前回の記事が5/25でしたが、今回の記事はその翌日の5/26です。
5/26に海老名で行われた「小田急ファミリー鉄道展201」へ行ってきました。例年なら秋の10月頃に行われるのですが、今年は5月25日、26日での開催でした。おそらく、秋には海老名に小田急の鉄道博物館建設準備が始まるので前倒ししたか、翌台風に襲撃されて中止になるので春に切り替えたのかでしょうね。
さて、今年の目玉はなんと言っても最新型と最古のロマンスカー共演でした。以前から海老名の車庫で専用保管庫に保存されていた初代ロマンスカー3000形SE/SSE。以前は隔年公開でしたが、近年は公開を中止していたので、私としては2012年以来に姿を見ることになりました。
保線車両や資材置き場を横に見ながら、会場へ入ります
まず目に見えるのは最新型70000形GSE
そしてその横に3000形SEの姿がありました。デビュー当時の姿に戻されている新宿側の先頭車です
やっと行列の前に出て撮影
反対側には箱根登山鉄道色の1000形が、通常あり得ない「急行 新宿行き」を表示していたのですが、ほぼ無視されていました(この車両の運用は、通常新松田〜箱根湯本に限られている)
60000形MSEの付属編成(4両編成)が行ったり来たりしていました。イベント用だったのか、単に入れ換え作業中だったのか
さて、先ほどと反対側で取ろうとしたのですが、なかなか近づけず
3000形SEのアップです
上側と下側。やや下ぶくれですが、流線型の車体は特急らしさを醸し出します。1957年に行われた東海道本線での高速試験において、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録となる145km/hを樹立しました
新宿側先頭車から後は、晩年の「あさぎり」運用でのSSE車としての塗装となっています
塗装の途切れ目。連接台車にも注目です
中間車の側面の姿です
小田原側先頭車は、「あさぎり」のヘッドマークのSSE車でした。私が子供の頃にはこの姿だったので、こちらの方がなじみ深いです
依然として動いていた60000形MSEはそれなりに注目されていました
編成長さの差異の関係で、小田原側のGSEは単独で写る状態でした
海老名の車両基地公開は、後は保線用車両の公開と物販ですので、これくらいにして引き上げました。
スペースの問題から、色々な車両は用意できないのでしょうけど、SE/SSEとGSEの2つの並びという今回限りの姿が見られただけで満足でした。
5/26に海老名で行われた「小田急ファミリー鉄道展201」へ行ってきました。例年なら秋の10月頃に行われるのですが、今年は5月25日、26日での開催でした。おそらく、秋には海老名に小田急の鉄道博物館建設準備が始まるので前倒ししたか、翌台風に襲撃されて中止になるので春に切り替えたのかでしょうね。
さて、今年の目玉はなんと言っても最新型と最古のロマンスカー共演でした。以前から海老名の車庫で専用保管庫に保存されていた初代ロマンスカー3000形SE/SSE。以前は隔年公開でしたが、近年は公開を中止していたので、私としては2012年以来に姿を見ることになりました。
保線車両や資材置き場を横に見ながら、会場へ入ります
まず目に見えるのは最新型70000形GSE
そしてその横に3000形SEの姿がありました。デビュー当時の姿に戻されている新宿側の先頭車です
やっと行列の前に出て撮影
反対側には箱根登山鉄道色の1000形が、通常あり得ない「急行 新宿行き」を表示していたのですが、ほぼ無視されていました(この車両の運用は、通常新松田〜箱根湯本に限られている)
60000形MSEの付属編成(4両編成)が行ったり来たりしていました。イベント用だったのか、単に入れ換え作業中だったのか
さて、先ほどと反対側で取ろうとしたのですが、なかなか近づけず
3000形SEのアップです
上側と下側。やや下ぶくれですが、流線型の車体は特急らしさを醸し出します。1957年に行われた東海道本線での高速試験において、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録となる145km/hを樹立しました
新宿側先頭車から後は、晩年の「あさぎり」運用でのSSE車としての塗装となっています
塗装の途切れ目。連接台車にも注目です
中間車の側面の姿です
小田原側先頭車は、「あさぎり」のヘッドマークのSSE車でした。私が子供の頃にはこの姿だったので、こちらの方がなじみ深いです
依然として動いていた60000形MSEはそれなりに注目されていました
編成長さの差異の関係で、小田原側のGSEは単独で写る状態でした
海老名の車両基地公開は、後は保線用車両の公開と物販ですので、これくらいにして引き上げました。
スペースの問題から、色々な車両は用意できないのでしょうけど、SE/SSEとGSEの2つの並びという今回限りの姿が見られただけで満足でした。