フォイエルバッハという哲学者は【最も単純な真実にこそ人間は最も遅く到達する】と言ったそうだ。僕はこの人の名前はマルクスがらみで知っていたのだが、このような言葉を残しているとは全く知らなかった。深い言葉だと思う。
そしてそれは僕に神父さんの言葉を思い出させた。神父さんは僕たちに「単純な人間になれ」とおっしゃったことがあった。
でも僕はその時その言葉に躓き、それを素直に呑み込めなかったのだ。
なぜなら僕は今よりもっと深く人間というものを知りたいという欲求があるのに、単純になったら複雑な人の気持ちを理解できなくなると思ったからだ。
でも神父さんがおっしゃった「単純な人間」とは別に「無神経な人間」ということではなかったのだ。単純な人間とは単純な真実を理解し実行できる人間というほどの意味だったのだろう。
単純な真実を知るためには複雑な事実も知っていかなければならないのだ。
ここに生きていかなければならない理由があると思う。
OSHOも単純だが簡単ではないと言われます。
やはり、よいものは悪戯に難解でも無く簡単でも無く、分かり易いものだと思います。