Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

オブラート

2008年10月28日 | Weblog
やっと、たった今、家族全員
いなくなり、私の養生の時間が
始まった・・・・。

昨日、お薬を飲むのに、オブラートが
復活した。
私は、子供のときから、薬を飲むことが
多かった。
親が、すぐ、医者につれていったこともあるが、
結婚するまで、一年中風邪をひいているような
人間だったので、なにか、重病ではないが、
医者と薬は、きれたことがない。

子供のときは、水薬であった。
今とちがって、黒い苦い水薬だった。

少し、大きくなると、粉薬になった。
私は、粉薬をオブラートなしで、飲めない。
大人になっても、オブラートなしで飲めない。

最近は、お薬は、錠剤が多いので、
オブラートは常備していても、そんなに使うことが
なかったのである。
先週、体温が36度なく、不調だったので、
内科にいき、漢方薬が処方された。
いい大人の私は、何度か、オブラートなしで
試みた。

昔も、漢方をだされたとき、オブラートなしで、
挑戦し、しまいにいやになってやめてしまった。
今、市販の漢方の薬は、飲みやすい糖衣錠である。

「やっぱり、ダメだ!」と私は、このお薬たちも
無駄になる、と思ったのだが、自分の体の調子を
思うと、どうしても、とりあえずは、この薬を
飲まなくては・・。という思いになった。

それで、オブラートを出してきた。

一包の薬を飲むのに、オブラートに3回つつむ。
オブラートは、少しの水分で、湿ってくっついてしまうから
粗雑にするとえらく、面倒くさいことになり、気持ちが悪い。

私は、子供のときにやっていたように
オブラートの真ん中に適量の薬をのせ、
半分におり、半月にしたあと、また、半分に折る。
そして、端っこを少しだけ、なめて湿らせ、また、半分に折る。
最後に開いている円周を少しなめて、三つに折っていく。

これで、飲むのである。
尖ったところは、気をつけないと
嚥下するとき、痛い。

この動作を三回、繰り返して、薬を飲む。
これは、食間である。

食後の薬は、最近、とてもぞんざいにのむ。
サプリメントをほおりこむごとく、ぽいっ!
と飲むことがある。

ゆっくり、薬を飲んでいる場合じゃないので・・・。

私は、さきほど、久しぶりに丁寧にお薬を
飲んで、その動作に安らぎを感じた。
このお薬が効きますように・・。
体が、楽になりますように・・・。

落ち着いた気持ちで薬を飲むことを
服用というのでないかな?
とふと、思った。
お茶も「一服」という。

どうして、薬は、「服用」というのかな?
お茶が、もともと、薬と考えられていたから?

こういうことを感じられるということは、
心の調子がよくなった、ということなのである。


Candle in the wind

2008年10月28日 | Weblog
人には、その人なりの
エネルギーがきまっている。

エネルギーがたくさんある人もいれば、
少ない人もいる。
それを蝋燭の蝋にたとえてみよう。

あの人が、いろんなことをしているから、
といって、自分もがんばれば、エネルギーは
なくなってしまう。
蝋燭の火は、消えてしまう。

反対に、エネルギーが、有り余っているのに、
することがなければ、蝋燭の炎は、物足りなくて、
ボーボーと、燃え盛ってしまう。

風の中の蝋燭。

自分では、懸命に身の丈にあった生き方を
したいと思っていても
吹いてくる風が強ければ、
がんばって、灯りつづける。
蝋は、だんだん、消耗し、
なくなってくる。

息も絶え絶えの蝋燭になったり、
蝋が磨り減って、消えてしまう。

そんな状態が、人間でいうと
「鬱」だという。

私は、今日、
「これはいけない」という状態になった。
小さな火になっていたのに、
風が強くて、一瞬、大きな炎になった。
そのあとにくるのは、闇である。

以前、蝋がきれてしまったことがあった。
それから、薄紙を一枚一枚、重ねるがごとく、
蝋を増やしていき、割りと元気な炎が灯っている
ようにみえるまでになった。
しかし、私の蝋燭の中は、骨粗しょう症のように
スカスカなのかもしれない。
張りぼての蝋燭は、少し強い風が吹くと
折れそうになる。

風をさえぎり、静かにする。
それが、蝋燭の火を絶やさない
鉄則である。
風に吹き消されるまえに、
いろんなことを、試みる。
たとえ、自分が、人にどうおもわれようがいい。
効果があれば、私の耳にはいる、同じような人たちへ
おススメしてみる。
それの繰り返し。

それは、エネルギーがたくさん、ある太い蝋燭の
人には、わからないことなのである。