難しいことは分からないけど、「自由主義」というからには「個人の自由を認めます」ということなのだろうね。<o:p></o:p>
そしてそれを認められた個人の集まりが社会だから、結局は「社会を構成する全員の自由を認めます」ということになり、そこから「お互いの自由を認め合いましょうね」という制約が生まれることになるのだろうね。<o:p></o:p>
それは要するに「自分だけでなく、相手の自由も認めます」ということなのだろうね。<o:p></o:p>
「相手の自由を認める」ということはすなわち「相手の『選択権』を認める」ということなのだろうね。<o:p></o:p>
それは当然「相手の『同意権』だけでなく『拒否権』も認める」ということなのだろうね。<o:p></o:p>
でも「いったん『契約』を交わしたら、それを破った者は罰せられる」ということなのだろうね。<o:p></o:p>
だから「契約」とは「自由に不自由になるコト」というのがその本質なのだろうね。
なぜそんなことをするかというと、お互い「利益」という「ためになるコト」を得られるからなのだろうね。<o:p></o:p>
頭の中を整理するためにいちおう書き記しておきました。<o:p></o:p>