みやしたの気まぐれblog

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冬の田切駅掃除旅行 その3「長野電鉄屋代線に乗る」

2012-01-11 23:50:29 | 乗り鉄
シリーズ3回目です。

夜行列車で新宿を出て、松本から篠ノ井線、しなの鉄道を乗り継いで屋代駅へ到着しました。
屋代駅はしなの鉄道管理の駅ですが、ここから須坂まで長野電鉄屋代線が走っています。この長野電鉄屋代線は元々河東線という名称で、屋代~須坂~信州中野~木島までの路線で会ったそうです。そのうちの信州中野~木島の通称木島線が廃止になったのが2002年のことで、以降は須坂~信州中野は長野線の一部となり、屋代~須坂が屋代線として残りました。しかしその屋代線も、今年の3月での廃止が予定されています。昨年もこの路線には乗車したのですが、今回は再度訪れることになりました。通算では3度目の乗車です。

屋代駅で列車を降りると、側線には急行形電車のしなの鉄道169系がいた

急行型故、デッキ付きの2扉で、片開きドアである

屋代駅の長野電鉄屋代線側ホーム。ホームの手前側は側線扱いで、列車は停車しない

跨線橋を昇ると、長野電鉄側は木造の跨線橋であった

乗り換え時間があるので、一旦駅を出る。屋代駅の駅舎

駅前からは雄大な景色が。山がきれいだ

駅にあったミニ門松

屋代線の時刻表と運賃表。日中は運転の無い時間帯もある

屋代駅で30分あまりの待ち時間の後、長野電鉄屋代線の電車に乗り換えます。車両はいつも通りの3500系。元営団3000形で、通称マッコウクジラです。長野電鉄ではおなじみの車両で、東急8500系投入後も、屋代線と長野線の信州中野~湯田中を中心に運用されています。

屋代駅で撮影した長野電鉄3500系

屋代線ホームの待合室。木造で古い

ホームの柱にあった駅名標

車両の方は昭和38年(1963年)の東急車輌製。すでに現役50年近い

車内。18m級の車両で、かつては日比谷線で活躍していた

つり革は「ながの東急百貨店」。先日の弘南鉄道、十和田観光電鉄とは違い、東京にいた当時の物ではありません

路線図。屋代線が分岐したように表現されている。これが4月には無くなっているわけだ

扇風機。固定式とは変わっている。今回の乗車はO2編成のため、冷房は未設置

ふと窓の外を見ると、0キロポストがあった

3500系はワンマン運転のため、運賃箱が設置されている。屋代線は、須坂、松代以外は無人駅(屋代はしなの鉄道職員のみの配置)

電車の横にしなの鉄道169系が入ってきた。位置的に考えて、どうも長電テクニカルサービス屋代工場に入場するようだった

3500系は定刻で屋代駅を発車し、順調に須坂目指して走りました。途中、松代駅で唯一の列車交換がありましたが、最近になって赤帯を外されて日比谷線時台のスタイルになったO6編成と行き違いに。どうせならO6編成に乗りたかったかなあ。

屋代線の沿線は雪景色

松代駅で赤帯を外して日比谷線時代のようになった3500系O6編成と交換

松代駅のホーム。古い木造駅舎が良い雰囲気だ

信濃川田駅の駅舎。屋代線は、古い駅舎も多い

綿内駅の待合室だったかな?

線路に雪が残るが、右側はほとんど雪が溶けている

列車は定刻で須坂駅へ到着。4月までは忙しい時期なので、これが最後の屋代線乗車かなという気がします。

須坂へ到着した3500系

側線には昨年引退した2000系A編成の姿もあった

屋代線乗車の後は、目的地の湯田中へ向かいます。以下、次回。
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