ダリル・アンカがチャネリングしているエササニ星からやってきた宇宙人である「バシャール」が、ネットに登場したのは、1987年頃だろう。
「人類の二極化」について語りはじめたのは、私の記憶では2015年頃だったように思う。
現在では、YouTubeでバシャールをダシにして一儲けを企む輩がコンテンツを囲い込み、生のバシャールに触れる機会は、ほとんど失われている。
ネット上で語られているバシャールは、ほとんど編者の主観によって彩色されたものばかりで、素直に受け取ることはできない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AB
この二極化は、私の心の琴線に触れるものがあり、これまで数編のブログを書いた。
私は1970年代からスピリチュアル世界に触れて、浅野和三郎や、シルバーバーチ、モーゼスなど、たくさんのチャネリング(霊媒)本を読んでいたので、宇宙人の思考には強い興味を抱いた。
ネガティブとポジティブ 2019年11月24日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-944.html
人類社会の二極化について 2021年12月06日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1696.html
二極化の意味 2021年12月15日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1705.html
人類二極化のもたらしているもの 2022年05月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1863.html
再び二極化社会のビジョン 2020年06月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1160.html
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まだ、たくさんあるが、私のブログの多くが検索から排除されているので、自分でも探せない。
人類が、2016年頃からネガティブとポジティブの二つに分化して、2019年以降は互いに交わることもなくなり、2050年頃にはネガティブがこの世から消えてしまう……
と、バシャールが指摘(予言)したことで、いったいネガティブとポジティブは何を指すのか?
私の考えの要旨は、
ネガティブの定義は、人間の、地球上における持続する生命体としての自然な立位置から外れて、地球や生態系を破壊してでも、他者を凌駕超越し、地球と他者に君臨したいと求める人々のことである。
ポジティブとは、自分の人生を俯瞰して決して背伸びせず、地球、他生物、他者と共存してゆくための環境で、本当に必要なものだけを求める人々のことである。
ネガティブ人種は、いつでも他人にコンプレックスを抱くことで、秀でた能力に憧れ、いつでも、自分が優れた時間と、他者からの羨望、畏敬を所有していなければ納得できない。
ポジティブ人種は、いつでも自分の人生を前向きに捉えて満足し、地球、他生物、他者との調和が得られることに満足する人を指す。
このように考えれば、何がポジティブで何がネガティブなのか分かりやすい。
つまり、ポジティブな人々は未来に対してポジティブで、持続可能な明るい未来を生み出そうとするし、ネガティブな人々は、自分の権益が侵されるなら、他人を攻撃して、地球や人類を破壊してしまった方がマシだと考える。
現在のロシア、プーチンを考えれば、容易に理解できるだろう。プーチンは、自分の欲求が通らなければ、全人類を核兵器で破滅させた方がマシだと考えていて、これこそ、人類史上最悪、最凶のネガティブである。
物質欲、支配所有欲、権力欲などネガティブ思想の終着駅がプーチン・ロシアである。
だから、この戦いは必ず第三次世界大戦=核戦争に発展すると、私は確信しているが、この戦争こそ、ネガティブ対ポジティブの戦いなのである。
それでは、プーチン・ロシアに対抗する西側諸国がポジティブなのか? といえば、甚だ混乱する問題である。
対抗する西側諸国にも、ネガティブが溢れているからだ。
例えば、岸田文雄は、安倍晋三の国葬を言い出しているが、その狙いは統一教会の走狗として、日本を韓国に売り渡そうとしてきた安倍の正体を国民に知られる前に、「偉い人だったんだ」と素朴に洗脳する目的だろう。
そして、憲法9条を廃棄し、核武装することで、日本を中ロ核ミサイルの標的にしようとしているわけで、これは、まさにネガティブ以外の何ものでもない。
対ロ戦線も、アメリカ・フランスをはじめとするネガティブ国家が並んでいて、結局、ネガティブ同士がぶつかりあってNBC(核生物化学兵器)の巨大戦争に至ることが目に見えるようだ。
この戦争は、ネガティブ国家主義者たちが、互いに争って自滅するのだ。
そして、核戦争で荒廃した地球大地に、生き残ったポジティブ組が再び、持続可能なポジティブ世界を生み出すというビジョンを私は見ている。
だが、地球上からネガティブ組が消滅するのは2050年というバシャールの予言だから、すいぶん気長に構える必要がありそうだ。
まだ、30年くらいは、激怒や強欲や、独占や強要といった人間の負の属性=ネガティブが生き残ることを示唆しているのだろう。
第三次世界対戦後に登場する新しい社会は、社会に矛盾を与える人々の強欲が排除され、心の調和という価値観を人類が共有する社会だろうと、私は予想している。
これは釈迦が示した「浄土」という概念なのだろう。
人が自分よりも他人を大切にする思想を「利他主義」と呼ぶが、2050年以降は、きっと「利他主義」を掲げた「極楽浄土」になるのだろうと私は思う。
ただし、そのためには、第二次世界大戦を超える残酷、残虐な戦争と破壊を経験しなければならない。
ネット上には、二極化の分析が溢れているが、「目覚め」だとか「愛=許し」だとか「ゲートが閉じる」だとか、抽象的な表現ばかりで、現実の人生にフィードバックできる論理、概念は甚だ少ない。
そもそも「本当にアンタ、自分の言葉を理解できてるのか?」と突っ込みたくなるようなキレイゴトの抽象的概念の羅列が多すぎるのだ。
まるで観念の言葉遊びとしか思えない。
「人を許す」なんて言ったって、私の近所に住んでる泥棒は、私の道具類を片っ端から盗み出して、それを警察に告発しても、「おまえがウソをついている」と決めつけられて、精神病院に連れて行かれるような私の体験をしてみれば、泥棒に対して「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」なんてキラキラした目で「愛の世界」を語ることが、どれほど空しく愚かなことか思い知ることになるだろう。
私は、近所の泥棒に対して強烈な殺意を抱いた。だが、やってしまえば、もうブログも書けないし、刑務所暮らしに快適さも感じられないから仕方なしに我慢しているだけだ。そのストレスは筆舌に尽くしがたい。
しかし、私は、この得がたい体験から、いろいろ学ぶものがあった。
それは、自分が、どれほど背伸びをした自己撞着に陥っていたかを思い知らされたことだ。
こうした、個人の悪意による迫害、権力による迫害に遭ったとき、絶対にやってはいけないことを私は激しく学ばされた。
それは、自分の限界を知り、決して感情に支配されてはならないということ、犯人と直接対決してはならない。そして、決して背伸びしてはならない。
自分の限界、小ささ、愚かさを正しく理解し、無理をせず、決してスマートに解決しようとせず、泥臭く、小さな対策を確実に積み重ねることだ。
私の相手Aは、ただ者ではなかった。正真正銘のプロの泥棒であり、監視カメラの赤外線の到達距離さえ見切って死角から侵入してくる。そして恐るべき卑劣な性格で、あらゆるウソをついて人を平然と騙す人物だった。
この男と立ち向かうには、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」を肝に銘じて、素朴で泥臭い対策を積み重ねて、じっくり構えて釣り上げるしかない。
そして、まだそれは成功していない。すでに被害を受け始めて三年も経つのに。唯一の希望は、Aが、この土地から逃げられないことだ。
結局、このようなプロの迫害者と対峙するには、自分の弱点を知り、泥臭い小さな努力を重ねて網にかかるのを待つしかないのだ。
この経験は、私の人生でも初めての深刻なものであり、自分がどれほど実力もないのに背伸びした思い上がりに浸っていたか、強烈に思い知らされるものであり、人生のうちに一度は、こんな経験をさせられるのだと心に刻むしかなかった。
まあ、ネガティブに対抗するポジティブ側が、これからどのように生きていったらいいのか? という視点でも、この体験は、大きな教訓を与えてくれた。
最大の教訓は、「絶対に自分の実力以上の背伸びをするな」ということだ。
ポジティブ側の力は小さい。「調和」を求めて、いろいろな試行錯誤をやるのは当然だが、多くの場合は、自然の摂理を無視した強引なビジョンを実行し、行き詰まることになる。それは自分への過信が生み出すものだ。
ネガティブ側は、これから憲法改悪、9条破棄、原発再稼働、新設、核兵器保有と、すでに数年前から予告してきたように「カラスの勝手でしょ」と、国民の反戦平和ポジティブ勢力の意思を完全に無視して、決して反対勢力と邂逅しようとせず、ネガティブ国家主義に突っ走るだろう。
そうしてホンモノの戦争がやってくる。原発事故も再発するだろう。
こんなとき、反対運動を計画してみても、それが盛り上がり勝てるような条件は存在しない。
ポジティブ側も「カラスの勝手でしょ」と、持続可能な未来に向けて、小さな歩みを続けるしかないのだ。
それは、何度も書いているように、過疎の深い田舎に、共同体農地を確保し、自給自足のダーチャ農園を作り出すことだ。
まずは、山奥に自分たちの共同農地を確保し、一歩でも二歩でも自給自足ライフスタイルを獲得することだ。
これがネガティブ勢力が滅んだあとに、ポジティブ勢力が生き残る唯一の道であると私は考えている。
少しずつ、一歩ずつ遅遅として、利他主義思想を共有した共同体を建設することだけが、持続可能な唯一の道であると思う。
実力以上のことは決してできない…… これが教訓だ。