降って来るもの

写真と散文とぽえむ

聴心記.ⅩⅩⅩⅣ

2017-12-12 06:03:51 | 聴心記

                  ⅩⅩⅩⅣ「四時半病」

 

愛しさが溢れる現象を「恋患い」というように

虫の知らせのように

その時刻に為ると覚醒を促され

黒暗の孤塁に放り出される日々の事を

僕はひそかに

「四時半病」と名付け

その都度嬉々としたり

辟易としたり、したり顔を作ったり

偶に舌打ちを加えて

その病の起因や病状や治癒の仕方を探って

もの書きになる

                     「幽けさ計」

 

ほんの僅かな重みの違いを察知して

微かに何方かに振れる幽けさを計る機器

 その僕の裡に現存するたった一つの

これ以上ない精緻な天秤の差配のように

 僕は何時でも

その微量の重みの受け皿に乗って

その”かそけさ”の意味や由来や

動機や仕組みやの彼是を解き明かし

書き残すために

虫の息の気配もない静寂に

 イノチの滴を落としてゆく

                     「誰でもが太子には」

 

ときおり立ち止まっては

振り返ったり足許を見詰めたり

今日の続きを確認したりしてみる

 

何やかやと煮詰まり

それが縺れ合ったりして

少し息苦しさを感じるようになると

一度、間をおいて並びを点検してみる

己の立つ位置や

その情勢やを正しく認知する為の

幾らかの時間が必要になる

 

人は誰でもが太子には成れないので

三つか四つ重なっただけで

その順列を整頓しなければ直ぐに混乱してしまう

 

其々の事柄が持つ重要度にもよるが

中には

髭剃りの時期とか

洗剤や湿布薬やホカロンの補充や

スティックシュガーの買い付けや

寒肥を施す日にちと云った

取るに足らない項目も含まれていて

時々は、その煩雑事項を

 交差点のお巡りさんのように

脳信号を駆使して鮮やかに捌いてゆかねばならぬ

*12/12 06:03:50 万甫

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