リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

まずルールとマニュアルを!

2006年09月12日 | Weblog
 東京に赴いたときに東京都庁の本屋で隔年ごとに刊行されている東京都職員ハンドブック(2005)を手に入れた。600円と安かった。きっと都職員は全員保持しているのだろう、主任試験などはここからも問題がでるようだ。こういうことを仔細に覚えられる人が出世するというのなら自分はそこそこいいところまでいけそうだ。「都庁の星」も夢ではない。

 たまたま思いつきで買った本だがコレ、実に面白い。統計や財政など東京の現状、都政の基本方針、電子都庁の推進、地方自治制度などについてまとめた部分もあるが、特に面白いと感じたのが弟Ⅲ編の事務の手引き、弟Ⅳ編の組織と仕事についてまとめた部分である。(いわゆるマニュアル部分)
  
 このハンドブックにはあらゆる業務手順、心構え、仕事の進め方、業務改善、接遇から情報公開にいたるまでおせっかいというくらい懇切丁寧に書かれている。大きな組織になると決め事、よりどころはきちんと明文化されていないと大混乱するからだろう。

 市や県の職員の文化、思考様式を知るために、そして組織運営や構造改革を学ぶためには、こういったマニュアルはなかなか良い教材だと思う。

 担当が替わっても業務が滞りなく遂行できるというのがシステム(あるいは組織)というものである。しかし、周囲の状況も変化するから、そのシステム(組織)が状況に合わせて変化させる仕組みをシステム自体に盛り込んでおかなくてはならない。(例、生命、政治、組織など。)これが上手くいかないシステム(組織)はやがて崩壊する。

自分はこういったマニュアルやルールは大好きである。

 マニュアル人間だと馬鹿にされたり、「ルールですから。」という言葉がギャグになるようなご時勢である。しかし組織にはルールやマニュアルは必要だ。生物組織はDNAという物質に書き込まれた遺伝子というマニュアルを、物理法則というルールでひもどいている。これがうまくはたらかないと、癌や自己免疫疾患などの病気になることがわかってきた。
 
 病院にも機能評価に合わせて各部署で作成された業務マニュアルはあるにはあるが、実際にきちんとは運用されていないようだ。なにより問題なのはマニュアル運用のルールが明確でない点だ。(企業においていは理念や最近の言葉で言うならクレド、政治の世界においては憲法がそれにあたるだろう。自然界においては物理の法則だろうか?)組織図も旧態依然で変化にすばやく対応できるものとは思えない。佐久病院の遺伝子はどのような形で引き継がれているのだろうか・・・。

 こういったルールやマニュアルをいい加減にしていると、変化に対応できなかったり、システムの修復抑制機構が不全をきたしたりする。弱っているところに他の微生物に感染したり、敵(癌や他の微生物)から身をまもるための手段として発達したはずの免疫系が自分を攻撃しはじめたり、システムを修復するための癌抑制遺伝子が働かずに発癌するようなものだ。そうしてシステムが維持できなくなったときに組織は崩壊する。

 組織として維持していくためには、対症療法に終始していてはいけない。何をすべきかは本当は明確なのだ。

 といっていたら、「県庁の星」という映画を思い出した。
「県庁の星」では、県庁のエリート、野村が三流スーパーに派遣されて早々マニュアルと組織図をみせてくれというが、指導役についたパートの二宮にそんなものはないと一蹴される場面がある。民間の現場でもまれ、人間的にも成長した野村は、現場主義、実践主義の二宮との絶妙なコンビで、さまざまな書類やマニュアルを完璧につくりスーパーの構造改革にも大活躍。熱血漢へと変身しこんどは逆に県庁組織の意識改革にいどむ・・・。というストーリー。なかなかの傑作であった。

そういえば佐久総合病院にも長野県庁から人事交流で研修に来ていた人もいたが、彼は何を感じて、何を残して帰ったのだろう。

 自分なんかは、いろんなところに興味が飛び、生物でも社会でも機械でも、どのような仕組みや理屈でシステムが動いているかと観察するのは本当にあきない。しかし、それは直感的で細かい数字などをあつかうのは苦手である。
 
 不必要に複雑でわかりにくいものや、雑多なだけで美しくないもの、形式的なもの非合理的なものにはイライラし、そのようなところにいるだけで疲れてしまう

 行動するに当たってはフレームワークがある程度決まっていないと、社会認知が困難で不安になる性質なようで、あいまいな指示やルール、なあなあにされると、どのように動いていいかわからなくなり疲れてしまう。きちんと明文化されたマニュアルがあると非常に安心する。

 だから、この社会で上手に生きていくために、自分専用マニュアルを作成して成功パターンを蓄積し、アップデートしていかなくてはならない。

 一方で、モノや仕組みなどをデザインしたり作ったり絵や文章で表現するのは好きであきずにいつまででも続けていられる。そういったときには人に邪魔されずに何日でも引きこもっていたい。
 
 人の感情を読んで共感してみせたり、刺激の多い雑多な環境で短時間で判断を迫られるなかで優先順位をつけて一つ一つをこなしたり、どうなるか先が読めなかったり、非合理的なルーチンワークをきちんと淡々とやることは苦手だ。(すぐに飽きてしまい短期間で著しく疲労する。)

 だが、科学者や文化人類学者のように何かを観察し、見えないルールや仕組みを明確にする。文化を運ぶ花粉の運び屋(あるいはウィルス)のように、ある場所から別の場所へと遺伝子を運ぶ。実験者として試行錯誤を繰り返し、そしてマニュアライザーとして、持続可能な新たなシステム(組織)をつくる。などの役割は組織の中で担うことはできるかもしれない。(上記のような仕事でエネルギーをつかいはたしてしまわなければ。)

 自分は、硬直した組織の中で、いわゆる普通の医師としてやっていくのはとても無理だ。地域社会のかかえる問題、社会の矛盾や不合理が気になって目の前の患者さんのことに集中できない。

 職を変えるとすれば、よいパートナーに恵まれれば経営者や企業家、政治家も可能だろうが、単独でやるならジャーナリストや作家、芸術家、学者やコンサルタント、システムエンジニア、といったものの方が良いかもしれない。 

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