帚木蓬生著『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』から抜粋。
P.237
もう四十年近く前、九州大学医学部の精神科に入局した十名が、教授室に呼ばれました。教授は、その後、精神医学の面でも文章の面でも私の恩師となる中尾弘之先生でした。
雑談の中で、同期のM先生が居住いをただして質問したのは、「精神科医として一番大切なのは、何でしょうか」でした。
中尾教授の返事は、何と「親切」でした。もっと高邁な言葉を期待していたみんなが拍子抜けしたのは言うまでもありません。それを見てとって、中尾先生は言葉を継いだのです。
「米国では、”You are kind”というのが最大の誉め言葉です。ですからこれを目ざせば間違いありません」
戦後米国での研究生活が長かった中尾先生ならではの感想だと、私は心打たれ、以来「親切」が特別な重みを持つようになりました。この「親切」については、かつて自作『カシスの舞い』(一九八三年刊)の中で、主人公の留学中の恩師の言葉として取り上げています。
そして共感(Empathy)を巡って論考を重ねてきた今、この親切こそが、共感への入口だと確信しています。
うん、おれもそう思うわ。
でも、それがなかなかできそうでできない。