玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

感想 スタッフ 作成中

2019-01-12 19:52:54 | 生きもの調べ
イベントの記録は こちら

あいうえお順
 足達千恵子 地球永住計画
 小さな骨をちびっこたちが夢中で探すのを見ていて、もう十年以上前ですが、子どもたちが砂の中から化石を取り出す発掘キットに夢中になっていたのを思い出しました。子どもはこういう細かい物を探し出す作業が案外好きですね。しかも本物のフクロウの巣材から本物の獲物の骨を取り出すわけですから、発掘キットよりずっとリアルでドキドキだったのではないでしょうか。積み上げられていく「食う食われる」の証拠を見ていて、「いったい何匹のネズミを食べたのだろう?」と、じわじわ感じるものがありました。
 「うたうおじさん」「バイオリン」などの骨のニックネームは親しみやすく、作業を楽しくしてくれていました。シカの骨の「鼻つき」と「うたうおじさん」がうまくかみ合うのを見て、なるほど~と合点しました。ネズミでもシカでもヒトでも同じようにできているというのが面白いです。
 ヒミズやコウモリの骨も見つかりましたが、とても珍しいとのこと。ヒミズという動物を知らなかったのでスマホで調べてみると、モグラに似ているけれどもモグラより浅い土の中にいるため、上腕骨がネズミより太く、モグラよりは細いということを知り、体のつくりは合理的にうまくできていると思いました。
 コウモリの頭骨はネズミと比べると前後がコンパクトで、歯の形も全然違います。闇夜に逃げるコウモリと、追跡するフクロウ。両者命懸けの飛翔を想像すると、エキサイティングです! こうして巣材から拾ったバラバラの骨から、そこで何が起こったのかを想像するのは、まるで名探偵の仕事のようです。高槻先生のすばらしい紙粘土細工も想像を助けてくれました。
 このように、本物を見て自分の手を動かしながら考えるというのはとてもいい経験だと思います。SNSに簡単な感想を書いたら、多くの人が興味を示してくれ、「やってみたい」という声も複数ありました。私は家に帰ってから紙粘土でネズミを作りたくなり、ちょっと作ってみました。そうしたらフクロウやコウモリも作ってみたくなり、作ってみました。高槻先生のと違って不正確で適当なのですが、それでも見た骨が頭の中にあるので、手を動かしながらいろいろ復習できて面白かったです。子どもたちに紙粘土のお土産があったのは、もしかしてそういうこともあるのかなと思いました。

 高槻先生に非常に丁寧に準備していただき、事前に詳しい連絡をいただいていたので、スムーズに進みました。開始時間が少し遅れましたが、集合場所の正門で待っていたリーさんが気づかないうちに何組かの人が直接教室に到着していました。そのためリーさんが正門で少し待つことになったので、集合場所と教室間の連絡をこまめにすればよかったというのが反省点です。

高槻:フクロウが獲物を捉えるシーンを想像できる人はそう多くはいません。いくら人工知能が発達しても、「この骨はヒミズの上腕骨だ」とわかったり、フクロウがそのヒミズを捉えるシーンを想像するのは生身の人間です。「ただのモノ」から自然界に起きたストーリーを読み取ることができたときの喜びは大きいものです。

 坂本有加 麻布大学卒業生(ネズミ相談役)
 参加した子供たちは年齢の幅はありますが、みんな手袋をつけた手でピンセットを使い、小さな骨を上手につまんでいてとても器用だと思いました。どうしても大人用の手袋は大きすぎるので、もし小さな子供用の手袋があったらいいですね。
 小さな子も集中が途切れずに最後まで作業ができたのは、焦げ茶色でふわふわの巣材をほぐすとネズミの骨が出てくるのがおもしろいからというのはもちろん、はじめにスライドと動画を使ったお話を聞いて、なぜ巣箱に残った巣材を調べるのかを理解していたからだと思います。
 ほかにも子供たちの理解と楽しみのための工夫がたくさんあり、今回は骨にニックネームが付いていて、Pの形をしている腰の骨は「Pボネ」、腕の骨は「歌うおじさん」、ぽこぽことコブのついた太ももの骨は「先っちょ坊主」など親しみやすいものでした。私の見つけた「歌うおじさん」が、こんなに役に立っているとは思いませんでした。
 私が「歌うおじさん」を見つけたのは、大学でシカの骨をひとつ選んでスケッチする実習の時間で、なんとなく尺骨を描いていたときに、なぜか突然、歌うおじさんの横顔に見えてきたのです。それで尺骨のスケッチの横に、大きな口を開けて歌うおじさんも描いていたら、席に回って来られた高槻先生がそれを見て大笑いされました。
 それを高槻先生が覚えていてくださり、観察会などで紹介してくださっていて、子供たちが骨に親しみを感じたり、楽しく学んだりすることに役に立っていて、とても嬉しく思います。
「あ、あった、歌うおじさん。ほんとに歌ってる」
 今回は、子供たちが「歌うおじさん」を見つけた瞬間を、直接見ることができました。

 私の役割はネズミ相談役ということで、「これ、何ですか?」と聞かれたら骨の名前を答える説明係を担当しました。だいたいは分かるのですが、小さな骨やネズミではない動物の骨は難しかったです。ヒミズやカエル、小鳥の骨や羽根が出てきました。フクロウがカエルや小鳥も食べているということを実感してもらえたら、それでよかったのだろうと思いますが、もっと分類や解説ができたらよかったなと思うので、もっと勉強しようと思いました。
 ネズミのあごの骨を見つけた保護者の方に、「右のあごと左のあご、どっちだと思いますか?」と私から質問してみました。ネズミのあごの骨は左右に分かれてしまいますが、上下を確かめて上から見ると、歯がある面が顔の内側のはずだから、左右どちらのあごの骨かが分かります。そんなふうに名前当てだけではなく骨の見方についても少しお話しできました。

 地球永住計画の観察会に参加するのは初めてで、子供たちを対象とした観察会は久し振りだったので、はじめはどう接したらよいのか手探りでしたが、だんだん慣れてきて、参加者の皆さんと一緒に楽しむことができたと思います。
 ジャンケンに勝てて、高槻先生作のフクロウと「歌うおじさん」の骨を頂けたのもラッキーでした。楽しい時間をありがとうございました。

高槻:骨スケッチの実習のこと、鮮明に覚えています。その頃は坂本さんが冗談を行ったりするキャラだと思っていなかったので、スケッチの落書きを見て、そのものもおかしかったけど、意外さに大笑いをしたのでした。懐かしく思い出します。同時に、卒業後もこうして一緒に楽しい時間を過ごせることの幸いを感じました。ありがとうございました。

佐藤未歩(武蔵野美術大学卒業生)
 もともと「ダーウィンが来た」は大好きな番組で、フクロウの回は中でも印象的だったので、今回この作業に参加できてとても興味深かったです。
高槻先生がそらですらすらと骨格を板書したこと、子供に興味を持って取り組んでもらうためのお楽しみの工夫が随所に散りばめられていたことに感激しました。
 私自身、巣材やネズミの骨を見たのも初めてで、作業もとても楽しかったのですが、特に印象的だったのは、骨にニックネームをつけたことで、子供達が愛着を持って骨を探しながらコミュニケーションも活発に、親御さんも一緒に夢中になって作業していたこと。ついつい、名称は正しく覚えたほうがより良い、という先入観があったのですが、まずは興味を持つことから理解が深まっていくものだなとひとつ明るくなりました。
 やはり高槻先生が面白がっているからこそ、その楽しさが伝わるだなと、温かみあるお手製の品の数々を見て、元美大生として伝えること、共有すること、残すことを楽しみたいなと思いました。
 楽しむための綿密な企画と準備、勉強になりました。またぜひ機会があればお手伝いさせていただければと思います。ありがとうございました!

高槻:豊口さんとも話すんですが、大人が本気で楽しむということが、「教育技術」よりもよほど有効だと思います。どんなに優れた教材やプログラムがあっても、大人が楽しそうでなければ、子供には伝わらないのではないでしょうか。

高槻成紀(指導)
 今回は小さい子、それも未就学児童もいたので、少し不安がありました。スライドも大人用に準備したし、内容も「フクロウの巣材からネズミの骨を取り出す」とだけ聞けば、大人でも「自分でちゃんとできるだろうか」と思っても不思議ではありません。ところが蓋を開けて見ると、むしろスケッチ会などよりも、大きいこと小さい子の差がないように感じました。それは次のようなことによるのではないかと思いました。
 勉強というのはたくさんの約束事をマスターするという面が大きい。早い話、文字を覚えなければ文章は読めない。小さい子にとっては初めてのことばかりだから、勉強するというのは楽しくもあるけれど約束事を覚えるという点で大変なことに違いありません。絵を描くということも、「見えたものをそのまま描けばいいんだよ」と言いますが、例えばゾウをそのまま描くということは、ある子にとっては「あんな大きなもの、紙の上に描けるわけはない」と思うかもしれません。子猫なら画用紙に収まる大きさかもしれません。でもある子にとっては、立体的である猫を紙の上に描くというのはできるはずのないことかもしれません。それを「大きいものは小さくする。立体は描けないからそれを紙の上に無理に扁平にして描く」という約束事を覚えてその規則に従わなければならないので、決して「見えたまま」ではありません。そう考えれば、フクロウの巣材の中から骨を見つけて取り出すことは、何の約束事もありません。その「能力」は小さい子でも、大きい子でも、大人でもそれほど違わないかもしれないし、もしかしたら小さい子の方が目がいいかもしれません。
 それが証拠に、大人は解説やメモを見ながら「これがPで寛骨というのだ」というように、知識を書かれたもので確認していましたが、幼児は2、3回繰り返すともうメモを見ないで覚えていました。
 「女の子だから、骨を怖がるかもしれないと思っていたけど、平気だったようです」という意味の感想を書いておられた保護者がおられましたが、私の経験では骨に不気味さを感じるのは大人で、子供にはそれは全くありません。大人は知識として骨といえば死体、死体といえば生きていたものが死ぬというおぞましさを繋げて考えます。子供にはそれはなく、骨とは目の前にある乾いたおもしろい形をしたモノでしかありません。
 そういう意味で、大人が勝手に「これは子供には難しいかもしれない」と思う「忖度」は、こういう作業には余計なことなのではないかと思います。約束事を介さなければ学べないのは事実ですが、対象と本人が直接向かい合うことには約束事の比重が小さいのだと思います。思えば、文章を読む上で最重要なことは著者の言おうとしていることを知るということであるはずなのに、字面を捉えるばかりでその先に行けないことがよくあります。ことに外国語は文法を知ることが「語学ができる」ことのように思いがちですが、知りたいことがあれば言葉の背後にある主張は理解できるはずです。その辺り、大人は学ぶということの既成概念に毒されて勝手に「子供には難しいかもね」などと言いすぎるのかもしれません。

棚橋早苗 地球永住計画、武蔵野美大非常勤講師
 受付と料金回収をさせていただいた棚橋です。「フクロウの巣からネズミの骨を取り出す」というシュールなタイトルが大好きです。一見「ん?」とインパクトを放つタイトルですが、生き物の「つながり」を知るとても素晴らしい企画だと思います。

 参加した子どもさんの感想に「ほねにさわれてうれしかったです!!生まれてはじめてねずみのほねをさわりました」というものがあり、(私も”うん十年”生きてきたけれど、ネズミの骨を触ったのは生まれて初めてかもしれない…)と気づきました(笑)。まだ一桁代の年頃にこんな経験ができるみんなが本当にうらやましい。すばらしい経験だと思います。そして小さな小さなネズミの骨を「触ってみる」ということや、ネズミにも私たちと同じように骨があって、さらにいろんな骨が組み合わさっていること、骨ってこんな形をしているのもあるんだ、と知ることなど、実物に触れることで感じることがたくさんあると思います。

 イベント内容を聞いたとき、すでに何度も同内容でイベントを行っている高槻先生から「骨探しに子どももおどなも夢中になる」という話を聞いていましたが、私は(本当に小さな子どもでも30分以上夢中になるものなのかな…)と思っていました。でも始まってみると、なんとも面白い宝探しのような感覚になることがわかりました。特に子どもは手が小さく大人より目もよいので、小さなネズミの骨を探し出すにはうってつけ。子どもは小さなものを見つける天才だと思うことがたまにありますが、その特性が生かされるワークです。高槻先生の考えた骨の紹介が、子どもにも素人にも覚えやすく面白いものになっていることがポイントだとも思いました。「歌うおじさん」など、すべてにおもしろい名前がついています。そして本当にそのように見えます。

 何かを見つけ、すぐには分からないときの子どもたちの「これなんですかー?」という元気な声が今も思い出されます。そこで高槻先生が「これは〇〇の一部です」とピシャっと言い当て、照らし合わせてみて「ほんとだ!」となります。「歌うおじさん」は、他の骨と比べて予想以上に細く華奢な骨で、私はなかなか見つけられませんでした。

 さらなる「自然による仕掛け」は、骨が完全な形で出てこない、ということでした。例えば「バイオリン」は、弦が欠けてしまっているものがたくさんありました。高槻先生に聞くと「これはバイオリンの一部分ですね」と言われ、気づかなかったこと以上に「そうだよね、食べられたりしているのだから骨も欠けるよね」とハッとしました。その後は「何かの一部分」をパズルのように探して発見できることが、面白さを倍増させました。頭骨などは砕ていることが多く、部分や向きなどを特定するのはとても難しかったです。少し欠けただけでも、なかなかどこの骨なのかわかりにくくなります。さらに、大きさにも太さにも個体差があります。向きを変えてみたら「実は坊主なんだ!」ということがたくさんありました。

 また、分からない骨の中にはカエルやコウモリ、ヒミズの骨もあったり。これは高槻先生のような知識と経験がないとわかりません。でも、それらの骨を見た経験はほとんどないので、ネスミ以外の骨がでてくることはとても楽しく、「当たり!」のような気持ちになりました。
勝負があるようなゲームとは違い、強いていうならば、宝探しとパズルが組み合わさった感じです。何かを夢中になって探すという行為は、人を無心にさせます。没頭してしまうのはなぜなのでしょう。人間の不思議な性質のひとつです(人間だけではないのかもしれませんが…)。

 これからも、タヌフン博士の子ども観察会の企画に目が離せません。今回もとても楽しく学ばせていただきました。私にとっては「こども(の)観察会(こどもたちを観察する会)」でもあります。こどもって本当におもしろい。これからもよろしくお願いいたします。


豊口信行 地球永住計画(撮影)
 「フクロウの巣からネズミの骨を取り出す」というタイトルを初めて聞いた時、ほんのちょっとだけど、あれ?と思いました。いつものような小気味よいリズムは影をひそめ、親しみやすいキャッチ―さにも少し欠ける、装飾を排したとてもストレートなタイトルに感じられました。
何を言っているかはわかるけど、どういうことなのかがよくわからない。これは、もしかすると参加者も少なからず感じた疑問だったかもしれません。

 今回の内容は、ぼくを含めスタッフのほとんども初めてだったと思います。詳細やタイムテーブルは高槻先生から事前にいただいていたのでむろんおおよそのイメージはできていたものの、はじまってみないとわからないことも多く、多少不安もありました。
…が、はじまってみれば、事前の心配は杞憂に終わるといういつもと同じパターンでした。

 「フクロウの巣から骨を取り出す」のどこがすごいかというと、年齢を問わず、あっという間に没頭できてしまうこと。それどころか、これは日本語のわからない人でさえすぐに入り込めるコンテンツです。この日参加した子どもたちがなんの問題もなく適応していったことがそのことを如実に物語っています。骨格、あるいは生きものの体の仕組みについての関心が熱狂を生んだのかというと、必ずしもそうとは言えません。むしろそうではない子の方が多かったのではないかと思います。ただ、そこに向かう入口、あるいは、もっと別の関心へと向かう扉を参加者が躊躇なくくぐりぬけたであろうことは疑いようもなく、何かを知ることの意味やアプローチについて、とても考えさせられました。

 ネズミの骨はとても小さいけど、目に見えないほどではない。それを見つけて取り出すのは特別な技術を要するわけではなく、集中して取り組めば誰でも成果が得られる。参加した子どもたちは、特にピンセットの使い方などを詳しく教わったわけでもないのにすぐにその道具を使いこなし始めました。巣材からネズミの形をした骨が見つかるわけではありません。ばらばらの体の部位、ネズミの一部が見つかるだけです。それはどこの骨なのか、何をするためにそんな形をしているのか。小さな一片の骨が、いろんな想像を掻き立ててくれます。

 いまにも壊れてしまいそうな小さな骨をピンセットでつまんでそっと取り出し、じっくり眺める。この行為自体が、学ぶということの本質にほかならないのではないか。学ぶことのおもしろさがダイレクトに伝わるのではないか。終わってからあれこれ考えているうちに、そんなことを思いました。

若林英璃奈 麻布大学学生(ネズミ相談役)
今回は、以前私がお手伝いをさせていただいた観察会よりも、お子さんの人数が多かった方のように感じたのですが、内容的にも難しかったにもかかわらず、興味津々に一生懸命に骨を探して観察していた姿に感心しました。小さな子には見えないほどでした。
また、今回はスケッチの時間はありませんでしたが、自主的にスケッチをしている子がいたことから、子どもたちの骨への興味の高さを感じました。
ビニール手袋を配っていたにもかかわらず、最終的には手で直接触っている子も多かったです。直接触れることで、骨を肌で感じ、体の作りを感じられたのではないかなと思いました。
 小さなお子さんが多かったこともあるのかもしれないのですが、やはり、隣の保護者さんが、自分の担当しているサンプルだけでなく、お子さんのサンプルにも手を出し過ぎていた感じがしました。私的には、もっと子供達自身が、「この骨はどこのだろう?」とか、「どの動物だろう?」と考えて欲しかったのですが、保護者さんがお手伝いしているのを見て、分類する事に重きを置いてしまっている感じがしました。
 子ども達が楽しそうに観察をしていて、それが学びにもなっているあの場は、子ども達の幼少期の体験として貴重だと思います。そして、その場に私も立ち会えていることが毎度楽しいです。今回もありがとうございました。

<高槻より>
 事前におよその説明をし、役割分担もお願いしましたが、ごく大雑把なものでした。一つだけお願いしたのは、「どうせやるなら、楽しみましょう」ということでした。実際に始まってから、私はまったく指示を出しませんでした。というより、子供たちからの「これなんですか?」の質問に答えるのに忙しくて、それどころではなかったというところです。スタッフの皆さんが、いま自分は何をすべきかを判断して、子供に話しかけたり、全体に配慮して動いておられたので、こんなに楽なことはありませんでした。言葉で確認することはありませんでしたが、「主人公は子供で、子供達を楽しませよう」ということが以心伝心共有されていることを感じました。そのことが、書いていただいた感想からも確認できました。
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