Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

Witch !

2008年10月31日 | Weblog
20年くらい前
私は、英国の古都にいた。

その街に住み始めたのは、
9月中旬からで、すぐにオレンジの
大きなかぼちゃが目についた。

日本にはない、オレンジ色の
大きなかぼちゃで、珍しかった。

11月くらいだろうか・・・。
キッチンから教会のとんがり屋根の先の
十字架がみえた。
その頃には、日が落ちるのが、早く、
夕食の準備をしている時間に外をみると
すでに、夜中のような暗闇なのだった。

ある日、十字架をみると、その空に
大きな大きな、丸い月がでていたのである。

どうして、あんなに低い空に大きな月がでるのか?
わからないが、
とにかく、ほうきにのった魔女が横切るような気がした。
そう、この壁紙の中のイラストのように・・。
私の幻想の中では、魔女は、もっと
おばあさんだった。
「魔法使いは、絶対にいる!」と
私は、感じた。
「Witch」という名前のレストランで
食事もしたし・・・。

その街には、ドラキュラもいた。
本当です。
夜、たくさんの観光客をガイドするドラキュラに
あったことがある。
まっしろなメイクをして、尖った歯だった。
今、思うと背が高くて、なかなか、ハンサムだった。

その街には、たくさんのお化けがいた。
だから、ドラキュラツアーもあったのだ。
子供が小さかったので
残念ながら、参加したことはない。
でも、いきなり、ドラキュラが、黒いマントを
翻して歩いているのをみたとき
ギョッ!とした。

有名なジキル博士とハイド氏の舞台の
街で、その家があるらしい石畳の小路の奥で
私は、フラワーアレンジメントのレッスンに
いっていたことがある。
絶対に、1人で迷子になりたくない
小路だった。
本当に、英国には、たくさんのお化けが
現代も住んでいた!



携帯電話がない時代の恋

2008年10月31日 | Weblog
その女性は、
たくさん恋をした。
恋もされたそうだ。

今のように携帯もパソコンもない時代。

恋人でなくても、
離れてしまった親しい大事な
友達と、話をしたくて、
しょっちゅう、手紙を書いた。

公衆電話に十円玉を握り締め
早口で、必死でおしゃべりしたそうだ。

十円玉にしろ、100円玉にしろ、
すごいスピードで落ちていった。
その速さが、二人の距離の
遠さを物語り、切なさをました。

手紙がくるのが、待ち遠しかった。
しょっちゅう書いた街の名前は、
何十年たっても忘れないそうだ。

さて、現代は、携帯という利器がある。
これも、ここ10年で、めざましい普及を
遂げた。
彼女は、10年前に、携帯をもっていなかった。
相手が、携帯をもっていても
直接、しゃべることが難しかった。

今、彼女は、携帯をもってはいるが、
ほとんど、電話をつかわないそうだ。

聞きたかった声も全然、きかないまま、
友人とも、遠ざかったりしたらしい。

それもまた、切ない話なのだ。

最近の若者の恋は、デジタルらしい。
メールではじまり、メールで終わる。
ひどいときは、3日でも
つきあった恋人にカウントするらしい。
だから、普通の子が、、エライ人数の
恋人とつきあったことになることもあるとか・・・。

本当かな?

アナログ世代の我々には、ちょっとよく、わからない。

ただ、彼女はいった。
「今のように携帯がないから、
寂しい思いもしたし、
電話も相手の家族に気をつかった。
先様の親に邪魔されたこともある。
でも、携帯がない時代の恋は
すぐに消えない。
一生、消えない。
永遠ものよ。」

しっかりと心の中にのこっているらしい。

そんなことをいったら、きっと若者は怒るかもしれない。
私たちだって、真剣な恋をしている!って。

じゃあ、深草少将みたいに
百日、小野小町のところに通える?
百日目には、雪の中で、死んでしまうんだよ・・・。

不便なことで、切なさが、強くなる。

深草少将の恋は、伝説にまで、なったのだ。
それにしても、小野小町は、
幸せな女性だ。
たとえ、老婆になって、
その姿が、醜くなったことも
伝説になったとしても・・・・・。

煙草屋の看板娘

2008年10月31日 | Weblog
三丁目の夕日の世界を
妄想している。

昭和の時代、
街角に煙草屋があり、
そこには、たいてい
「看板娘」がいた。

嫁入り前のそこのうちの
娘さんが編み物なんぞをして
座っている。
そばには猫が、座布団の上で
丸くなって眠りこけている。

お客さんがくると
愛想のいい笑顔で
煙草を売る。
その笑顔みたさに
いろんな人がやってきた。

冗談をいう人もいれば、
愚痴をいう人もいる。
若い男もいれば、
父親になった男もいる。
孫がいるおじいさんもいる。

看板娘との会話は、楽しく
みんな、笑って店先を去る。

煙草屋のそばには
赤い大きなポストがたっているから
手紙を出しにきた近所の女たちも
立ち寄り声をかけていく。

そう、私は、煙草屋の看板娘みたい
だったなあ・・・。
いろんな人が声をかけてくれて
去っていったな・・・。

今もそうかな?

ちなみに、私の3歳のときの
写真をみたら、2軒となりの煙草屋の前の
ポストが写っている。
小さな私が、大きなほうきを振り回している横で
笑っているのは、正真正銘の煙草屋の
看板娘さん。

私が小学校に行く頃は、お嫁にいって
店先にはおばあちゃんがすわっていたっけ・・・。


2008年10月31日 | Weblog
起床したとき、ふとみると
朝陽があたって
壁に扇風機の影が
できていた。

レースのように
綺麗な模様だったので
そばの携帯をとって
撮影。


2枚目を撮ろうとしたら、
もう、光の加減でレースの模様が
なくなっていた・・・。

影が、実物より美しいときがあるのだなあ・・・・。

女性の横顔にみえた。
この扇風機は、女性だったんだ・・・。

傾城

2008年10月30日 | Weblog
「傾城」ということばがある。
面白い言葉だと思う。

権力者が、城を傾けても
夢中になってしまうほどの
美女の意味からきた。

楊貴妃は、その代表である。

それから、美女、美しい遊女、
などの意味になっている。
歌舞伎や文楽の演目に
ある。


さて、政治をかえりみず、
城、国をほったらかしに
してしまうほどの美女とは
どれくらい美しいのだろう?
単純に、見てみたい。

NHKの漢詩の番組を
ぼんやりみていたり、
楊貴妃の特集をみていて、
悲劇の美女だなあ・・・。
と思った。
女性は、美しいだけで幸せであるはずだ。
玄宗に愛されて、幸せだったことは、
確かなことだろう。

傾城の美男子というのは
いないのだろうか?

朝の「スッキリ」で、漫画家の女性が
男に貢いだ話から、街頭で
「あなたは、男に貢いだことがありますか?」と
いうアンケート企画があった。

こういう話は嫌いなのだが・・・。

女性の権力者が、夢中になるほど
素敵だった男の話、
ないだろうか?
女性が、権力者になる現代。
そろそろ、でてきてもいいんじゃない?

貢ぐのが、女性のステータスになる時代に
なってきた!?

ホストに貢ぐのは、違うわよ。

受験期

2008年10月29日 | Weblog
私は、自分の大学受験に
失敗した。
憧れていた大学生活と
程遠い大学生活になった。

浪人は、許してもらえなかったから、
18歳のときは、下をむいて、
近所の人に会わないように
通学した。
一年間、裏通りを通って
家に帰った。
私の大学は、そういう人がたくさんいた。
授業中、受験勉強をして、2年目に
大学をうけて、合格した人もいた。
しかし、そういう人は、ごく少なかった。

4年間を屈辱でくらした。
しかし、高校時代、そんなに
優秀だったか?というと
全然、優秀ではなかった。

勉強をしているつもりでいた。
進学校だったから、
その高校にはいれたときは
大変、うれしかった。
この学校に入れたのだから、
大学は、そこそこのところにいける、
とタカをくくってしまった。

大学受験に失敗したのは、
私の力不足である。
しかし、いろんな言い訳を
用意してきた。

ずいぶん、昔のことなのに、
大学受験のこと、あの時期の
人間関係で、傷ついたこと。
それは、私の人生に大きな影響を
及ばしたのは、真実なのだった。

もし、私に子供がいなかったら、
そんなことは、過去のことですんだ。
子供が、受験の時期を迎えると
いやでも、思い出すのである。

子供の人生は、親の人生とは違うと
いうほど、私は、出来た人間ではない。
自分の子供が、あのときの私と同じ年齢に
なったのが、とても不思議だ。

私は、すでに高校生でない。
あたりまえだ。
しかし、心の引き出しの中には、
いつでも、高校3年生の私もいるのである。

苦しいときの自分を忘れることは
できないのだ。




カツラがとれたら・・・・・。

2008年10月29日 | Weblog
漠然とテレビをみていて
「んっ!?」と思った言葉がある。

それは、CMであった。
女性が
「カツラが、とれたことがうれしいです!」と
ニコニコしている。

私の脳裏には、ある映像が
浮かんできた。

それは、某有名人がテレビの番組冒頭
頭をさげたときカツラが、ポロッ!と取れて
落ちたのである。
ネットをみているとき、急にでてきたのだ。
周りの共演者のバツの悪そうな顔。

かつらが、とれたら、うれしいはずがない!

私は、テレビをまじまじとみた。
それは、発毛のCMだった。
だから、正確には
「(発毛して)カツラをかぶらなくても
よくなったことがうれしいです。」
といわないといけないのではないだろうか?

または、
「カツラを(かぶる手間が)とれたことが、うれしいです。」
だと思う。

私は、即座に、子ども達に
「この日本語、おかしい!」と叫んだ。

それから、名探偵コナンは
体が縮んで、子供になったという。

それもおかしい。
高校生が体が縮んだら、
ただの小柄な若者である。

そういうことを指摘するのに、
子ども達は、特に違和感がないらしい。
むしろ、いちいち指摘する私を
うるさい!と嫌がる。

「駅のアナウンスで、
『白線内でお待ちください』は
白線内で、みんながまったら、
狭くてしかたないでしょ。」
これはウケタ。

コナンもちょっとウケタ。
しかし、
「カツラがとれたら、恥ずかしいのであって、
うれしいはずないでしょ。」と
このCMのたび、突っ込みをいれる私を
みんな、無視するのである。

関西の漫才の大御所、
人生 幸朗師匠のぼやき漫才が
私は、大好きであった・・・。

こんな、おかしいことを
野放しにしているなんて、
責任者、でてこい!

と師匠なら、いってくれそうな気がする。

オブラート

2008年10月28日 | Weblog
やっと、たった今、家族全員
いなくなり、私の養生の時間が
始まった・・・・。

昨日、お薬を飲むのに、オブラートが
復活した。
私は、子供のときから、薬を飲むことが
多かった。
親が、すぐ、医者につれていったこともあるが、
結婚するまで、一年中風邪をひいているような
人間だったので、なにか、重病ではないが、
医者と薬は、きれたことがない。

子供のときは、水薬であった。
今とちがって、黒い苦い水薬だった。

少し、大きくなると、粉薬になった。
私は、粉薬をオブラートなしで、飲めない。
大人になっても、オブラートなしで飲めない。

最近は、お薬は、錠剤が多いので、
オブラートは常備していても、そんなに使うことが
なかったのである。
先週、体温が36度なく、不調だったので、
内科にいき、漢方薬が処方された。
いい大人の私は、何度か、オブラートなしで
試みた。

昔も、漢方をだされたとき、オブラートなしで、
挑戦し、しまいにいやになってやめてしまった。
今、市販の漢方の薬は、飲みやすい糖衣錠である。

「やっぱり、ダメだ!」と私は、このお薬たちも
無駄になる、と思ったのだが、自分の体の調子を
思うと、どうしても、とりあえずは、この薬を
飲まなくては・・。という思いになった。

それで、オブラートを出してきた。

一包の薬を飲むのに、オブラートに3回つつむ。
オブラートは、少しの水分で、湿ってくっついてしまうから
粗雑にするとえらく、面倒くさいことになり、気持ちが悪い。

私は、子供のときにやっていたように
オブラートの真ん中に適量の薬をのせ、
半分におり、半月にしたあと、また、半分に折る。
そして、端っこを少しだけ、なめて湿らせ、また、半分に折る。
最後に開いている円周を少しなめて、三つに折っていく。

これで、飲むのである。
尖ったところは、気をつけないと
嚥下するとき、痛い。

この動作を三回、繰り返して、薬を飲む。
これは、食間である。

食後の薬は、最近、とてもぞんざいにのむ。
サプリメントをほおりこむごとく、ぽいっ!
と飲むことがある。

ゆっくり、薬を飲んでいる場合じゃないので・・・。

私は、さきほど、久しぶりに丁寧にお薬を
飲んで、その動作に安らぎを感じた。
このお薬が効きますように・・。
体が、楽になりますように・・・。

落ち着いた気持ちで薬を飲むことを
服用というのでないかな?
とふと、思った。
お茶も「一服」という。

どうして、薬は、「服用」というのかな?
お茶が、もともと、薬と考えられていたから?

こういうことを感じられるということは、
心の調子がよくなった、ということなのである。


Candle in the wind

2008年10月28日 | Weblog
人には、その人なりの
エネルギーがきまっている。

エネルギーがたくさんある人もいれば、
少ない人もいる。
それを蝋燭の蝋にたとえてみよう。

あの人が、いろんなことをしているから、
といって、自分もがんばれば、エネルギーは
なくなってしまう。
蝋燭の火は、消えてしまう。

反対に、エネルギーが、有り余っているのに、
することがなければ、蝋燭の炎は、物足りなくて、
ボーボーと、燃え盛ってしまう。

風の中の蝋燭。

自分では、懸命に身の丈にあった生き方を
したいと思っていても
吹いてくる風が強ければ、
がんばって、灯りつづける。
蝋は、だんだん、消耗し、
なくなってくる。

息も絶え絶えの蝋燭になったり、
蝋が磨り減って、消えてしまう。

そんな状態が、人間でいうと
「鬱」だという。

私は、今日、
「これはいけない」という状態になった。
小さな火になっていたのに、
風が強くて、一瞬、大きな炎になった。
そのあとにくるのは、闇である。

以前、蝋がきれてしまったことがあった。
それから、薄紙を一枚一枚、重ねるがごとく、
蝋を増やしていき、割りと元気な炎が灯っている
ようにみえるまでになった。
しかし、私の蝋燭の中は、骨粗しょう症のように
スカスカなのかもしれない。
張りぼての蝋燭は、少し強い風が吹くと
折れそうになる。

風をさえぎり、静かにする。
それが、蝋燭の火を絶やさない
鉄則である。
風に吹き消されるまえに、
いろんなことを、試みる。
たとえ、自分が、人にどうおもわれようがいい。
効果があれば、私の耳にはいる、同じような人たちへ
おススメしてみる。
それの繰り返し。

それは、エネルギーがたくさん、ある太い蝋燭の
人には、わからないことなのである。