ひねもす日報

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2018年07月24日 | Weblog
 昨日は初めての現場へ。関東移住後初めて降り立つ駅へ。そこからさらにバス。バスに乗って現地へ行くのも
初めて。駅から徒歩でないと時間がまったく読めないのでばり早く現地付近に到着した。正午近くでお外遊びの
可能性を示唆されていたのでガストでかき氷食べる。体冷やして現地に入る。この日は初めての二交代制。わたし
より早く2時間勤務されたスタッフが。30分ほど引きつぎを受けてその方ご帰宅。他の方の現場を見る機会ないから
新鮮。
 昨年秋からやりよる一時託児所の仕事で、知らん間に結構鍛えられたのかも、と思う。楽しくはないが
嫌ではない職場(;^ω^)で、ベテランの看護師や保育士に囲まれて、彼女たちの仕事から学んだことは多い
だろうし、少人数制で狭い保育室で子らが飽きないように動くことは、学びになったんだろうなぁ~。
 現場でお預かりの男児はウルトラマンが大好きということで、ウルトラマンまったく知らんわたしは
図鑑を見せてもらいながらびっくり。「セブンに息子がおるとΣ(・□・;)。??」。お子様に色々教わった。

 自宅から近くの将棋クラブ。初代将棋サロンを経て二代目将棋クラブへ通い出したのは2年前の6月だった。
夏の終わりに席主から息子はへ将棋コネクションをご紹介頂いた。
そのうちのひとつ。将棋クラブから近くの会社の将棋部。練習会が夕方から週に一度開催されよるから
良かったら行ってごらんと言われた。そこの部長との顔合わせが将棋クラブであって、息子下手の駒落ちで
6局教えてもらった。その後部の例会へ行くようになる。閉店した職場。薄暗い中を部の練習会場へ向かうと畳み敷きの
靴を脱いで指すスタイルの部屋があった。例会の日はきれいな靴下を履くようになった。
最初はわたしが送迎したが、慣れてきたら迎えにだけ行った。昨年まではサッカーから帰宅して急いで行く日もあった。
ある時は将棋クラブから途中で会社のベンチでおにぎりを食べて例会に参加していた。
時折プロの指導対局会も開催された。知らない場所での指導対局ではないのでアットホームな雰囲気で息子は
楽しそうだった。社団戦もこちらのチームから出たことがある。息子はおじ様たちと一緒にいるのがとても楽しそうだった。
その部長がお亡くなりになったとメールが入った。たった四日前にわたしからの将棋連絡メールにご返信くださっていた
のに。あと数日後にまたお会いできるはずだったのに。
 息子がお世話になったこと、わたしにもお心遣い頂いたことがたくさん思い出されて、息子と布団を
並べて眠るときに涙が出た。すると息子も泣きだした。ふたりでおじ様を想って泣いた。本当に良い方だった。
まだお若かったのに。わたしの母も46才で亡くなったのかな。いつまでも生きていられるわけではないと
自戒の念を込めて改めて。
 
 
コメント
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