リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

選挙を機に、この国のあり方に関心をもとう。

2012年12月02日 | Weblog
中央道の笹子トンネルの天井が崩落し大惨事となっている。
思えば原発事故も耐用年数を超えつつある古い設備を甘いリスク管理のもとに使い続けたことが大惨事をまねいた原因の一つである。
政治屋は新しいものはどんどん作りたがるがインフラの維持管理とか廃棄にはお金をあまり回そうとしない。

これからこのような古い建造物の劣化による事故がますます増えてくるだろう。

日本の各地で人口は減少に転じ空き家もますます増えてくる。
長野県内の空き家率は今でも19%もあるという。
当地でも放置された空き家が崩れて道を塞ぎ問題となったりもしている。

山間の集落では高齢化と人口減少で集落の機能が維持的ない限界集落も増えているようだ。
居住域が広がれば広がるほど道路や水道、電気、通信、病院などのインフラの整備と維持にお金もかかる。
治安の悪化も懸念される。

どのように地域を再生し、高度経済成長期に拡大していった社会インフラを取捨選択し、経済活動や生活地域を縮小していくかということがこれからの主要なテーマとなるだろう。
そこではスマートディクライン、コンパクトシティが合言葉になる。
北海道夕張市などはその取り組みの最先端だろう。

長野県でも医療需要もそろそろ頭打ちであり、介護需要もまもなく頭打ちとなると予測されている。
そのなかで必要な医療内容を取捨選択し、連携を強化し地域に必要な医療を残して行かなければいけない。

安曇総合病院でも、一部の政治家と院長が進めようとした将来の大北医療圏のがん診療拠点病院を目指してリニアック(放射線治療機器)を入れるなど診療メニューを急性期よりに拡大発展していくという方向性に、職員と地域住民の良識で待ったをかけ、身の丈にあった地域を支える医療を充実する方向に舵をきった。

それでも耐震基準を満たさない古い病棟の建て替えは急がなければならない。


12月16日の選挙は東日本大震災・原発事故以後最初の選挙である。

この選挙は日本のこれからの方向性を決めるとともに、民主主義の維持と日本の独立の覚悟を問われる選挙だと思う。
選挙というのは政治参加する方法の1つであるが、政治から目を話しお上に任せてきた結果として、今の選挙で選べることというのは本当に減ってしまった。
いっそネットでの選挙をおこない国民投票をイシューごとに行えばよいのに(直接民主制)とも思う。
何も変わらないような一票ではあるが、行使しないと社会はますます変な方向にいってしまう。

経団連の会長でも年金がもらえる一方で、真に困窮している人に必要は支援が届かずに餓死したり凍死したりしている。
今の年金は社会保障でもなんでもなく悪質で低品質な金融商品でしかなく制度としても信頼するに足りない。
原発村をはじめとするさまざまな利権により特権階級が生まれる一方、格差の拡大や貧困の増大は放置されている。
中国や米国など外国との関係も問題が山積だ。

憲法改正やTPP参加で深く考えずに一気にぶち壊したい願望にかられるが、果たしてそれでよいのだろうか・・。

自民党は立憲主義に基づき公権力の暴走を縛るはずの憲法を、公権力が思うままに国民に義務を強いるようなものに変えようとしている。

アメリカというイギリスから飛び出て独立した人が西へ西へとインディアンを追いやりながらすすみ西海岸に達したら今度はハワイを占領し、日本の木と紙で出来た家を焼き払い、ベトナムの密林に枯葉剤を撒き散らし、イラクを空爆し、アフガニスタンを攻撃しということを性懲りもなつづける迷惑な国家である。
日本などていのよい金づるのパシリでしかないのだろう。
アメリカの国家中枢はすでに多国籍企業と軍需複合体に乗っ取られてしまっており、マネー資本主義というカジノの胴元(1%)に逆らうものは大統領であれ暗殺される。

そしてそんな胴元たちの意に反した日本のリーダーはことごとく葬り去られてきた。

前回の選挙の時に民主党の党首であり首相になるはずだった小沢一郎氏はいちゃもんのような政治資金規正法違反罪で強制起訴され、マスコミによって「金と政治」などという汚いイメージをつけられ政治の表舞台から撤退を余儀なくされた。
しかし長い裁判の末、結局無罪となった。首相になるはずだった人を非民主的に引きずり下ろしたその責任は誰も取らない。
続いて党首となった鳩山由紀夫氏は沖縄県民も日本国民も願っているはずの普天間基地移設問題で米と対立し、マスコミにより「お坊ちゃん」のイメージをつけられ首相の座を追いやられた。

アメリカに潰された政治家たち
孫崎 享
小学館


1%に支配されている大新聞やテレビメディアなどのマスコミは平成の開国、バスに乗り遅れるなどといい、TPPで中国に対抗するために日米同盟を強化するのだという論調でTPPへの参加を急げという社説を掲載してきた。
民主主義から程遠い秘密裏に行われる農業や医療、サービス、著作権など多方面にわたるルールのパッケージでの押し付けだというのに。
これまでもアメリカは日本に年次改革要望書などという露骨な内政干渉(なぜかあまり報道されない)をつづけてきたがTPPはそれにお墨付きを与えるものなのである。TPPで国家の主権と民主主義と国民の生活が脅かされ、ACTAで言論の自由が脅かされている。

選挙でTPPが焦点となり多くの人にこのカラクリに気づかれてはいけないとおもったのかでマスコミは当初ほどTPPのことは言わなくなった。

TPPへの加盟で、多国籍企業>米の法律>TPP>日本の国内法 という支配が完成する。

多国籍企業は国家の力をはるかに超え国民の雇用や生活、環境に責任を持たないモンスターとなった。
安い労働力があり環境汚染の規制が緩いところで生産し、市場とお金があるところでえげつなく売り、税率の低いところで税を納めるだけである。自らの利益のためには戦争を起こすことも辞さない。そうして得た利益は1%の支配層のもとに入り格差は拡大する。
それを難しくしている国内法などを非関税障壁の名のもとにまとめて取っ払おうというのがTPPの本質である。
TPPにおいて弱者や環境を守るための各国が制定した規制や法律、日本語という言語や文化、慣習なども非関税障壁といわれてしまう。
非関税障壁により投資したのに期待したリターンが得られなければISD条項(野田首相は知らなかった!)で提訴し賠償請求できるようになってしまう。
毒まんじゅうといわれるISD条項は、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。

交渉に参加して国益を守ればいいという人もいるが韓国FTAをみればわかるように交渉は軍事力を背景としたパワーバランスで決まるのだから日本の国益など守る交渉などができるわけがない。

外圧であるTPPを利用して国内のルールをかえ、しがらみを打ち壊してしまおうという動きもあるが、その結果の責任をだれがとるのか。

韓国FTAの時のように、この選挙前に北朝鮮か中国から軍事的な動きがあり、その恫喝(ショック・ドクトリン)で対米従属の世論を誘導するような動きがあるだろうと思っていたら案の定そのような動きが始まっている。CIAなどの米諜報機関の工作による北朝鮮のうごき、それにのっかった我が国のマスゴミのプロパガンダであると私はみている。

そして一方には人権などという概念はなく周辺国家はすべて王土に服従し征服されるべきものという中華思想が抜け切らない中国が控えている。
中国にとって反日は矛盾の高まる国内をまとめる戦略でしかない。

TPPにかぎらず1%の人のために99%の人の生活が犠牲となる仕組みは気づかない間に着々と作られている。
中国とアメリカという2迷惑大国にはさまれ、多国籍企業の思惑に翻弄され、資源も土地もない日本が辺縁国家としてどのように生き残っていくか・・・。

私達にできることはなにか?まずそれぞれの立場からそれを問うことだろう。
”Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
暗殺されたケネディ大統領の言葉である。

「一身独立して国家独立する。」
福沢諭吉の言葉である。

軍事力をもたないのであれば、教育にとことん力をいれ土木、農業、工業技術者や医療従事者を大量に要請して国際貢献をおこなう。
原発に頼らなくてもいいような低エネルギーではあるが幸福度の高い生活モデルを創出することが必要である。
そして専門性の高い諜報機関をつくり、インテリジェンス機能を高め世界と渡り合っていくことが必要だろう。

内村鑑三の「デンマルク国の話」が思い出される。
今、世界でそれに一番近いことをやっているのはキューバだろうか・・・。

日本でも地方分権の実現に先駆けて、たとえば北海道だけでも制度を半独立させてモデルを示すなどすれば良いと思う。

民主主義とはそもそもめんどくさいものである。ヒーロを待っていても世の中は変わらない。
日本の未来と国民の生活を第一に考え行動してくれる政治家はだれか、真剣に情報をあつめ考えぬいて投票しよう。
その後も政治に関心をもち、様々な手段で関わり続けることも必要であろう。

ヒーローを待っていても世界は変わらない
湯浅 誠
朝日新聞出版


内閣府参与も務めた湯浅誠氏の近著。
「どの政党がいいか、誰がいいかと議論しても何も変わらない。いまや政治不信はシステム自体の不信に質的に変化している。そんな中、橋下さんという得難いヒーローを得て議会政治と政治システムそのものに手をつけようとしつつある。「誰か決めてくれよ、ただし自分の思うとおりに」と言いたくなるが、言い放つだけでは変わらない。拍手喝采して既得権益をバッサバッサ切っているのはやし立てているうちに自分が切られていたということもありうるだろう。民主主義のめんどくささを引き受け、自分たちで考えて決める民主主義にしなければいけない。そのためにはそれに参加することを可能にする時間と空間を確保することが必要だ。意識の問題と考えずに参加のバリアを下げることが民主主義の活性化のため、ひいては社会の活性化のために重要だ。」

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