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 日本的ストイックの体現者たち

2021年03月20日 | 未分類
 日本人は一心不乱、脇目も逸らさないストイック人生が好きだ。ズボラな私から見ると、ストイックな人々は超人であり、神様みたいに見える。

 日本的ストイックの殿堂といえば、何といっても比叡山。比叡山で得度して堂守や住職などの管理職になろうと思えば、誰でも定められた修行をこなさねばならない。
 その修行が半端でない。それを知った世界中の人が仰天し、驚愕するような凄まじい修行なのだ。多くの外国人は、最初それを信用しようとしない。

 比叡山行の最高峰にあるのが「千日回峰」である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%97%A5%E5%9B%9E%E5%B3%B0%E8%A1%8C_(%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1)

 行者は、午前1時に起床し、滝行の後に回峰行に出て、30~40Kmあまりを歩いて坊に戻り、平常の勤行務をこなす。これを最初の3年は年間100日、次の2年は年間200日行う。食事は二食、1000Kカロリーに満たない精進食だ。

 これを完行すれば、「堂入」という恐ろしい行が待っている。足かけ9日間の間、食べること、飲むこと、寝ることが許されず、真言を唱え続けなければならない。
 普通の人なら100%死亡するといわれるが、5年間にわたる回峰行で鍛え上げた肉体だけが生き延びることができる。

 その後、6年目には行程が60Kmとなり、7年目からは84Kmの京都大回りを100日行い、回峰行を100日続ける。9年目に満行となり、大阿闍梨の称号が与えられる。
 これは宗教行のなかで、世界でもっとも苛酷といわれている。
 特攻隊出身の酒井雄哉は、この千日回峰行を二回行った戦後唯一の行者である。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E9%9B%84%E5%93%89

 https://www.youtube.com/watch?v=xhcy5tr2kMI

 これは40年くらい前に、NHKが酒井雄哉の特集を組んでから、広く世間に知られるようになった。ほぼ同じような修行が、吉野金峯山寺にもあり、複数の完行者を出している。
 吉野真言宗の塩沼亮潤は、完行後、この凄まじい行の意味を広く認知させる活動を行っている。
 https://www.youtube.com/watch?v=y7UKACmylZk

 私は、この行者たちの動画や著作を見てから、日本という国の奥深さを思い知らされた。政治の表舞台に出ているのは強欲な馬鹿か阿呆ばかりだが、日本の底辺には、恐ろしい人々がいるものだと深く心に染み入る。
 この行を知って、私は、京都という大都市の本当の意味を理解することができたように思った。京都は、この行者たちへの苛酷な行への信仰と帰依によって1000年以上も成立しているのだと理解した。

 人は、自分のできない困難に立ち向かい克服する真摯な努力を見て感動するのだ。
 京都大回り行中に、京都市内で行者が通りかかると、大半の京都市民が、そこに平服して行者の加持を待つ。下校途中の学生でさえ、行者の邪魔にならないよう気を遣う。
 この姿を見ていると、京都という街を本当に支えてきたのは、こうした行であろうと理解できる。行者から気迫が伝わってきて、誰もが自然に謹厳な姿勢になるのだ。

 ストイックといえば、私が若い頃から登山にかかわって、見知った者たちがいる。団塊世代を中心に、絵に描いたようなストイックな登山家が大量に輩出した。
 小西政継を中心とする山岳同志会のメンバーたち。植村直己、長谷川恒男、挙げればきりがないが、思い浮かぶ男たちの大半というか、ほぼ全員がこの世にいない。みんな遭難死したのだ。
 生きていれば、70才代前半というところか。彼らの死は無駄死にだったのか?

 私は、彼らこそが1970年代、80年代の日本の圧倒的な成長を支えた光だったと考えている。(良いとは思わないが)困難を克服して、人が容易に成し遂げ得ない登山を次々に成功させてゆく。
 困難の克服は、より大きな困難への挑戦を生み出した。彼らの強烈な意思とパワーによって、私はどれほど大きな元気をもらったかわからない。
 日本社会に元気を与えた活力剤だったという評価もできるかもしれない。

 この数日、身辺整理していたら、たくさんの登攀用具が出てきた。ザイル・カラビナ・8環・ユマール、思えば1980年代の私の遊び道具だが、これらは小西らに刺激を受けて猿真似したのだ。
 一人で御在所藤内壁に通ったり、講談師の田辺鶴英母娘を中道に連れ出して、危うく首吊りをさせかけたり、厳冬の中央アルプスを単独縦走したり、南アの大きな沢を数日がかりで遡行したり、思い出は尽きない。

 こうした山遊びは、私の人生の華だ。もし私に次の人生が許されるなら、再び山を歩きたい。小西や植村、同世代の登山家たちの偉業は、大きな気力を与えてくれた。もしも彼らがいなかったなら、これほど登山の隆盛もなく、日本社会の活性化もなかっただろう。

 もう一つ、意外なストイック集団を紹介しよう。それはヤクザの世界だ。

 山口組六代目=篠田健一と初めて出会ったのは、厳冬期中央アルプスの越百山だった。
 1980年代、私が冬山ゲレンデとしていた中ア南部には、名古屋から頻繁に通ったのだが、越百山の登山口近くで、いつも外車が停まっていることに違和感を抱いた。
 たぶん奥深い沢で拳銃の実弾射撃テストでもしているのではないかと思った。

 しかし違っていた。深雪の越百山の稜線で、向こうから、どうみてもヤクザにしか見えない人物とすれ違って挨拶を交わした。
 それが篠田健一氏で、当時は弘田組か弘道会の会長だったと思う。ヤクザの親分でありながら、彼の趣味は冬山登山だった。
 冬の越百山では彼と三回遭遇した。

 やがて大門のタクシー会社で働いていて、中村公園にお迎えのお呼びがかかった。
 大きな声で挨拶し、乗り込んできたのは精悍な組長で、中区の小料理屋まで送った。それが山口組六代目になる司組組長、篠田氏だった。
 機敏精悍だが、とても礼儀正しくて、威圧感など感じさせない。チップもはずんでくれた。

 篠田健一氏は、ヤクザ業界にあって、珍しく生粋の日本人である。実は、ヤクザ業界の多くが在日系で占められている。
 小泉純一郎の一族は、稲川会という暴力団と密接な関係があるが、稲川会の構成員の大半が在日朝鮮人で、北朝鮮権力との関係もあり、それが小泉訪朝、拉致者解放へとつながった。
 山口組も、篠田氏以外の大半、7代目候補の高山氏も含めて在日である。

 私が通った小中学校は、大門の赤線街を仕切る暴力団の子弟がたくさんいた。元は稲葉地一家が仕切っていたのだが、後に弘田組(弘道会)にとって代わられた。
 中村区は在日とヤクザの街だった。在日からは、パチンコの創始者、正村竹一が出て、娘が同級生だった。大曽根の金田正一(金慶弘)も在日だった。

 ヤクザといえば在日と相場が定まっているなかで、篠田健一は大分の水産仲買人出身で珍しい。もっとも、当時の仲卸は暴力団系の荒っぽいのが少なくなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E5%BF%8D

 私が、司忍こと篠田健一に対して感じる印象は、まさに冒頭で紹介した比叡山の行者であった。だから「忍」という名を使ったのだと思った。
 とにかく何もかもストイックな人物である。「自分を律する」ことが、彼のテーゼであることのように思える。

 若い頃は武闘派暴力団員として名を売ったのだが、それは彼の性格や趣味ではなく、彼の思想である「筋を通す」という正義の論理に尽きる。
 根はとても優しい人だが、ひとたび「筋の通らない」ことが起きると烈火の如く怒る。「筋を通す」ためには命を張ることなどなんとも思っていない。

 彼は任侠道に生きている。だから、警察により冤罪にはめられて5年の服役を強いられたときも、ためらいなく一服役囚として過ごした。
 高倉健の任侠道を地で行く人物である。篠田健一は世俗的な欲には目もくれない。刑務所で服役囚として過ごすときも、山口組六代目組長として過ごすときも、寸分の狂いもなくストイックな任侠に生きている。

 タクシーに乗るときも、酒を飲んでいるときも、この人は任侠なのだ。決して乱れることなく道理のなかに生きている。
 司組長のいた当時の司組は、若い衆をタクシーに乗せても、ヤクザの臭いは片鱗もなかった。若い者に対する任侠道の教育は完璧で、絶対に奢らない、他人を威圧しない、きちんと挨拶し、へりくだるという若者ばかりだった。

 私は、この組長が、よほどの人物なのだと思った。だから司組長が六代目になったと聞いても、「なるほど」と思うだけで、何の違和感もなかった。
 タクシー時代は、ヤクザ者にさんざん苦しめられ、ナイフを突きつけられたことさえあるが、司組は別格だった。だが高山組は違うので、同じように思わない方がいい。

 ストイックな人物は見ていて気持ちがいい。そもそも金儲けに走る竹中平蔵のような人物はストイックと対極にある「傲慢、強欲、我欲」を体現している。
 今の自民党議員の大半が、竹中平蔵のコピーばかりだ。
 政治家のなかで、上に上げたストイックな男がいたかといえば、かなり劣るが、後藤田正晴・野中広務あたりを挙げておくか。昔は、少しは気骨のある人物が自民党にもいたのだ。今は皆無で、みんなドロドロに腐っている。

 今、政治家としてストイックな人物といえば、私は山本太郎を挙げておく。彼は文句なしにストイックだ。自分の信念だけに生きている。
 私は山本太郎を尊敬する。