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 AIの未来

2018年09月04日 | 未分類
 野村総研は、10~20年後に、日本の業務の半分がAI化されるという予測を公表した。



 https://www.nri.com/jp/news/2015/151202_1.aspx



 森永卓郎は、そうなれば、仕事から追放された人々は、ベーシックインカムでメシを食いながら、クリエイティブな創造性のある仕事を作り出せばいい。

 などと、暢気なことを発言している。



https://www.youtube.com/watch?v=EOnrYdEeogA





 私は、全然、そうは思わない。彼らは、人類の技術のアンバランスな発展による自己崩壊=自家中毒について何も考えていないように思える。



 そもそも、人類は21世紀においてすら、核兵器の廃絶さえできないほど愚かな生物であり、こんな知能の低い連中に、AIというテクノロジーを与えても、結局、人に格差を作り出し、大多数を奴隷にして、ごく一部の特権階級だけが王様として君臨するような馬鹿げた、程度の低い社会を目指すに決まっているのだ。



 野村総研も森永卓郎も、いってみれば「アチラ側」の特権階級であって、AIなんてつまらない技術を開発する前に、地上から戦争をなくす努力の方が百万倍も大切であることを、どうしても理解できない「特権座布団組」なのである。



 そもそも、AIなんて技術は、実に中途半端であり、本当に人々を幸せにする技術とは、とうてい思えない。

 何もかもオートメーション化されて、人の関与が不要になれば、人類は痴呆症集団になるしかないではないか?

 これを理解できない野村総研や森永卓郎は、馬鹿なのか?

 彼らのAIは、新自由主義における金儲け独占思想の上に作られたテクノロジーであって、人類を幸せにするものとは、まったく別物であり、完全に生活から乖離していることを知るべきである。



  人の幸せは、差別、格差をなくし、農業を通じて、体を鍛え、みんなで生産の喜びを分かち合う、農業共同体思想のなかでしか生み出し得ないものである。

 人の能力は、AIによって向上するのか?

 ありえないことだ。これは人類滅亡技術以外の何ものでもないではないか?

 AI将棋プログラムが藤井君でもまったく歯が立たなくなれば、将棋そのものから人々は興味を失ってゆくことが目に見えているではないか?



 AIの発展過程にある、自動運転だって、人類における自動化技術の限界を超えた「余計なお世話技術」であることを理解できない人々がおおいのが情けない。

 電気自動車だって、もはや技術の限界を超えてしまっていて、私は、大規模に導入された電気自動車が、電池性能の限界によって、再び原動機車に駆逐されてゆくだろうと考えている。



 優秀な電池は、半世紀も前から、日本のたくさんのメーカーが取り組んできた。しかしリチウム電池が限界なのだ。問題は、どんなに優秀に見えても、耐久性の限界があまりに弱すぎて、5年に一度も電池交換するようでは、ハイブリッドも電気自動車も未来はないと知るべきである。



 ましてやAIは、単なる自動プログラムであって、複雑な仕事をこなせたとしても、それを実現することの哲学的、人体生物学的な意味が、まったく理解されていない。

 AIは人間をアホにする技術である。それが欲しいのは、全人類を奴隷として支配したい超特権階級だけであって、一般の庶民には、完全に無用の長物であり、むしろ、生活からコンピュータを排除して、再び戦前のライフスタイルに戻ることこそ、我々の本当の幸せ、子供たちの未来が保証されるのである。



 このことを理解できないで、AIに幻想を抱くような発言をする知識人は、馬鹿アホの類いでしかないから、信用すべきではないのだ。



 すでに何度も書いてきたが、AI社会は、極度に脆弱な本質を持っている。

 上空1000Kで核爆発が起きれば、一瞬にして、二度と取り返しのつかないダメージを受けるのである。

 人間社会は明治時代に還るのである。



 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-411.html



 もしもAIに完全に依存したライフスタイルがあるとすれば、それは高高度核爆発後、二年以内に9割が死滅すると、アメリカが試算しているのだ。



 こんな脆弱なシステムに、我々の未来を委ねるつもりなのか?



 まさに、アホというしかないではないか?



 今日は不調なので、ここらでやめときます。

 台風21号は結構厳しかった。AIでなくてよかった。