かつての玉川上水 加藤嘉六 2021.2/13
手を入れない玉川上水の写真を2003年と2010年に撮影しています。撮影の申請は水道局広報課です。発表も構わないが水路の中の作業は自己責任、事前に連絡をすることが条件でした。
下の写真はカメラ誌に掲載されたもので、口絵ノートには次のように書かれています。
「初夏の頃、水路の中は鬱蒼とした木々の緑に覆われています。堀底には水が流れていて深山幽谷のようです。直線状にパースのかかった前方には巨木の姿も見え隠れします。また、近くの法面には無数の樹根が露出しています。そして全体的に古色蒼然として、風化した永い歴史を感じさせます。」
この時は小金井橋~小平監視所まで9kmを延べ10日間程かけて歩いています。この撮影が終わって半年後に伐採が始まりました。寝耳に水でした。
茜屋橋~喜平橋の少し上流、警察学校の桜並木間, 2010.6.18
東小川橋~爆弾投下跡, 2010.5.26
茜屋橋~小金井橋間, 2010.6.28
追記:当時撮影しながら感じたのは奥行きは20kmもある森ですが、左右の樹木はカーテンのようなものであり、伐採されれば一挙に玉川上水の歴史的景観は失われるとの危惧でした。
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1/29 高槻成紀
加藤様、みなさま
素晴らしい写真をありがとうございました。私は1995年くらいよりこちらの玉川上水しか知らないのですが、それでも2003年でこんな場所があったのかと驚きます。こういう写真を見ると、今の玉川上水は植物を可能な限り排除するという管理が行われているのだということを改めて感じます。全域をこうしろとは言いませんが、少なくとも何か所かにこういう場所を残すことは必要で、それを実現するにはこういう自然が価値があるのだということを明確に意識しないとできないことです。そういうものが必要だということを多くの市民が思うようになるための努力が求められているのだと思います。
植物など要らないという人も少しはいるでしょうが、多くの人は素朴に木があるのはいいなと感じています。しかし、桜以外はどんどん伐採されていること、年間千本もの樹木が伐採されているという事実そのものを知りません。それを知らないままでいるのと、知っているのとでは意識は全く違うと思います。今は大半の人は知らない、そこが問題です。
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1/29 足達千恵子
どの写真もわくわくします。なぜ多くの人がこのような場所を素晴らしいと思わないのか、わかりません。上から鬱蒼としたところを見るだけだとよくわからないということはあると思います。中に入れるわけではないので、想像力が必要です。そのためには美しい写真を見るとか、棲息しているいきものなど、ある程度の知識が必要になると思います。
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これを現在のものと比較してみました。加藤さんの危惧は現実のものとなりました。(高槻)
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