友人のU君が「人間はなりたい自分になるんでしょ」と言うので、僕は「どうだろう?」と答えました。
「なりたい自分」。
小、中と学校で将来何になりたいかという質問に対して野球選手とか保母さんとかケーキ屋さんになりたいとか答える生徒が羨ましいと思いました。僕には具体的になりたいものが何一つなかったからです。
今でも具体的に何になりたいかと問われたら、特にありませんと答えるしかありません。あえて言うなら善人になりたいと答えるでしょう。
善人になれば周囲の人たちから敬われるにちがいないといった理由からだけではありません。僕の心の中で時々善を押しのけて悪(自他を破壊しようとする衝動)がしゃしゃり出てきて、どうにも情けないやら悔しいやら苦しいからです。
ところで僕は自分の心の中で善が悪に打ち勝てば善人になれると漠然とそう思ってきましたが、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。
力とは何だろう。悪に打ち勝つ力とは?悪と同じやり方で相手を圧倒しようとしているものは果たして本当に善なのでしょうか。同じ悪なのではないでしょうか。
許す。
悪い症状を帯びている対象(相手・自分)を責めるのではなくそうなっていった原因を知って理解して信じてあげられたとき悪は自ら負かされるのではないでしょうか。
相手や自分の悪を非難・否定するのではなく見つめてあげる。その現在だけでなく過去も。過去を清算していくに従い未来も開けてくるのだと思います。