学業やスポーツの成績で、一生懸命、生徒たちの間に差をつけてきた教育に、いまさら「差別はいけません」と言う資格があるのかと。
差別とは、偏見や不当な基準などをもとに、特定の人に対して不利益・不平等な扱いをすることだが、なぜ学業やスポーツだけが正当な基準と認められ、それ以外は軽視されるのだろうかと。
たぶん、それらは将来、社会で役に立つからだろう。
でも、「役に立つ、立たない」という基準で人を区別するのは、相模原事件の犯人の価値観と同じではないかと。
しかし、それが教育によって日本人の価値観とされてきたとしたら、問題なのは教育そのものであって、彼を裁くだけではこの問題を解決したことにはならないのではないかと。