玉川上水みどりといきもの会議

玉川上水の自然を生物多様性の観点でとらえ、そのよりよいあり方を模索し、発信します

8月の観察会

2016-08-01 08:06:33 | 観察会
 8月21日に観察会をした。武蔵美がオープンキャンパスであったため、学生さんや先生方が参加できないのは残念だったが、新しい参加者もあった。いつものように、鷹の台から東に歩くことにした。はじめに自己紹介をした。地元で自然保護や自然教育活動をする会の人や国分寺高校の学生さんが4人参加してた。あとは常連の関野先生、リーさん、成瀬つばささん。新しい参加者が多かったこともあり、私がタヌキを中心にみた玉川上水について、何を調べていて、どこまでわかったかを話した。高校生ははじめて聞く話が多かったようだ。
 私は今月は前半をモンゴルに行っていたので、すこしご無沙汰しているうちに、玉川上水は緑がさらに濃くなり、前回の観察会のときに咲いていた花はミズヒキなどは残っていたが、大半は終わって、あらたにヤブラン、ノシラン、ヌスビトハギ、キツネノカミソリ、キンミズヒキ、ダイコンソウなどが見られた。ヌスビトハギ、キンミズヒキ、ダイコンソウなどがあったのと、ハエドクソウなどの果実もあったので、動物を利用して種子を散布する植物の話をした。果実を高校生のTシャツに投げるとくっついた。高校生は植物が動物を利用しているということが意外だったようだ。
 高校生がいたことを意識して、基本的な話もした。玉川上水に多いコナラやクヌギは萌芽再生力が多いため生き延びて雑木林を構成していたこと、それが今は薪を使わなくなったので太く成長していることなどを説明した。クヌギの幹をみていたら、だれかが
「あ、クワガタだ!」
というのでみたらノコギリクワガタがいた。


ノコギリクワガタ

 この地方は本来シイ、カシの多い林だったはずである。その話はベテランの人にも意外だと受け止めた人もいたようだ。
 津田塾大学近くの府中街道を横切ると明るくなってヤブミョウガなどが咲いていたが、このヤブを過ぎると津田キャンパスに連なる鬱蒼とした林になる。私はいつもひんやり感があると感じるので、その話をしたら、松山さんが地表温度を測定したところ、確かにこのあたりは少し温度が低かったということだった。
 このあたりを上からみたら、幅の広い連続した林冠(キャノピー)が見えるはずだ。
 「ドローンを飛ばしたいですね」
 と言ったらみんな笑っていた。いつの日か実現したいものだ。
 その後は個別の説明をしながら進み、商大橋の東の上水南側の「野草保護観察ゾーン」に行った。ここは7月にオカトラノオなどの訪花昆虫を記録した場所だが、もちろんオカトラノオの花は終わって、今はツリガネニンジンとセンンニンソウ、シラヤマギクなどが目立った。一株ながらオミナエシもあった。オミナエシは秋の七草のひとつであり、私は玉川上水でそのうちの5つを確認している。私は高校生に言った
 「秋の七草はあとで確認しておいてね」


センニンソウ、オミナエシ

ガマズミ、ミズキ、ゴンズイ、イヌビワ、ムラサキシキブなどが未熟な果実をつけていた。来月以降は色づくものもあるだろう。
 戻ってきて中央公園に近いところでルリタテハをみかけた。


ルリタテハ

 最初の挨拶でリーさんが「長いこと玉川上水をみて来られたベテランと若い高校生がいっしょに玉川上水の自然を観察するってとてもすてきです。自然観察することそのことも大切だけど、それを通じて新しい人の出会いがあるっていうことがすばらしいと思うんです」と言っていたが、まったく同感だった。
 そのあと、鷹の台に戻って私と関野先生、つばささんはカレー屋さんで昼食をとり、雑談をした。今回あらためて意を強くしたのは、
「希少な動植物がいるから守る価値がある」
という紋切り型の自然保護の考え方を根本的に改め、
「ありふれた人が顧みることもない生き物がけんめいに生きることを知ることをベースにしたい」
ということだ。それは「ここにはとくに珍しい生き物はいない」「だから破壊してもかまわない」というこれまで各地で味わった保護運動の限界を考え直す契機になると思う。その論理でいえば玉川上水は歴史遺産としてしか残す価値はないことになる。私は決してそうは思わない。小口先生が撮影してくださったコブマルエンマコガネがバリバリと馬糞を分解するパワーに圧倒されない人はいないが、そのようすを見れば、
「ああ、玉川上水にはこういう糞虫がいて、毎日こうしてがんばっているんだ」
と思えるようになる。私自身あの映像を見て、ほんとうに目を開かれる思いがした。こういう事例がたくさん積み重なれば、玉川上水というのはこういう生き物たちが暮らしている場所なのだと思えるようになるはずだ。そういう生き物の姿を知ることは、声高に自然保護をイデオロギーのように語るのとは違い、そして、それは政治的な力としては弱いのかもしれないが、私には一番力になるものだという確信がある。そういう思いは
「地球というのはそういう無数の名もない生き物が生きている星なのだ」
という想像力に繋がるはずだ。そういう地に足のついた活動が、地球への愛につながり、そこで人が生きるにはどうすればよいかを考えることになるように思う。それは遠大な目標であり、そのことが実現する日を私が目にすることのできるものではないが、そのために一隅を照らすことを続けたいと思う。


参考 玉川上水にみられる「秋の七草」のうちの5種


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