、私の目の前でさっと振り払っていたのです。私はすぐに彼の意を察し、「あっ、(帽子を取らなくても)いいですよ」といって招き入れてから、あいさつをしたのでした。
外泊許可の出たたった一泊2日の時間を使ってでも、それがわずか2時間でもここで授業を受けたがっている。彼の医学部進学に向けた情熱は私の想像をはるかに越えて激しいものだということを思い知らされ、私は授業を応諾し国立大学受験用のテキストを渡しました。
授業に滞りは全くなく、「大変だったね」 「これからできそうだ」などと再出発を喜び合っていた、そのちょっとした間合いがあった時、彼は「やっぱり・・・」そう、ぽつっと言うと、突然、手術跡を覆っていた自分の帽子をすっと取ってしまったのです。
“さあ、これから”という意気込みがあったでしょう。自分だけマナー違反だと思ったのかもしれません。私は私の目の前にさらされた彼の痛々しい傷跡を見ながら、その壮絶なまでの潔さ、勇気に心底からの感動をおさえることができませんでした。
その日、彼は新しいテキストを手に、再入院のため、この教室から病院へ直行しましたが、結局、それが彼との永遠の別れとなりました。信じがたいことに再び、打ち負かしたはずの病が彼に襲いかかり、脳内で出血してしまったのだそうです。
訃報が届いたのはそれから数日後のことでした。私は “本当は治ってなんかいないじゃないか” という無念の思い、そして、ベッドの上で目をつむったまま横たわっている彼の姿を思い描いてしまい、しばらく言葉が見つかりませんでした。本人、ご両親にとってもあまりにも残酷な予期せぬ最期になってしまったのです。
他人のことを思いやり、どんな努力も惜しまない若者は我々社会の何物にも代え難い財産です。その彼がこの世を去ってしまったのは私には何とも悔しい。ましてご両親の心痛はいかばかりか、察するに余りあります。
そして今、こうしてここに彼のことを書いて何の意味があるのか。志半ばで病に倒れた前途有望な若者の死の後に、残された我々ができることはないのか。死という現実の前ではどんな言葉もどこかむなしい。だから、生きているということはありふれていても、実はかけがえのないことだということをしっかと心にとどめ前進すること、我々が死者に対し何か報いることができるとすれば、それだけではないか。
我々も大切な日本の資源である若者の教育の一部を担っている、彼の死を境にその認識を新たにし、微力であっても社会に貢献したい。
そして、生徒諸君には、死と直面しながらも固い意思を持って自分の人生の夢に向かって全身全霊打ち込んでいる生徒が、自分のすぐ近くにいたことを覚えておいて欲しい。
“彼のように・・・”というのではなく、“自分らしさ” とは何か、そのことをもう一度考えてそれぞれの目標に邁進してくれたなら、彼の死は計り知れないほどの意味を持つことになるのではないか。そう思います。
どうか安らかに眠ってください。バトンはみんなで引き継ぎます。
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長野県立こども病院ののお話に続いていたのですね。長野は実は私の地元で、そこでの子供たちの純粋な「頑張り」のお話に心を打たれました。
また寄らせていただきますね。
でも現実は、読書として伝えるには範囲が限られてしまいます。やはり、マスコミが一番なのでしょうか。
TVは本人の都合のよいものばかりを見てしまう傾向かとも思えるし、、、何とかして、、、
これだったら、私にピッタシとTBくださったことを感謝します。これからも、この線で、よろしく!
毎回観て泣いていました。
自分も受験生で、たまに勉強に身が入らない時期もあったりします。
でもこれを読んで、彼に負けない気持ちで受験に挑みたいと思いました。
バトン、受け取りました。
そう、おおげさだけど、いつ死んでも悔いがない、その気持ちで日々を過ごすことができる。そんな人生が理想です。
受験は成功しても、失敗しても、それを超えた何かを、精一杯努力している人間に与えてくれると思う。
直接はもちろん知らない天国にいる先輩だけど、疲れたら思い出して欲しい。
自分の手に彼からのバトンがあることを忘れずに。先生もそうする。